終焉を防いだ少女
瓦礫の山と化した魔法学校で、僕は佇んでいた。地面に落ちた時の砂埃を冷静に払いながら、うつろな目をして自分の座る場所を探しているララを見ながら。トレースはもうすでに僕の隣に座っているし、学園長さんはまだ目を覚まさない。瓦礫だらけのここで、汚れていないのはトレースだけだった。痛む右腕を抑えながら、僕はララの名前を呼ぶ。
「……ララ」
「何、お父さん」
返されたララの声は冷たく、僕にとってその声は咎め立てされているような気分にさせられた。
「……お父さんのせいじゃない。お父さんは最善策を取った。間違っていない」
「でも、僕は君を……」
君をそんな風にしたのに。ララは近くの瓦礫に腰掛けた。固くて冷たいだろうに、今の彼女はそれすらも頓着しないのだろうか。
「それ以上は言わなくていい。私、お父さんに謝られてももう、戻れないから」
「……ごめん」
「戻れない、って言ってるのに」
ララがどこか遠くへ行ってしまったような気がした。もしララがあんなことされなければ、彼女はこの言葉を悲しそうな表情をして言うはずなのに。なのに、ララの表情はどこまでも単調で、虚ろだった。
「……ララ。大丈夫か? 辛いのだったら、ルウに抱きしめてもらえばどうだ?」
トレースが心配そうに聞いた。聞いただけじゃなく、トレースがララのそばまで行って、手を差し伸べさえもした。
「イヤ。今は……一人がいい」
けれど、ララはトレースの手に見向きもしなかった。冷たい瓦礫の上に座ったまま、ただ一心に僕を見つめる。
「……そうか」
「ねえ、お父さん」
まるでトレースのことなど気にもかけないようにふるまうと、ララは僕に訊いてきた。トレースはそれでもララのことが心配なのか、ララの隣に座った。
「なあに」
「お父さんは、私が何をされたか、知らないでしょ」
「……うん、知らない」
知らなきゃ、と思う一方で、知りたくないと思う僕もいる。……あのララがあんなにも叫ぶようなことを、知りたくないと思っているんだ。
「でもね、私はお父さんが私のためにどれだけ頑張ったか知ってるよ。トレースが私のためにどれほど努力したか知ってるよ。でもね、そのせいでね」
ララは淡々と、まるでそこら辺にあるくだらない文章を読むときのような口調で自分のことを語った。
「そのせいでね、私お父さんのこと恨めないの。お父さんが私を助けるためにどれほど必死で考えて、どれほど苦しんで『正解』を選んで、どれほど頑張って戦って、どれほど必死になって私を助けようとしてくれたか知ってるせいで、全然恨めないの。こんなに頑張ったんだから、って思ってしまうの。……私をこんなにしたのは、お父さんなのに」
最後まで、ララの口調は平淡だった。最後の部分だけでも、声を荒げてくれたらどれほどよかっただろう。どれだけ恨んでくれてもかまわないのに、ララは、僕のせいで……。
「でもね、大丈夫だよお父さん」
ララは口だけを笑みの形にした。その顔はまるで、笑い方を忘れたんじゃないか、って心配になるくらい、不器用な笑みだった。
「大丈夫だよ、お父さん。私、ちっとも恨んでないし、そのせいで苦しんだりもしてない。辛くもない。痛かったし、壊れそうになっちゃったけど、全然大丈夫。私は……お父さんのこと、感謝してるよ」
「……ララ」
壊れそうにになっちゃったって言うけど、僕の目にはララが壊れてしまったようにしか見えない。
「……本当なら、憎いんだろうけど」
僕はその言葉が、酷く悲しいことのように聞こえた。私はお父さんのことが憎いんだろう。もし、感情があれば。ララがそう言っているように聞こえてならなかったのだ。
「……なら、憎んでいないのか?」
トレースがそっと語りかけるように聞いた。
「さあ。どうだろう。今は、自分の境遇に対する悲しみも、ルオに対する怒りも、親に対する憎悪も何も感じない。心はいつものように見えるのに、私の心がなくなったよう。……ぽっかりと、胸に穴があいたような……そんな気分」
そこで、ララは僕を見るのをやめ、空を見上げた。
「……感情のあったころに戻りたい。ルオに出会う前に戻りたい。もう二度と、他人の心を見たくない。あんな、あんな殺意。もう見たくない。それができないならせめて、ただ空だけを……見ていたい」
「……ララ……」
瓦礫に座りながら、足をぷらぷらさせるしぐさは本当に子供のようなのに、語っている内容は世捨て人さながらだった。無理もない、と思うけど。
「……学園長が起きるまで、私はずっと空を見とく。……二人は、好きにしゃべってて」
突き放すように、ララは言った。……もうララは僕を親とは思ってくれないのかな。……仕方ないんだろうけど。
「……そうか。ルウ。こっちへ来てくれ」
「あ、うん……」
僕は手招きされるままにトレースの近くまで歩く。トレースのすぐ隣にララがいて、表情もしっかり見えるのに……。それなのにも関わらず、ララがそばにいるという実感が持てなかった。まるでララ本人がどこか遠くに行っちゃったような気がして……悲しくなった。
「ほら、左腕、見せてみろ」
「あ、うん」
僕は左半身をトレースの方に向ける。すると彼女はう、と顔をしかめた。
「……ひどい切り口だな。ぼろぼろだぞ。ルオに斬られたのか?」
「違うよ。僕がコンシャンスで斬ったんだ」
腰に提げている自分の愛剣に視線を向けながら言った。ああ、あとでこびりついた血を落とさないと。
「豪気なことをする。なぜだ?」
「折れちゃってさ、もう使い物にならなくなって」
「ボクの再生を頼りにしていたわけか」
「……そうなるね」
間違いなくそうだろう。戦いの最中邪魔になるから、っていう理由で腕を切り落とせるのは、ひとえに戦闘が終わった後、トレースに治してもらえるという確信があったからだ。
「頼ってくれるのはありがたいのだがな、もう少し考えてやってくれ」
「……必死だったから」
「……そうだったな。……すまない」
僕もトレースも、ついララの方を見てしまう。彼女は宣言した通り、空を見上げたまま微動だにしない。よほど空がきれいなのか、それとも、空以外の何物も見たくないのか。多分後者だろう。
「少し痛むぞ」
「!?」
トレースの言葉に反応したのは、僕ではなくララだった。大きく全身を跳ねさせると、空を見るのをやめ、怯えたように周囲を見回した。
「ど、どうしたの、ララ!」
「……はあ、はあ……」
周りを見ているはずなんだけど、ララの目は焦点が合っていない。どこでもない中空を見ながら、怯えて震えている。
「……? すまない、ララ」
トレースは短く断ると震えるララの額に手のひらを当てた。
「………………それでか」
「な、何がわかったの?」
答える前に、トレースは一瞬だけ、額に置いた手を光らせた。するとララは次第に瞼を重くしていって……間もなく、寝息を立て始めた。
「完全に意識を断った。夢を見ることもあるまい」
「そ、それで!? な、何かわかったんでしょ!?」
僕が問い詰めると、トレースはララに憐憫の目を向けながら、口を開いた。
「……オリジンがララにしたことは……なんてことはない。ただの幻覚だ」
「……幻覚?」
「どうりでな。ずっと不思議だったんだ。ただ痛みを与えられただけで、心を失くすものか、とな」
実際心を失くしちゃってるんだから、そうじゃないの?
「だが……その謎は、今解けたな。……少しもうれしくないがな」
「……そんなことより! ララは一体何をされたの!?」
僕が聞くと、トレースは悲しそうに僕を見つめ、そして言った。
「何もされてはいない。……ただ、本物とほとんど変わらぬ幻覚を見せられていただけ……だ。言葉にするのならな。実際に体験すれば、そんなものではないだろうが……な」
娘に何をされたか、ということを知らされたというのに、僕はそれの何がおかしいのかがわからなかった。
幻覚。実際に感覚的刺激や対象がないのに、あるように知覚すること。
ただ頭の中に蓄積しているだけの知識が、嫌に響く。
知識だけで実感が伴わないことの本当の怖さが、今はっきりとわかった気がした。