目覚めて話して、また次へ
温かい感触に触発されて、僕は目覚めた。
「う……ん……」
「起きたか、ルウ」
トレース? 君なの?
「トレース……?」
「なんだ、ルウ」
なんだか、ルウって呼ばれるの、久しぶりかも……。なんてことを言ってる場合じゃない、とすぐに気付く。身体を起こし、眠る前ミリア達がいたところを見る。……誰もいない。
「ミリア達は学校だ」
「え?」
僕はきょとんとなった。あれ? たしか二人が気を失ったのって、朝だったよね? まさか起きてからすぐに学校に行ったの?
「……主人、キミはどれほどの深手を負ったか理解しているか?」
「え、ま、まあね……」
背中が熱くなって、痛くなって、苦しくなったことしか覚えてないけど……。
「嘘をつけ。いいか、キミはあの場で死んでいても全く不思議ではなかったのだ。……それを、ボクの力で治した。その代償が強いことぐらい、理解できるな?」
うなずく。ミリア達よりも酷い傷を負ったんだから、もちろん、痛みが治るのも、遅くなるよね。
「そして今キミは痛みの全てを克服し、こうして意識を取り戻したわけだが……」
トレースが途中で言い淀む。……どうしたの?
「だが、キミは長い間眠っていた」
「……どれくらい?」
また三日? もう、寝たばかりの人生は嫌だよ、僕。
「一週間ほど」
「……そんなに」
そんなに僕は、眠り続けていたのか。
「ちなみに、事の顛末についてだが……」
「え、なに?」
「ミリア達のことだ」
「あ、そういえば……」
ミリア達、どうなっちゃったのかな? ……生きてる、よね? まさか死んじゃったりとか……。
「まず、ミリアとララ、アカネは今も元気に登校している。ただ、アカネの方はまともに、とはいかなくなったがな」
「え?」
まともじゃないって、どういうこと? 何かあったの? トレースは次から次へとあふれてくる僕の疑問に、丁寧に答えてくれる。
「まず、アカネのことだが……すっかり体育館のことが怖くなってな。体育館に入れなくなった。それから学校も、休みがちになったらしい」
「……そう」
残念に思う一方で、仕方ないとも思った。……だって、あんな目にあったすぐあとだもの。元気にいつも通り、というわけにはいかないだろう。
「それと、ミリアとララだがな。後遺症らしい後遺症も残らず、元気にやっている。ミリアも、望んだ未来にたどり着けて、満足そうだった」
「そう」
ならいいんだ。ミリアやララ達が幸せなら、僕も報われる。
「……それにしても、変な話だな」
「何が?」
「生まれたてのキミが、こうも早々に他人を救おうとするとは。思ってもみなかった」
「それは、僕だからだよ」
作られて、知識も常識も生まれた瞬間からあって、人間とは少し違う僕だから……できたんだよ。
「それから、今回の首謀者だがな」
「……依頼をした人のこと?」
「それ以外にだれがいる」
……リンクは退けた。でも、依頼した人がいなくなったわけじゃない。リンクを雇うのなら、この世界の殺し屋も雇うかもしれない。僕はその全ての人と、戦わなきゃいけないのだろうか? ……本当に、アカネを守りきれるのだろうか。
「少しおしおきをした」
「……え?」
僕はトレースに訊き返す。おしおき? 誰に、何をしたの?
「今回の首謀者の名は、さい……美衣という。どこの者とも知れん人間だったが……とりあえず、どこぞの異世界に放り込んでおいた」
「……死んじゃわないかな」
僕、いくらアカネを殺そうとした人だと言っても、死んでほしくないよ。……異世界に急に放り込まれて、大丈夫かな。
「死なないだろう。異界士を雇って幼女を殺そうとする人間だ。芯も図太く、しぶとく生き残るだろう」
「そう……かな」
「ああ。きっとな」
そう。なら、いいんだ。安心したよ。
「ありがとう、トレース」
「………………ああ」
あれ、トレースの顔が明るくないけど……どうしたのかな?
「…………な、なあ、ルウ。もう行かないか? もうすぐ二人も帰ってくるだろうし……」
「え?」
そう僕が言うと同時に。
「ただいま!」
「ただいま」
ララとミリアが帰ってきた。
「お帰り二人とも」
「うん! ただいまお父さん!」
「ただいま、お父さん」
二人はにこやかに僕に挨拶してくれる。二人は畳の上に背負っていたランドセルを放ると、僕たちのそばにやってきた。
「起きたの? おはようお父さん! 今日もきれいな心をしてるね!」
「あ、うん、おはようララ。ありがとう」
綺麗な心っていうのは、きっとほめ言葉なんだろう。
「おはようございますお父さん。……私のために、どうもありがとうございました」
「気にしないで。君のためじゃなくて、君の友達のためにやったんだからさ」
「……それでも、恩を感じていることには変わりありません」
ミリアって結構思いつめるタイプみたいだね。
「……それと、お父さん。十分後異世界に旅立とうとするお話をする予定だったのでしょうが……」
いや、そんな予定欠片もなかったよ? 未来でみたことをあらかじめ決まった予定みたいに言わないで……。
「だが、なんだ?」
トレースが僕の代わりに訊く。
「私は、この世界に残ります」
僕は、何も言えなかった。
「この世界に残るだと? ……なぜだ」
「ど、どうしてなのミリアお姉ちゃん!」
「なぜ? あなたたちはわからないのですか?」
説明するまでもないことだとでも言うように、ミリアは言った。
「わからんから訊いている。とっとと言え」
「この世界が平和だからです」
「……」
僕は、さらに何も言えなくなった。
「この世界は平和にあふれ、私の未来は幸せに満ちています。苦悩やストレス、適度な苦労はありますが今までの比ではありません」
ミリアはきまりきった事象を語るように、未来を語る。……ミリアにとって、未来は決まっていて、現在の延長線上のものでしかないんだろう。
「……この世界では残酷なニュースに目をひそめる朝はあっても、爆音で目覚め凄惨な死骸を見る朝はありません。友達に絶交を言い渡され、呆然とする昼はあっても、親友に裏切られ、囚われの身になる昼はありません。恋人に振られ枕を濡らす夜はあっても、迫りくる死に怯え毛布にくるまる夜はありません。果てない幸せに身を躍らせる未来はあっても、幸せに見せかけた絶望に足をすくわれる未来はありません。……私は、こんな、この世界が気に入りました。……この世界しか、ないのです」
「……」
僕たちは何も、何も言うことができなかった。
僕、トレース、ララ、ミリア。この四人の中で誰が一番不運だったかと言えば、ミリアとしか言えないだろう。
ミリアは僕たちと出会う前に自分の死を知り、そのために東奔西走、僕を見つけたはいいものの死にかける。次の世界でも、その次の世界でも。ミリアにいいことなんて、これっぽっちもなかった。ミリアはただ未来を見て、自分の死を見て、生きようと必死に頑張ってきただけだった。
……そんなミリアが、死も苦痛も何もないこの世界、この国に住みたいと思うのは、ある意味当然のことではないだろうか。
「……拾ってくれて、ありがとう、お父さん」
「……ミリア。どうしても、ここに残るの?」
どうして僕は止めるんだろう? この世界よりもいい世界があるだなんて保証もないのに、僕は娘を連れだして、危険にさらすのか?
「どうしても、です。この世界から出て、もし次に私が自らの死を見たら……反射的に、舌を噛んでしまうかも知れません。もうそれほどまでに、私は自分の死を見なさ過ぎました」
「……だ、だけど、アカネのことは……」
「あれは、私が自分で首を突っ込んだのです」
きっぱりと、ミリアは言いきった。
「あの時は自分で覚悟して見ました。……だから、大丈夫でした。けれど、もし今後不意に、たくさんの自分の死を見てしまった場合……。私は、正気でいれる自身がありません」
ミリアは申し訳なさそうに、目を伏せた。
「ごめんなさい、お父さん。私は、お父さんの娘になりました。お父さんと一緒に異世界を旅していくのが娘としての正しい生き方なのかも知れません。けれど……。本当に、ごめんなさい。私は……。
……死にたくない」
ミリアは涙をこらえようとして……結局、できなかった。その場にひざまずくような格好になって、涙をこぼす。
「……ごめんなさい、お父さん。私は、私は……悪い娘です」
「……そんなこと、ないよ」
僕はようやく、まともな言葉が口に出すことができた。
「……え……?」
ぱちくりと、ミリアは涙にぬれた瞳で僕を見上げる。
「君は悪い子なんかじゃないよ。……僕は、まだ生まれたてだから、何もできなかったけど……君は、いい子だった。それだけは、言えるよ。この世界でずっと生きていくのなら、それもいいじゃない。僕は、そう思うよ」
本当は引き留めたかった。本当は、ついてきてほしかった。初めてできた、旅の仲間で、家族。……別れたいはずがなかった。ずっと、ずっと一緒にいたかった。……でも、僕は、父親なんだ。たとえ急場ごしらえの嘘が発端だったとはいえ、僕とミリアは親子になったんだ。……だから、僕は父親として、娘によりよい人生を、送らせてあげなきゃ。
「……ありがとう、お父さん」
ミリアは涙を拭いて、立ち上がった。
「……ありがとうございました、お父さん、トレースさん」
「……ああ。気にするな」
トレースはこんなときまで、尊大だった。少しくらい何か思うところがあってもいいと思うんだけど……。
「…………さようなら、ミリアお姉ちゃん。また、会おうね」
「さようなら、ララ。また会えたとしても、『アレ』はもう二度とやらないけどね」
くすりと二人は笑い合った。『アレ』っていうのは、未来視と心透視を使った二人のシンクロ現象のことだろうか。
「私もヤダ。あれ、私がどっちかわかんなくなるもん。……もうやめようね」
「私も未来を見すぎて今の自分がどこの自分なのかわかんなくなった。……もうやめようね」
二人とも、また笑い合う。
「ふふ、なんだか私たち、また会える気がする」
「奇遇ね、私も」
二人は仲良さそうに笑いながら……別れた。
「さ、お父さん。行こう?」
「あ、うん……」
二人の意外な別れ方に少し動揺しつつも、僕は扉を開け、世界を開いた。
「……これで、サヨナラだよ? 本当にいいの?」
未練がましく、僕は訊いた。
「ええ。さようならお父さん。……きっと、また会えたら」
「……うん」
僕は扉の向こうへ行って、そして、ララが入ってくる。最後に、トレースが。
「……ミリア」
「なんですか?」
「キミが常によい未来を選択することを願っている。……それと、いろいろと、すまなかった」
「……ふふ、もう気にしてませんよ」
「……そうか」
トレースはそう言うと、僕たちのいる方へと向かっていった。……ミリアは、入ってこない。
「さようなら」
僕に扉を閉める気がないと気付いたのか、ミリアが扉に手をかける。
「……う、うん。さよなら、ミリア」
「……今までありがとう、お父さん」
パタン。
最後に見えたミリアの表情は、さびしそうな、悲しそうな、でもどこか希望に満ちた、そんな表情だった。
黒と白の床と際限ない広さと遥か高い天井と無数の扉がある世界。僕の故郷。
「ねえ、お父さん。これから、どうするの?」
「……どうしようか」
僕はララの質問にも、明確な答えが出せずにいた。
「……少し、気になったのだが、ルウ」
「何?」
僕は近くにミリアがいないことを残念に思いながら……トレースの方を向く。
「ここに何か印をしておけば、すぐにやってこれるのではないか?」
「……あ」
そうだ。ミリアは異世界を移動できない。けど、僕にはできる。なら、もう一度ミリアの世界を訪れることだって、できるはず!
「では、ボクにしかわからない印をつけておく。……来たくなったらいつでも言ってくれ」
「うん、わかったよ!」
よかった、よかった。これでいつでもミリアに会える!
「……よかったね、お父さん」
「うん、そうだねララ!」
僕はララに微笑みかけながら言った。
「……さ、行こうよ、お父さん」
「そうだね! さあ、次はどんな世界だと思う、トレース?」
「さあな。平和な世界ならよいのだが……」
歩きながら、僕たちは話す。
「僕も平和な世界がいいけど……少しだけ、僕のことも知りたいかな」
「ならさ、お父さん。『けんとまほーのせかい』って行ってみたらどう? きっとお父さんのわからないことも、まほーで一発! だよ?」
「……ララの案に賛成だな。魔法世界ならキミのこともよくわかる人間がいるかもしれない」
「そうだね! じゃあ、近くの扉が魔法の世界であることを祈って……」
思いついた場所で僕は止まり、そばにあった扉をあける。
「入ろう!」
「だね!」
「だな」
僕は、次の世界へと旅立った。