辿り着いた未来
私を呼ぶ声がする。眠いのに。起こさないで。
「……起きて、ミリア」
「……ふあ」
私は学生机から顔を上げた。夕暮れ時の教室内には、私と私を起こした人しかいない。みんな帰るのが早いな。いつものことだけど。教室を適当に見回してから、私を呼んだ人を見る。私の視界には、一人の女性が立っている。私が通う高等学校の制服を着て、私に向けて親しげな笑みを向けている。
「……もう学校は終わったみたいね、アカネ」
「さっき終わったよ。さ、帰ろ?」
目の前にいる女性、西行 茜は幼い頃からの親友だ。長い黒髪に、美しい顔立ち。容姿端麗、文武両道、性格も大和撫子然としている。そんな非の打ち所がない人間なのにも関わらず、友達は少ない。
「……そうね。あと五分だけ、話していきましょう?」
「え? ……いいけど」
特に用事があるわけではないのだが、私はアカネを引きとめた。今帰ったら、嫌な噂を耳にすることになる未来が見えたから……今は、ここにいてもらわないと。
「そういえば……もう十年近くになるわね」
「……うん、そうだね」
アカネは複雑そうな表情をした。
「まだ辛い?」
「ううん。ミリアが助けてくれたから、全然大丈夫。でも、お父さんが……」
悲しそうにアカネは言った。今から約十年ほど前、アカネはリンク……吸血鬼達に攫われた。結果的には何にもなかったけど、そのせいでアカネのお父さん……西行 暁は、蒸発した。危険を感じた彼は、アカネから離れることを選んだのだ。近くにいると、危険が及ぶから、らしい。そのおかげかどうかはわからないけど、今後先十年、アカネに危険が降りかかることはない。
「……お父さんがいなかったら、辛いよね」
「……」
アカネは何も答えなかった。お父さんがいなければ、辛い。お父さん……今何しているのかな。きっとララと楽しくやってると思う。
「……ごめん、ミリア。ミリアにも、お父さんいないのに……」
「気にしないで。さ、いきましょ」
もう噂をしている二人もいないことだし、帰ろうか。未来を見ながら、最良の道を選んで帰途につこう。
「さ、アカネ。今日は特にバカな男もいないし、ゲームセンターで遊んでく?」
「えっ、いいの? いつもは『絡まれるからダメ』って言うのに……」
「いいのいいの。今日はその絡む男がいないんだから」
笑ながら言いつつ、私は疑問に思う。確かに変な男はいない。……けど、それが妙だ。毎日いる人間がいない。何かあった? ……相変わらず嫌な未来はない。だから大丈夫だと思うけど……。
「ゲームセンター目指してレッツゴー!」
「ううん、ホントにいいの、ミリア?」
私は景気良く教室のドアを開けた。アカネは疑問に思いながらもついてきてくれる。さあて、どんなゲームで遊ぼうかな?
そんなことを考えながら、私は歩く。コンクリートの廊下を過ぎて、階段を降りる。
「ねえ、ミリア?」
「ん?」
下駄箱まで来たところで、アカネが話しかけてきた。なんだろう? ……ええっと。
「これ……手紙……」
そう言ってアカネが差し出してきたのは、封筒だった。私は注意深くそれを観察する振りをして、未来を見る。なになに? 午後四時より、体育館裏にてお待ちしております……ね。目的も意図も何も書いてない。それに、今時間ギリギリじゃない。
「ど、どうかな?」
「ううん……多分、ラブレターじゃないかな?」
今のところ嫌な未来は全然見えないから悪いヤツじゃないでしょうけど……引っかかるなぁ。
「開けてみるね……え」
アカネは手紙を見て驚いたような声をあげた。まあ、そりゃ『いついつにココまで来い』ってだけの手紙だったら、警戒もするでしょうよ。しかも、場所が場所だし。アカネにとって体育館って、嫌な場所でしかないからね。今はさすがに体育館に入れないってこともなくなってるけど、深いところの嫌悪感は消えてないから……。
「ど、どうしよう!? 時間まであと五分もないよ!?」
「うー……ん」
アカネについて行って、お相手を見る未来も見たけど……可もなく不可もなく、って感じ。付き合いも悪くないし、アカネも幸せそう。……それに、十年前のことを知っても離れて行ったりしない。もしお付き合い。断っても、別にストーカーになったりしないし……。
「行ってもいいんじゃないかな?」
少なくとも、ここで引き止める理由はない。……むしろ、止めないほうがいい。寂しいけど、彼氏がいる方が、アカネは明るい。だから……私が取るべき行動は。
「どんなヤツだったか、明日報告よろしくね。それじゃあね、アカネ!」
「え、ミリア!?」
私は靴を履き替えると、走ってアカネと別れる。大丈夫。帰り道襲われるとか、送り狼とか、そんなのは全くない。明日アカネはニコニコ笑顔で私に彼を紹介してくるのだ。だから、何も心配はいらない。
「……はぁ、はぁ……」
商店街まで一気に走ると、私は立ち止まって何度も深呼吸をする。
「……帰るか」
一人でゲームセンターに行ってもつまらない。……ま、遊んでいこうかな。
ゲームセンターに行く未来を見て、ゲームを楽しみながら家までの道を歩く。夕暮れだけど、人の姿もあるし、道幅もある。何か恐ろしいことがある未来も見えない。だから大丈夫。
「……ただいま」
ゲームオーバーになった未来が見えたのとほぼ同時、私はアパートの扉を開けた。
「……ふう」
四畳一間の部屋の中にあるのは小さな小さな机とパソコン。それだけ。あんまり物を起き過ぎてもせまくなるし、お金も節約しないといけないし。私は鞄を机に置くと、パソコンを起動する。今日も株式変動を見て、売ったり買ったり。私にできることがこれくらいしかないからとは言え……。汗水流して働いているトウヤに申し訳なく思う。こんなことやめて、バイト探そうかな。
そう思っていた時、後ろから扉を開く音が聞こえた。
「!?」
私は振り向いた。すると、そこにいたのは。
「……ただいま、って、ミリアいるかな」
「わからん」
私は驚きすぎて声がでなくなっていた。急に未来が増えたというのもある。けれど、それ以上に。長い間会えなかった声。長い間いなくなっていた、家族。二人に会えたことが、嬉しかったのだ。
「……お父さん?」
「え? どちら様?」
私はショックを受けた。私がわからないの、お父さん?
「主人。この女性がミリアだ」
「……っえ」
「久しぶりだな、ミリア。こちらは三週間ぶりだが、そっちは?」
三週間? どういうこと? 疑問はすぐにとけた。どうも、この世界とお父さんが旅してきた世界とは、時間の流れが違うようだ。
「こちらは十年ぶりです。お久しぶりですね、本当に」
私は知らずの内に丁寧語になっていた。昔懐かしい言葉遣い。本当に久しぶり。
「……十年、か。ごめん、ミリア」
「謝らないでください。もう少しかかると思っていたんですよ?」
というか、二度と帰ってこないと思っていた。死ぬまで一人で過ごすのだと、五年ほど前に覚悟したのに……。こんなこと、願ってもないことだ。
「あの、そういえば……ララは?」
今なら、あの子にだってお姉さんらしい態度でいれるはず。それなのに、どうしてあの子がいないのだろう?
「そのことなのだが……主人、説明しようか?」
気まずそうにトレースが言うと、お父さんは申し訳なさそうな表情をして、首を振った。
「僕が言う。……ミリア、ついてきてくれるかな」
「お断りです」
私は嫌な予感がして、すぐさま答えた。
ごめん、お父さん。私、この世界から出たくないし、アカネを残して外にはいけない。いきたくない。