学校生活――ミリアの場合
未来がうるさい。
退屈な授業を受けながら、私は思った。いつも思っているのだが、この今『思った』私はいつの私なのだろうか。今の私なのだろうか、それとも未来の私なのだろうか。……考えて意味のないことだということは、十年先の私でも知っていることなのに、つい考えてしまう。
「みんな、一たす一は何かな~?」
「に~!」
間延びした担任の先生の声と、同じくらい間延びした同級生の声。小学一年生なんて、こんなものか。ああ、かったるい。私は因数分解も理解できるというのにこんな基礎中の基礎をやらされても、面倒なだけだ。昨日トレースさんの薦めで学校に来てみたが……。正直、いらなかった。あのときは株価の上下を見るのに必死でこの未来までは見えなかった。まったく。遠い未来を見てる時でも近くの未来が見えるようになっていれば、こんな凡ミスもしなくなるのに。私は全然ダメだ。
「……ミリアちゃん、わかるかな?」
黙る私をどう勘違いしたのか、先生が私に訊いてくる。
「ええ、もちろん。一たす一は二。二たす三は五。五たす六は十一、十一たす十二は二十三、……ちゃんとわかるわよ」
「す、すごいね~」
「……基本よ」
「……」
先生は黙ってしまった。……いいすぎたか?
でも、いくら未来を読んでも、私が殺される未来は見えない。……あれ、どうして? いつもならここらへんで自分が挽肉にされるシーンを見るんだけど……。
……もしかして?
「…………」
「ど、どうしたの? すごい顔だよ?」
「ほうっといて」
十年先まで見る必要はない。浅く広く。未来を見通して、何があるかあらかじめ知ろう。……。
「はは……」
「ど、どうしたの?」
「あははは!」
あらかた未来を見終わると、自然と笑いがこみあげてきた。
「あはははは! 先生、この国ってすごく、すっごく平和だね!」
「え、ええ、そうよ?」
本当に平和だ! 呆れるぐらい、笑えるぐらい平和だ!
「どうしたの、ミリアちゃん?」
「信じられない! 私がここで何を話したとしても、何をしたとしてもここで説教されるだけで済まされる! 殺されることもなければ、苦痛を与えられることもない! なんて幸せで幸福で、平和な世界!」
なんということだろう。ここで私が宗教の全てを否定したとしても、何も言われない。何もされない。
「え、ええっと、ミリアちゃん一体どういう意味かな……?」
「わからないの? この世界が、この国がどれほど恵まれていることか! 言動に気をつけなければ拷問の末に磔刑に処されることもない、道を間違えたところで死ぬこともない! なんて、なんて平和な世界なんだろう! ここは私の、楽園!」
ああ、ああ、私はこんな世界を待ち望んでいた! あの人に、お父さんについてきてよかった! 私はついに、楽園を、理想郷を見つけたんだ!
「ええ、っと、ミリアちゃん。感動してるところ悪いんだけど……」
「なに? 今の私なら、なんでも聞くわ!」
「……その、とりあえず、廊下まで、来てくれる?」
あ。ちょっとはしゃぎすぎた、かな……?
「他のみんなはちょっと待っててね」
そう言って先生は私を廊下に出した。冷たい床を、靴底が叩く。うん、いい音。こんな風に足音まで楽しめるほどリラックスしたのは、いつ以来だろう。
「ねえ、ミリアちゃん、平和だって気付いたのはいいことだけど、授業中よ?」
「ごめんなさい」
私は素直に頭を下げる。けれど、頭は全然違うことを考えている。週末はどこに行こう。お金もある。どこかに出かけよう。ララも誘って、みんなで……そう、げーむせんたー、というところに行くのもいいかもしれない。ゲームというのが何かは知らないが、やってる自分は見えた。げーむせんたーの近くに危険はない。なら、安心してみんなを連れだせる。
「……ねえ、聞いてる?」
「え? あ、はい」
「その、ね、ミリアちゃん。殺されそうになったことって、あるの?」
「どうしてそんなこと聞くんですか?」
あ、あれ。しまった。会話に集中してなかった。まずい。完全にこの先生のことを忘れていた。未来を見ても、もう一度話してくれるということはなさそうだ。むしろ、今は何よりもまず自分の訊きたいことを訊く、といった感じ。どんな風に質問しても最終的にここに行きつく。……なんでかは見えたけど、……ううん、なんかやな感じ。……私が悪いんだろうけどさ。
「どうしてって……。その、さっきの話で、殺されることもなければ、って言ってたよね?」
「ええ。言いました」
「殺されそうになったこと、あるのかなって」
「一度だけ」
未来を含めたら桁三つでは足りないのだが、実際に起こったのは一度だけだったはず。
「……! ……そ、そうなの」
「でも、お父さんが助けてくれたから大丈夫です」
「え? そ、そうなの?」
「ええ。強くてかっこよくて優しい、最高のお父さんです」
誘拐犯に攫われる未来が色濃く見えたと同時に、ほんのわずかに増えた未来。それが、お父さんとトレースさん。あの二人が私がいた世界に来てくれる確率は数万分の一だった。正直、今私がここにいるのは、数多くの奇跡が起こった結果だと、私は思う。
「そうなの……。その、悪いこと訊いちゃった?」
「いいえ。今となっては、いい思い出です」
「……」
また先生は黙った。殺されかけたことをいい思い出だという子供が珍しいのだろうか? でも、私何度も自分の死を経験してるから、殺される、という状況には結構慣れてるつもりだ。……それでも、実際刃が迫ってきたら、体は信じられないくらい固まっちゃったけど。あの時は本気で死ぬかと思った。走馬灯と未来とがごっちゃになって頭の中が壊れるかと思った。
「と、とにかく。もう授業中叫んじゃ駄目だよ?」
「はい」
私はこくりとうなずく。
「よし! じゃあ、教室入ろうね」
「……はい」
私のことを不気味に思っただろうに、それでも態度を変えない先生に、私は尊敬にも近い感情を抱いた。
……いい人だな。
私はそう思いながら、教室に入った。さあ、授業の続きだ。これが終わったら昼休み。それからまた二時間終わって、帰宅。帰ったら株の様子を見て、お金を増やして、それからお父さんと……。
私は席について、この先の予定を組んでいく。未来は相変わらず見えているが、特に注視しない。見る必要は特にないと思ったからだ。
……こんなこと、人生で初めてだった。
「……ねえ、ミリアちゃん!」
「なんですか、アカネ」
お昼休み。配給制の昼食を終え、静かに本でも読もうかな、と思っていたところに一人の女子生徒が私の席まで来た。
「ねえねえ、一緒に遊ばない?」
「何をして遊ぶのです?」
「お姫様ごっこ!」
……またメルヘンな。
「……それをするには王子様役が必要でしょう?」
「当夜君がやってくれるって!」
「そうですか。どこでやるのですか?」
「ここでだよ?」
「……そうですか」
セットも何もなしでよくごっこ遊びができる。感心する。いや、何もないところでも遊べる、それが子供の能力なのかも。
「わかりました。私は一体なんの役ですか?」
「ミリアちゃんは何がしたい?」
「私ですか?」
ごっこ遊びをするなら……そう、やっぱりこの役がいい。
「魔法使い」
「え」
「占いが得意な魔法使いがいい」
「……じゃ、じゃあ、私がお姫様役でいい?」
「もちろんです」
私がうなずくと、アカネが一人の男子生徒を呼ぶ。
「お~い、当夜君! ミリアちゃん、やってもいいって!」
他の男友達と遊んでいた男子生徒は、アカネの呼びかけに応え、周りの男子も連れてくる。
――十年後はフリーター、ね。中卒で働くのは厳しいだろうに、結構努力家だな。――
「へえ、本なんか読んでるから根暗だと思ったよ」
「む。そうですか」
本を読んでるから根暗? なんて偏見! 私から見たら本を読まないなど、無知無学にもほどがある。
「本も読めないお子様よりは、根暗の方がはるかにましです」
「なんだと!? すました言葉遣いしてるからって、偉そうに!」
「丁寧語というのです。無知」
かくいう私も十年後から逆輸入しただけなんだけど。
「んだとぉ!? 俺はお前みたいなお姫様、いらねえよ!」
「私は魔法使いです。占いが得意な」
「はあ!? じゃあ占いやってみろよ!」
……ほんっと、やりやすい。
「いいですよ。……『気をつけて――口と背中に、ご用心』。ま、こんなもんですかね」
「んだよ、それ」
「ま、訪れてからわかる未来です」
「……当てずっぽうだろ?」
「さあ、どうでしょう」
「……と、とにかく、はやくやろうぜ!」
トウヤは周りの男子生徒に言いました。
「……では、ストーリーテラーも私がやってもいいですか?」
「すとーりーてらーってなんだよ?」
「……はあ。物語のかたり……ストーリを言う人です。要するに設定のことですよ」
語り部、と言おうとして、無駄なことに気づいた。……子供相手はやりにくい。大人となら話せるのに、同年齢の子供とは、まったく話が合わない。まず語彙がないこと。次にいちいち言葉を説明しなければならないこと。最後に何も考えず感情だけで動いていること。最後のが我慢ならない。
「……だめ! 俺らがやんの!てんこーせーは黙ってろ!」
「そうですか」
アカネとトウヤ、その他大勢の男子生徒が設定を話し始めた横で、私は『読みかけていた本を読み続ける未来』を見る。まあ、ようするにほんの続きが気になる。
……。
「おい、ミリア!」
「……つまらない」
「あ!?」
「なんでもないです」
冒頭は結構よかったのに、案外つまらない物語だった。
「それで、どうなったんです?」
全部知ってますが、一応訊いておきます。
「俺が王子様、茜がお姫様、こいつらが兵士、お前が悪役だ!」
「構いませんが」
魔法使いと言ったのに無視ですかそうですか。では、本物の『悪』を、教え込んでやろうか。本物の、本気の悪意を。私が体験する予定だった、際限のない最上の悪意を。
…………む。
「では、私は悪役。さ、アカネ、こちらへ」
「え、あ、うん」
やりすぎて先生に怒られるシーンが見えたが……今はその未来を甘んじて受け入れよう。……こいつらがムカつく。鉄槌を下さねば。
「さあ、かかっておいで坊やたち! 早くしないと、お姫様を殺してしまうよ?」
私は手刀をアカネ姫の首に当てて、高らかに宣言します。
「……姫はやらせるか! さあ、行け野郎ども!」
残念、後半悪役のセリフ。
「……ふふふ、かかってらっしゃい」
子供の遊びは全部本気。小学一年生となるとももっとそれが顕著に表れる。こっちは手加減するけど、向こうは手加減なんて考えもしないだろう。……いや、正直普通の子供を見たのはここが初めてだから完全な偏見なのだが。……未来を見ても、手加減をしてくれる様子はない。
「……え、えっと、助けて、王子様ー!」
白馬の王子は現れる。けれど、悪役にぼこぼこにされる。今日のシナリオは、これに尽きるわ。
「おお! 今行くぜ、茜姫! 魔女ミリアをやっつけてからな!」
あ、『殺す』じゃないんだ。いまさらながら、相手が小学一年生だと認識する。
「……ふふふ」
ま、手加減する気は一切ないけどね! さあ、私の力に勝てる者がいるなら、この哀れな姫を助けてやろう!
私はいつの間にか、完全に役になりきっていた。私もまだまだ子供、ということか。……はあ。
「……ミリアちゃん?」
「……ごめんなさい」
昼休みが終わった。お姫様ごっこの結果は、私の見た未来通りになっていた。
教室中に泣き声が聞こえる。全部が男子のものだ。
「なんでこんなことになったのか、説明できる?」
「お姫様ごっこの悪役やってたら、いつの間にか本気の喧嘩になってました」
「……また的確な」
さすがの先生も戸惑っているようだった。
「あ、それと、先生」
「え?」
「私、別に悪役が嫌だからこんなことしたわけではないので」
「え、あ、そう……」
なんか『この子は転校生なんだから、ちゃんとお姫様役やらせてあげてね?』みたいなことをクラス中に忠告する未来が見えたので、即刻阻止する。なんだそれ。それじゃ私が悪役押しつけられた腹いせにマジギレしたイタい子供じゃないか。
「じゃあどうして?」
「……役にはまりすぎてました」
ま、まあ、悪役やってるうちに本気になる私も十二分にイタいが。はあ。らしくない。
「そ、そう。ちなみに、どんな役だったの?」
「未来のすべてを見通せる悪の魔法使いの役です。魔法使いは――」
暴れているうちに頭の中で繰り広げていた裏設定を話しそうになって、やめる。まずい。まずい。今のは本気でまずかった。今のを言ったら、まず間違いなく変人扱いされる。いや、なぜか私が被虐待児扱いされてる。なんで? ……あ、そういうこと。たしかに、私の想像は普通の子供と違うけど、だからって『実体験だ』だなんて推理しなくても……。
「――お姫様を攫って、眠らせようとするのです。そこに颯爽と現れる王子様とその一団。しかし私は彼らを蹴散らします。なぜなら」
「な、なぜなら……?」
「なぜなら、彼らがあまりにも弱かったからです」
「……」
先生がかくりとずっこけそうになったのを私は見逃さなかった。……そんなに変かな……?
「……とりあえず、ミリアちゃんはしばらくお姫様ごっこ禁止ね」
「はい」
ま、その辺が妥当な罰だ。
「じゃ、お勉強しましょうね~」
「本当にこんな調子でできるんですか?」
いまだに泣いている子供は少なくない。
「あなたのせいでしょうが……」
「そうでした」
結局、その時間は先生が生徒を慰めるのに使いきってしまった。……さすがに申し訳なくなったけど、後悔はしていない。男子が私を尊敬し、畏怖するのなら、安いものだ。……これで、学校生活がやりやすくなる。暇だし、この学校を牛耳ってやろうか。あと六年。長い、長すぎる。これだけあれば、学校の一つや二つ、簡単に落とせる。
……ま、冗談なんだけど。
今日の学校はそんなことを考えてるうちに終わっていた。……さて、家に帰ろう。必死で稼いで住めるようになった私の家だ。さ、帰ろう。