見えない答え
「……幻覚?」
「そうだ、幻覚だ」
僕はほとんどオウム返しに聞いた。幻覚の意味を知っていても、それがララに何を及ぼしたかなんて、全く分からない。……自分の情けなさに腹が立ってくる。
「人間、自分が視ているモノがすべてだ。実際にそこになくとも、在ると感じ、信じたのならばそれは『在る』のだ。……見ている本人にとってはな」
「……うん」
なんとか理解できた。けどそれと幻覚と何の関係が……。
「つまり。オリジンの高度な魔法による幻覚は……ララに多大な恐怖と心的外傷を刻み込み、わずかな言葉で恐怖を思い出すまでに至った、というわけだ」
「……それほどまで強い幻って、どんなの?」
僕には想像ができない。でも、知らなきゃいけないんだ。僕は、父親なんだ。娘が傷ついている理由ぐらい、知っていなきゃ。
「……言えん」
「どうして!?」
「キミに見せるべきものじゃない」
「でもララは!」
「わかってる!」
初めて、トレースが僕に怒鳴った。僕は冷や水をかけられたように、口をつくんでしまった。
「……わかっている。わかっているさ。キミは優しい。より良い父親になろうと必死なのだろう。そんなこと、痛いほどわかる。……だが駄目だ。あれは見てはいけない。……人が耐えられるようなものではない。ララが心を失くしたのは、当然のことなのだ。……あんなものを、長時間見せつけられてはな」
「……何が、あったの」
それでも知りたくて、僕は聞いた。トレースは渋い顔をして、首を振ることしかしてくれなかった。
「……どうして? 僕は父親なんだよ? ……たとえ、家族の始まりが嘘だったとしても……」
僕の家族が初めてできたきっかけは、敵に吐いた嘘だった。でも、そんなのは関係なくて、そんなのはきっかけにすぎなくて。僕はちゃんと、ミリアのこともララのことも家族だって思ってる! この気持ちに嘘はない!
「……ああ、そうだ。始まりが嘘だったとしても、キミが家族を想う気持ちは本物だろう。……だが、それとこれとは話が別だ。ララが視た幻覚をキミが知る必要はない」
「……でも!」
「……ボクは、ララの記憶を見た」
どこか疲れたような雰囲気をかもしながら、トレースは呟く。
「もし、あれをそのままキミが見たら……。ララがもう一人出来上がる。意味は……わかるな」
それは、ララのように心を失くすという意味なのだろうか。
「……よく、壊れなかったと感心するよ」
トレースは母親がそうするように、優しくララの頭をなでた。
「人の心を見ていたからって、心まで強くなるわけではないのに……な」
穏やかで、優しい。トレースは、ミリアに対してはそうでもなかったのに、ララには妙に肩入れをする……。そんな印象が、僕にはあった。
「……ねえ、トレース」
「なんだ?」
思い切って、聞いてみようと思った。……興味本位では、けしてなかった。どうして、トレースがこうも優しく、親身にララを扱うのか……。知りたくなった。
「どうして、ララにはそんなに優しいの?」
「悪いの……か?」
トレースは頭をなでる手を止め、戸惑うように僕に聞き返した。
「……そうじゃなくて。どうして、って思ったから」
「……そうだな」
いつくしむような目を眠るララに向けながら、トレースは独白する。
「……そうだな。境遇が似ていたから……だろうか」
「え?」
境遇が……似ていた?
「そう。そうだ。ボクはララを助けたいと思う。幸せにしてやりたいと思う。キミの命令云々を抜きにしても……ボクはそう思う。もし、『ララを殺せ』とキミに命じられたとしたら……。ずいぶんと長い時間、悩むと思う」
その言葉には、悩むけれど最終的には殺す、というニュアンスが含められているような気がしていた。……それでも、『ルウの命令は絶対』といつも言っていたトレースにしては……珍しいことだった。
「それは……それはな、ルウ。ララが、ボクと同様、不必要と断じられて、捨てられたからだ」
「……」
トレースは、トレースを作った人を不老不死にしたあと、封印された。トレース自身では絶対に解くことのできない強固なモノによって。ララは、ララを作った研究者たちの手によって、殺されかけた。解けない封印と、絶対な死。
「だから……こんなにも肩入れするのだろう。ボクは道具だ。人とは違う。だがな、ララとは他人の気がしないのだ。ボクやララは望むまま造られたはずなのだ。いや、望む以上の能力を持って生まれてきた。それは祝福されるべきことなのだ。……そのはずなのに……。結局、創造主の都合で、ボクも、ララも、死が決まった。……ボクの場合は、封印だったがな。いや、実際に破棄が決定されていてもおかしくなかったのだ。だから無性に、自分を重ね合わせてしまう」
トレースは辛そうだった。やっぱり、創造主に見捨てられるというのは、辛いことなのだろうか。
「だから、こうも世話を焼いてしまうのだろう。……ボクにできることなど、たかが知れているが」
「……弱気だね」
本当に、ララが相手ならトレースはとことん弱気になってしまう。そこが人間のようで、ほほえましいのだけれど。今は、そうも言っていられない。
「ああ。柄にもない。ボクは万能無限の道具。……だが、この子の心を戻すことはおろか、癒すことすらできない。……なんて体たらくだ」
「そんなことないよ」
ふるふるとトレースは首を振り、何かを決めたような目をして僕を見た。
「……一つ、こんなボクにでもできる、提案がある」
「何?」
「ララの記憶を消さないか?」
「……え?」
それは、都合の悪い記憶を消してしまうという意味だろうか。
「オリジンのこと、ルオのこと、幻覚のこと、全部忘れて、幸せにしてやりたいんだ」
「……もし、気付いたらどうするの?」
「……それは」
もし、ララが記憶が消されたことに気付いてしまったら? 絶対にないなんて言い切れない。もし気付いてしまったら、きっと今以上に悩んで苦しむんじゃないだろうか。
「なら、ボクはどうすればいい? ルウ、教えてくれ。命じてくれ。なんでもする。だから、ララを……救ってくれ」
懇願するようなトレースに、僕は何も言ってやることができなかった。トレースの一途な思いから逃れるように、空を見上げる。さっきまでララが見上げていた空だ。青くて、雲があって、綺麗。……心が洗われるよう。でも、ちっとも心は楽にならない。苦しみは消えてくれない。なんでこんなに苦しいんだろう。なんでこんなにも胸が痛むんだろう。
……ああ、そうか。何か答えを出さなければいけないのに、答えが見つからないから、苦しいんだ。