学校生活――ルウの場合
……暇。
僕は前に立って授業をしている先生を前にそんな失礼なことを考えていた。
今僕は国語の、それも古典を受けているんだけど……。
ぜんっぜんわかんない。なにこれ? 日本語? 本当に?
「……はい、では転校生の……ルウ君? これ、ちょっと読んでくれる?」
「はい。『いずれのおおんときにか、にょうご、こういあまたさぶらひたまひけるなかに、いとやんごとなき…………」
「『際』よ」
「きわにはあらぬが、すぐれてときめくたまうありけり』」
「はい、よくできました。外国暮らしのルウ君にはちょっと難しかったかな?」
「え、あ、はい」
ほんとは異世界暮らし……いや、暮らしてもないか。異世界流浪人、かな。……というか先生、質問があります。これ、何語ですか? 日本語のような何かでしょう? 真剣にそう訊きたくなった。
「はい、では復唱しますね。『いずれの御時にか、女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやんごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり』。まあ、ようするに『いつの時代だったろうか、召使いたちがたくさん仕えていた中に、身分は高くないけど帝に気に入られてたのが一人いた』ってわけですね。これで他の召使いたちの反感買って壮絶ないじめに遭うのだけど……」
そこで、先生は言葉を詰まらせた。
「……ま、壮絶だった、ってことだけ言っときます」
僕にちらりと視線を向けて、先生はそう言った。なんだろう? どうして僕を見たのかな? それを訊こうとしたところで、大きな鐘の音が聞こえた。……ええっと、チャイム、だったっけ?
「あ、今日のところは終りですね。復習をよくしておくように、特にルウ君」
「……はい」
なんでこんな不思議言語を勉強しなきゃいけないんだろう。そう思いながら、委員長の号令で起立し、礼をする。こんな形式ばった挨拶、あってもなくても一緒だと思うけど……。
「ほんっと、古典って意味わかんねえよな、ルウ!」
「……あ、え?」
いきなり後ろから話しかけられた。……えっと、誰だっけ。……夏目 公彦、だっけ?
「おい、ちゃんと日本語わかってんのか? hey Ruu!(おいルウ!) what are you doing?(お前何してんだ?)」
「……え、あ、うん、何もしてないよ、公彦」
「英語なら通じるってか?」
「日本語もわかるよ、ちゃんと」
「……流暢過ぎて引く」
「……引く?」
どこに? というかなんで急に?
「いや、冗談だから。そんなマジ顔しなくても……」
「あ、冗談だったんだ」
でも、それ、便利かも。もしなにか間違ったこと言っても、『冗談だよ』って言って済ませれば……。……いや、駄目だよ。そんな不誠実な。
「なあなあ、お前さ、彼女とかいるの?」
「……彼女?」
彼女、って何? she? なんで急に三人称?
「ああ。俺、まだお前に訊きたいこといっぱいあるんだよ! 他のやつらは朝に訊き終わったみたいだけどよ、俺は全然まだなんだ! さあ、ルウ、お前に彼女はいるのかどうか! 答えてくれ!」
何? なになに? 彼女、って何かの指示語? もしかして隠語だったりする? え、なに、僕は一体どう答えれば……。
「待ちなさい!」
僕がどう答えようか迷っていた時、ひとりの女生徒が僕と夏目の間に入った。誰だっけ? ……ええっと、ううんと、……そう、三笠 美々だったかな?
「急にどうしたの、美々ちゃん」
「……呼び捨……! ……な、なんでもないこともないわ! こらナツ! いきなり転校生に何訊いてんのよ!」
「だってみんななんでか遠慮して訊かねえんだもん! つまんねえだろ!?」
「あ、あんたね! こんなピュアな子に何訊けってのよ!」
「ピュアだ~? はん! この年頃の男子がピュアなわきゃね~だろ! 心の中じゃこいつだって『あいつとヤりたいな~』とか『こいつなら無理矢理ヤッても大丈夫かな』とか考えてるに違いない! いいや、もっとハードでコアなプレイを考えてるかも知れねえんだぞ!」
「何の妄想よ! 最低!」
ヤる、ってなに? ……とか訊いても、大丈夫かな……?
「ね、ねえ、公彦、美々ちゃん」
「んだよ? お前も興味あるよな、こういう話題」
「え、えっと、うん」
「……!」
なぜか美々ちゃんはショックを受けたような顔をしていた。
「あ、あなた、そんな顔して、そんな何も知らないような顔して……っ!」
何にも知らないんだよ。だって、ハードでコアなプレイって言われても、なんのことだかさっぱり。
「でも、僕からも一つ訊いていい? 君ならきっと、答えてくれると思う」
「おうよ! なんでも答えてやるぜ!」
ああ、やっと訊ける。やっと疑問が解消されるんだ!
「ねえ、ヤるって、どういう意味? ハードでコアなプレイって、なんのこと?」
「……」
「……」
二人して黙った。あれ、なんでも答えてくれるんじゃなかったの?
「ねえ、答えてよ公彦。トレースもミリアも答えてくれないんだ。何度訊いても答えてくれないんだ。意味は知ってるはずなのに、どうしてなのかな? どうしてだと思う?」
「そ、そりゃ、お前が大切だからじゃねえのか……?」
大切だったらどうして隠すの? もしかしてそんなに嫌な意味なの?
「というか、トレースって、ミリアって誰よ」
「トレースは僕の仲間」
「仲間?」
あ。しまった。僕が旅人だってことはあんまり人に言うべきじゃない。
「え、と、あの、その、トレースは道具で、いや奴隷で、いや、そうじゃなくて、その、あの……」
トレースとの嘘の関係をとっさには言うことができず、僕はつい、ポロリとしゃべってしまう。
「……」
「……」
また二人して黙った。……って、あれ、そう言えば静かだな。さっきまで騒がしかったのに。よくまわりを見ると、みんなが何事かと僕を見ている。え、なになに?
「……その、ミリアって人はやっぱり、奴隷二号、なのかしら……?」
「ううん。僕の娘だよ」
「……」
「……」
また、二人は黙った。
「み、ミリアって子に関してはこの際どうでもいい。その、トレースって、お前のなんだって?」
「……僕は仲間だって思ってるんだよ? でも、本人は奴隷だ、道具だ、って……」
「……その子、大丈夫?」
「うん、大丈夫。何度も命を助けてもらってる」
「そういうことじゃなくて、頭」
「そっちも大丈夫だよ。トレースはとっても頭がいいんだ。僕に知らないことをたくさん教えてくれる」
もう二人は完全にあきらめ顔だった。
「……って、どうして僕ばっかりが質問に答えるのさ。君たちも答えてよ。ねえ、ヤるってどんな意味なの?」
「……よ、世の中には知らない方が幸せってこともあるんだから! そ、それに、この年で知らないなんてそうとう貴重よ!?」
「貴重……だと?」
公彦が驚いたように訊いた。
「ええ。ルウ君みたいな純粋なキャラ、自分好みに調教したい! って子が現れても不思議じゃないぐらい貴重よ」
「……ちょ、調教?」
ええっと、たしか、動物に言うことを聞かせるために施す躾のこと、だよね? 僕、動物?
「そ、そんな、動物だなんて……」
「いや、お前どっからどう見ても無知な小動物だぞ?」
「しょ……」
そ、そんなっ!? 僕の衝撃に、美々ちゃんはさらに重ねてくる。
「……鏡、見たことある?」
鏡? ……そう言えば、ないなあ。ということは、僕自分がどんな容姿をしているのか知らないのか。……でも、言えない。自分の容姿を知らないなんてこと、口が裂けても言えない!
「あ、ある!」
「ホントかよ?」
「ホントだよっ!」
「否定がガキまんまだな」
「ガキって言った!」
「言ったよ」
君も僕を子供扱いするの!? 同級生じゃないか!
「……うう……酷いよ……」
なんで? 僕、倒れそうになるまで戦い続けたんだよ? 娘を守り通したんだよ? それでも僕、まだ子供? どうしてそんなひどいこと言うのかな……?
「……何このかわいい小動物」
美々ちゃんがそんなことを言う。
「危なっかしいだけだと思うぜ」
「それがいいんじゃないの」
なんだかよくわからないことまで言いだした。
「……しゃあねえな。お前がモテるかもしれねえってんなら、俺はその可能性をつぶすまでだ。……お前に俺の持ってるエロ知識全てを叩きこんでやる。講習が終わった頃には、お前はおれたちと同じ、オスの仲間入りだ」
「イヤ」
即答していた。なんか今嫌悪感ですっごい鳥肌立った。エロ知識ってなんで? 僕が知りたいのはさっき言った二つの意味、それだけなのに。
「なんでそこだけ断るんだよ!?」
「断りたくなったからに決まってるでしょ!? 何だよそのエロ知識って! そんなの持ってて意味あるの!?」
そんないやらしいこと、僕は知りたくない!
「……あの、ルウ君」
「何?」
「ヤる、もハードでコアなプレイっていうのも、どっちもエッチな意味なんだけ、ど……?」
僕の心に大きな楔が穿たれた。……え? ……え、ええ!? そ、そんなっ!?
驚愕しているうちに、昼休みを告げるチャイムが鳴って、休みは終わりを告げた。
え、え?
放課後になっても、穿たれた楔は外されることがなかった。
ど、どういうこと!?