名前設定と強制睡眠
「……平和、だね?」
「そうだな」
「そうですね」
「…………うん」
僕は世界に入ってその第一印象をつぶやいた。……平和だ。平和な空気がそこかしこに充満している。
そんな気がする。ここはどこだろう? 広くて、たくさんの人がいて、近くの大きな建物には、看板が大きく……あ、これってもしかして『駅』? 多分そうじゃないかな、と僕は見当をつけた。
「……ここって、どこ?」
「……日本、東京、池袋駅だな。だいたい、ミリアのいた世界から完全に科学よりに進歩して、時代区分的にはララがいた世界の三世紀ほど前で、この世界の歴史的には現代日本、とある」
「へえ。どんな国? 人殺しとか、異教徒狩りとか、あるのかな?」
僕はとりあえず訊いておく。
「人殺しはあるがごく少ない。異教徒狩りはない。というか民衆に定まった宗教がない」
「そんなっ!?」
ララの世界と同じようにまたミリアが愕然と叫んだ。
「…………あなた、未来が見える……はず」
「今この世界に危険があるかどうかを見ていて近くの未来まで気が回らなかったんです! ……宗教がないってどういうことですか!?」
「どういうこともないだろう。とにかく、この国に人の生死を左右するほど力を持った宗教はない。……安心しろ」
「……わかりました。でも、じゃあ一体人々は何を糧に……」
ララの世界でも言ってたけど、ミリアには国教がないってことが信じられないみたい。
「む、ルウ」
「なあに?」
「名前を決めねば」
「……名前?」
僕は言いながら、ララの世界での会話を思い出していた。たしか、苗字がどうとか僕が言って、それきりだったような気がする。
「なあ、ルウ。五芒星というのはどうだ?」
「……あの、トレースさん、本気で言ってます?」
「本気だ」
ルウ・五芒星。ミリア・五芒星、ララ・五芒星。……ごめん、正直ありえない。
「…………どうして、五芒星?」
「いい質問だ、ララ。かの昔、高名な学者が仲間の印として手に刻ませたらしい。だから、いつどこにいても名前を見れば仲間とわかるよう」
「……それは、ペンタグラムというのでは……? たしかに、五芒星ともいいますが、名前にするにはごろが悪すぎます」
ミリアが呆れたように言った。
「む。そうか。ならば君たちの名前はペンタグラム。これで文句はないか?」
ルウ・ペンタグラム。ミリア・ペンタグラム。ララ・ペンタグラム。
「……うん、いい感じ」
「苗字、ですか。……まあ、気に入りました」
「…………苗字が私にあるなんて……」
「そうか、気に入ってくれて何より」
トレースが誇らしげに言った。ペンタグラムか。僕はルウ・ペンタグラム。……トレースがつけてくれた、いい名前だ。
「さ、トレース、名前も決まったところだし、行こうよ!」
「そうだな。……ん、おい、ルウ」
「……どうしたの?」
トレースが、適当にどこかへ行こうとする僕を引き留めた。
「ふらふらしてるぞ、大丈夫か?」
「……ふ、ふらふらなんて、してないよ?」
世界が揺れてるだけだよ。この世界に入ってからだから、この世界はずっと揺れてるものだと思ってた。
「……ふらついてます。……言っても無駄ですけど、倒れられてもいろいろ面倒です、こちらに来てください」
「だから、ふらついて、なんか……」
というか、どうして僕がふらつかなきゃいけないの? 風邪をひいたわけでも、何か重病にかかったわけでもない。攻撃をされたわけでもない。何もないのにふらふらするなんてありえないじゃないか。
「未来でも見ましたが、信じられないので一応訊いておきます」
「な、何?」
「あなた、最後にいつ寝ましたか?」
「ね、寝る?」
そういえばいつ寝たっけ? ええっと、たしか生まれてからすぐにトレースに出会って、それから、それから……。
「まさか、一度も寝ていないのでは?」
「……うかつだった」
トレースがまさにしまった、という顔をして僕を見た。
「すまなかった。本当に気付かなかった。そう言えばキミ、ボクと出会ってから歩きっぱなし戦いっぱなしだったな。……よく耐えた方だと思う」
「……な、なに、言ってるの、さ?」
なんだか意識がなくなりかけてる。のにも関わらず、それを望む僕がいる。意識がなくなるなんて怖いこと、嫌なのに。
「ま、まあ、そのお詫びにボクが倒れたキミを運んでやるから、安心して」
少しづつトレースは僕に近づいてくる。
「僕は眠くなんてない! だから、早くどこかへ行こうよ! 早く、早く早く!」
「今は無理です。今は体を休めることに集中して」
「ミリア、ちょっと黙っててくれるかな!?」
僕はなぜか怒鳴ってしまう。
「…………駄々っ子?」
「言うなララ。眠いんだろうから、荒れてるんだ」
「…………子供?」
「中身はまだ一日そこらしか生きてない」
「…………私、とんでもない人についてきちゃったかも」
「奇遇ですね、ララ。私も同じことを思っていたんですよ」
「…………知ってる」
「そうですか」
みんなはまるで僕がわがまま言っているように軽く流す。どうして? 別に、いいじゃないか。眠たくなんてない、眠たくなんてないんだから。僕は旅人なんだから、せっかくきたここで、平和なここで楽しまなきゃどうするの?
「……ぼ、僕は一人でも行くよ!」
「あ、ま、待てっ」
僕はトレースたちを置いて、どこかに行こうとする。と、壁にぶつかった。ぶつかったはずなんだけど、はじかれる様子もない。あれ? どうしたんだろう?
「る、ルウッ!?」
「お父さん!」
「…………お父さん!」
あ、これ床だ。そう気付くころには、僕の意識がぶっつりと切り裂かれるように消えた。