激闘終了
「ただいま~」
僕はアカネを連れて、アパートに戻ってきた。ミリアもララも、まだ気絶している。痛みがまだ引いていないのだろう。
「さて、と。ほら、行って来い。今はまだ気を失っているがな」
「ミリアちゃん!」
降ろされると同時に、アカネはミリアのそばにかけていった。倒れているミリアに向かって、涙を流してお礼を言う。
「ありがとう、ありがとう……! 本当にありがとうね、ミリアちゃん……!」
その姿はとても愛らしく、とても美しかった。……友達のために涙を流せるって、すごいことだな。
「……それにしても、トレース。肝心の恩人が倒れてるって、なんだかしまらないよね」
「何を言っている主人。キミもすぐにその二人の仲間入りをするのだぞ」
「……はい?」
訊いたと同時に思い出す。……あ。忘れてたっ!? そう言えば僕、トレースに傷を治してもらって、その反動まで先送りにしてたんだった!
「さて、痛みを戻すぞ。では」
「待った!」
「なんだ」
僕はあわててトレースを止める。
「あ、あの、アカネちゃんの依頼人を探してからにしない?」
「ダメだ。早くしないと痛みの恐怖が増幅するぞ。……さては主人、怖気づいたな?」
「そ、そ、そんな、そんなことないよ!」
「嘘のつきかたが子供のままだな。残念だが今回ばかりはキミの要望にこたえるわけにはいかない。痛みを感じないよう気絶させてやるから、じっくり休め。では」
「ぎゃああああああああああああ!」
激痛が一気に体中を襲って、僕は大声をあげて倒れこんだ。い、痛い……。
「え、ええ!? だ、大丈夫ですか?」
「気にするな。すぐに戻る。それよりもキミはミリアを見ていてやれ。きっと、痛くて辛いだろうから」
「……は、はい!」
い、いい返事……だね。
「……痛そうだな。すぐに帰ってくる。だからその間、気を失っていてくれ。じゃあな」
……すぐに? ど、どこへ行くの、トレース? さびしいよ。そばにいて。痛みはそのままでいいから、意識があってもいいから、そばにいて。行かないで。僕を独りにしないで。
「……安心しろ。絶対に死ぬことはない。だから、そんな風に思わないでくれ。足が止まってしまう」
……大丈夫だなんて。そんなこと言って、行かないで。そばにいて、そばに……。
「本当にすまない。……ではな」
……待って……待ってよ……僕も行く……僕も行きたい……ねえ、トレース………。
………そばにいて。痛い時だけでいいから、そばにいてよ。
僕は気を失った。
アパートの部屋から出て、ボクは一度深呼吸をする。
すう、はあ。
よく考えれば我が主の命を無視し、単独行動に入るのはこれが初めてだったな。どうりで緊張するわけだ。
さらに考えて、苦笑する。
まさかボクが緊張する日が来ようとはな。ボクらしくないことをするからボクらしくない感情が生まれるんだ。
「さて、行くか」
呟いて、適当に生体反応を探る。
……周囲百キロには茜を殺そうとした人間はいない。
逃げたのか? 可能性としてはあるだろう。茜の殺害を依頼し、怖くなって逃げた。もしくは失敗した時のことを恐れて逃げた。どちらにせよ、この街にはいない。
ならばどこだ?
「ルウ、アカネを殺した犯人のことだが……」
そこまで言って、はっとなる。
何をバカな。主人はボクが眠らせたんだ。返事できるわけがない。なぜだ。なぜ、主人がいないというだけでボクはこんなにも不安なんだ。
もしこれが主人の命だったら。もし気絶する前に依頼人の抹殺を命じられていたら、なんの気兼ねなしに、ボクは動けるだろう。しかし、そうではない。そうではないからこそ――怖い。
もし、失敗したら。もし、意向に添わなかったら。
そんな懸念が次から次へとわいてくる。
今すぐ振りかえって、主人の看病をしていようか。そうしたほうが、ずっと楽だ。
振り返り、ドアを開きそうになって……やめた。
「何をバカなことを」
ボクは決めたのだ。主人が依頼人に会う前に、依頼人を消すと。主人はまだ子供だ。どんな理由にせよ幼子を殺そうとするような人間を、主人に見せるわけにはいかない。このままだと主人は間違いなく依頼人を探すようになる。『茜を助けるためだ』と言って。わかっている。主人のそんな気持ちは痛いほどわかる。けれど、だからこそボクは行動する。
主人のその優しさを、失わせないためにも。
……あの二人に訊いてみるか。
決意新たにするとともにボクは思いつき、風よりも早く駆け抜ける。
市立小学校体育館。たしかこの時間帯は体育館が無人になるはずだ。だからあの吸血鬼どもはここで待っていたのだろう。
「……なんでてめえが来た?」
「依頼人は誰だ」
疑問に思う男吸血鬼の質問を無視し、ボクは問いただす。
「いや、ルウの奴はどうした?」
「依頼人は誰だ、と訊いている」
「質問に質問で返すなっての!」
ああもううざったい。なぜこの吸血鬼はすぐに訊かれたことを答えないのだ。
「そこの」
「……私かしら」
「ああ」
女吸血鬼を指さして、呼ぶ。……たしかこの吸血鬼、かなり臆病だったはずだ。吸血鬼に勝利した主人が近づいた時、目に見えて怯えていたからな。……ならば。
「訊きたいことがあるのだが」
「ひっ」
後ろから、ボクは声をかける。一瞬で移動するのはさすがに骨が折れたが、これも主人のためと思えばなんということはない。もくろみどおりに怯えてくれているようでよかった。もしこれでなにも反応を見せなければ、……少し、痛みを知ってもらわねばならなかったところだ。
「貴様らの依頼人は、誰だ?」
「……あ、あの」
「エリア。しゃべるなよ?」
「……ボクは、拷問が得意だ」
できるならばその方法は取りたくない。なぜならば、もしエリアにそれをしたとして、今度あった時に問い詰められでもしたら、主人に嫌われてしまうかもしれないからな。それに、主人が無垢なのだ、従僕であるボクが勝手に汚れるわけにはいかない。
「……あ、あ」
「しゃべらないのか。……ならば」
「西行!」
「おい、エリア!」
「西行、美衣、よ。西行 美衣」
「……何者だ」
西行? 西行だと? 確か茜の姓も西行だったはずだ。……これは、ただ消すだけでは何もならんかもしれんな。
「……茜のおじいちゃんの妹の孫の奥さんよ」
「なぜ茜を狙った」
「しらないわ」
「痛みを望むとは、また変わった嗜好だな、吸血鬼」
「ち、違う! ホントに知らないの!」
……嘘をついている風ではないな。つまり依頼人は知らせなかったのか。
「……そうか。ではな吸血鬼」
「まてやコラ」
「……なんだ?」
つい、止まってしまった。何をしている、ボク。さっさと行って、依頼人を消さなければ。……だが、あるところでは期待しているボクがいる。
「なあ、お前よ、何エリアをビビらせてくれちゃってるわけ?」
「……貴様は隣の吸血鬼のことが」
「皆まで言うな。そういうわけじゃねえ。俺、地味に、本当に地味にだけどよ、異界士としてのプライドってのがあんだよ」
「そうか。ではな」
なんだ、つまらん。色恋沙汰なら、主人がした時の参考になるかと思ったが。全く、つくづく役に立たん吸血鬼だ。西行 美衣の居場所は……ここから東北方向に百二キロ。……もう少し策敵範囲を広めておくべきだったな。
「まてよ無能」
「……ではな」
「あっ!? ちょ、ちょっと待てって! おいこら! 待ちやがれ! くそっ! 覚えてろ! 次に会ったら殺してやる!」
どこかのチンピラのような言葉がどんどん遠ざかる。ふん。誰が待つか。今はあの吸血鬼に構っている暇などないのだ。
だが、吸血鬼。次に会ったら殺すのは貴様ではない。ボクだ。ボクを無能扱いしたこと……後悔させてやる。
主人の命とは別に、ボクは新たに決意した。