関係の終焉、再生に向けて
学園長、ララが眠る横で、僕とトレースは話していた。トレースは瓦礫に座ってララを支えながら、僕は失った左腕を右腕で押さえながら。
「どうすればいいかだって……? そんなの、わからないよ」
ララの記憶を消す。辛い記憶全てを消して、元通りに……。それは、一見いいことなのかも知れない。
でも、もし記憶を取り戻したら? それ以前に、そんな、娘の頭をいじくりまわすようなことをして……本当にいいの? その答えは、依然として見えない。
「……そうか。記憶を消す、ということに賛成がもらえなかった以上……。ボクは、ララの記憶をこのままにしておく」
トレースは苦しそうに言った。
「ごめんね、トレース」
「いや、気にするな。……キミは、間違っていないのだからな」
トレースは断言した。トレースだってわからないはずなのに、僕のために、断言してくれた。
「……僕には、何が正しいのかわからないよ」
「ボクもだ」
トレースは嘆息してから、ララを見た。
「……ララには、幸せになってほしい」
「僕もそう思う」
ララだけじゃない。ミリアにも、幸せになってほしい。けど、今のままじゃ……。
「だが、今のままでは確実に、幸せになれない。けれど、ボクらがとれる方法は、二つにひとつしかない。一つは、記憶を消して、この世界にララを残すこと」
もう一つは、言わなくてもわかる。
「もう一つは……」
「記憶を残したまま、この世界に置いていく、だよね」
記憶を残そうと残さまいと、ララはここに置いていく。イヤだけど、僕は弱いから。次にルオと遭って、勝てる自信はない。……だから、ララはここに置いて行かないと……。記憶をそのままにしておいて、いいのかどうかわからないけど……。
「……そうだな」
「うん。もし、僕のワガママでララを連れていって、もしララが……死んでしまったら……」
僕はもう、きっと何もできなくなる。
「そうなったら、やりきれん。……しかし、記憶を消すのはしないと決めたのだから、実質一つ、か」
「……だね」
僕はもう一度空を見上げる。ララは何を思ってこの空を見上げていたのだろう。……何も思いたくなかったからかな。
「とにかく、学園長に話を通すぞ」
「わかった」
トレースは学園長のそばまで歩くと、彼の肩を何度か揺らした。
「う、む……」
すると彼は、ゆっくりと目覚めた。目を開けて、上半身を起こす。彼は瓦礫だらけになったフォーリナーの魔法学園を見回すと、呟くように一言。
「……ヤツは?」
「追い払った」
トレースが、学園長に肩を貸しながら言った。彼はトレースによりかかりながら、ゆっくりと立ち上がった。
「……そうか。守ってもらったようで……すまんかったな」
「気にするな」
「いや、気にしないわけにもいかないじゃろうて」
「……ならば、ララを保護してもらおうか」
きっぱりと、トレースは言った。それは聞きようによっては脅しにも取れないこともないけど、僕は事の成り行きを見守っている。きっと、上手くいく。だから、心配せずに見守ろう。
「……何かあったのか?」
「ああ。だから、頼む」
「……わかった」
トレースの頼み事を、学園長は断らなかった。元々ここで保護するつもりだったのもあるだろうけど、トレースが頼んだのも、大きいのかもしれない。
「……話は決まったな。ララを、起こすぞ」
「えっ……?」
眠るララに近づいて、起こそうとするトレースを、僕は呼び止めた。彼女は僕の方を向いて、疑問の声をかけてくる。
「どうかしたか?」
「……いや、その」
このまま、行くんじゃないの? ララを眠らせたまま、行くのではないの?
「……ララに承諾を取らねば、本人はキミに捨てられたと思うかもな」
「僕は捨てたりなんかしないっ!」
「わかっている。が、説明せねば理解もされん。わかってくれ。……辛いだろうがな」
そういうと、トレースはララの額に手をあてた。
「……ん」
軽く微睡んで、ララは目を開けた。
「……トレース?」
「キミは心が見える。説明は不要だろう。が、ボクはキミに言う。これから先は危険だ。だから、ここにいろ」
しっかりと、トレースはララに言った。
「……私、足手まとい?」
「もしそうならば、キミが目覚める時にボク達がここにいることはない。……心配だから、ここに置いて行くのだ」
「……お父さんは、どこ?」
ララは起き上がると、僕の姿を探す。
「……お父さん」
「トレースの言葉に、嘘はないよ」
「お父さんの言葉を聞きたいの」
ララは見透かすような視線を僕に向ける。ある種、咎めるような鋭い視線。
「……ララ、よく聞いて」
「うん」
「僕は弱い」
「そんなことないよ」
ララは、ずるい。僕はララに嘘をつけないのに、ララは僕に嘘をつけるんだから。
「……嘘じゃないよ」
「……僕は弱い。君を守れなかった」
「私、生きてるよ。心も、体も」
ララの言葉が胸に響く。
「……でも、君を傷付けた」
「あれは、仕方のないことだよ。もし私がお父さんでも、ああ言うよ」
「僕が強ければ……君を守れたのに」
もし、僕が強ければ。ルオやオリジンの目に止まらないくらい速ければ。そうすればもしかしたら、ララが人質に取られることもなかったはずなのに。
「……お父さんは十分強いよ。だから、安心して」
ララは僕に微笑んだ。ぎこちない笑顔だったけど、その表情は思いやりに満ちていた。
「……たとえ十分強かったとしても、君を守れなきゃ、意味ないよ」
たとえララに優しく言われても、僕は自分を認めることはできなかった。
「……お父さん……」
「僕は弱い。君を守れない。だから、ここにいて」
僕は視線を逸らさずにララに告げた。するとララは目を閉じて言った。
「……十分強くなったら、迎えに来てくれる?」
「約束するよ」
「……信じる」
ララは目を閉じたまま、僕に言った。
「さ、二人とも。早く行って」
ララは僕たちに背を向けて言った。
「行くぞ、主人」
「……うん」
トレースに促されるまま、僕は虚空に扉を生み出し、それを開けた。扉の向こう側には、全体的に黒が多い僕の故郷が見えている。
「お父さん」
その向こう側に行って、この世界を出る間際、目を閉じたままのララが言った。
「私、恨んでないし辛くない。だから……旅を楽しんで、お父さん」
僕は立ち止まった。感情が感じられない声色だったけど、その内容は、僕達を気遣うものだった。
「……ほら、返事してやれ」
「ララ、また会おう! 今度はきっと、強くなってくるから! だから、待ってて!」
楽しむ、と明言はできなかった。これから僕は強くなる。誰よりも何よりも強くなって、ミリアやララが何も心配せずにいられるようにしてあげるんだ。そのために、頑張らなきゃ。楽しんでなんか、いられない。
「……うん。待ってる。たとえ何があろうとも……ずっと、ずっと」
そんなララの声を最後に、僕達は外の世界に出た。
きっと、きっと強くなって帰ってくるから。待っていて、ララ。