次の世界へ向かって
「…………お父さん」
「どうしたの、ララ?」
「…………呼んでみただけ」
白黒チェックの床、果てしない広さ、無数の扉のある故郷を僕たちは歩く。ララを助けてから長い間歩いてるけど、その間会話はほとんどなく、時たまララがこうして僕を呼ぶくらい。
「ずいぶん慎重になりましたね」
「…………うん」
慎重になった、っていうか、人格変わっちゃってるよ。つい数時間前までは明るく快活で、笑顔がよく似合う女の子だったのに。……まあ、今のララでもかわいい、ってつい思っちゃうけど。ああ、娘にいやらしいこと考えるなんて、僕はなんて父親だろう。
「そう言えば、ララ、ここの心地はどうだい?」
ララが不思議そうに僕を見た。まあ、ミリアはここに初めて来たときすごく苦しんだから、ララもおんなじことにならないかって不安でさ。
「…………心配してくれて、ありがとう」
「え?」
あ、そうだった、この子、心が読めるんだった。
「…………忘れてたの?」
「うん」
「…………不思議な人」
ううん、誉められてるのかな?
「間違いなくほめられていないな」
「トレースって僕の心が読めるの?」
ときどきそうとしか思えない言動を彼女はする。
「……読めてはいない。が、だいたいわかる」
「すごいね」
「道具として当然のたしなみだ」
「仲間、だよね?」
「……そうだったな」
もう、しっかりしてよ。
「でも、ララ、なんでここが怖くないの? 天井も壁もないのに扉がいっぱいあって、床は白黒模様で、それなのにどうして?」
「…………ここの誰も、ここを怖がってないから」
……ふうん。
「…………それに、ここにはお父さんたち以外の心が見えないから。私、あそこじゃずっと、人の心が見えてたから。ときどき、どれが本当の私か、迷いそうになって怖かった」
「そうなんだ」
ララもララで、苦労してるんだ。
「…………あの人たちが私を殺す算段を、心の中でつけていくのを見て、本当にバラバラになりそうだった。あんまりにも強い思いのせいで、声まで聞こえて、感情までじかに感じて、どこからどこまでが私で、どこからどこまでが他人なのかわからなくなった」
「……そうなんだ」
普段は心の声って聞こえないんだ。だから心が読める、って言い方をしてたんだ。
「だから、私を気遣う心が見えたとき、本当にほっとしたの」
「そう」
「ありがとう、お父さん」
「お礼はみんなに言ってよ」
「…………ありがとう、みんな」
ララはぺこりとみんなに頭を下げた。
「気にするな。ボクは命令を実行しただけだ」
「お父さんが言うんですもの、仕方ないじゃないですか」
みんな素直じゃないなあ。
「ところで、お父さん」
「何、ミリア?」
ララの横を歩いていたミリアが、僕に話しかけてきた。ついさっきまでは毛嫌いしていたみたいな雰囲気だったのに、今はずいぶん仲良さそうだ。
「そろそろ入りませんか? 私、足が疲れました」
「……それは口実か?」
「いいえ? 私、ここでは未来が見えないんですよ、トレースさん。お忘れですか?」
そう言ってミリアは手首のブレスレットを僕たちに見せる。あ、たしかここ限定で能力を封じるトレース特製のブレスレットだよね?
「忘れていた。あの時はキミが発狂するのではないかと焦ってな」
「もう、心配しすぎです。……まあ、あれが何時間も続けば私だって、正気でいれたかどうかわかりませんけど」
相変わらずミリアは綱渡りだなぁ。それってあれでしょ、僕がトレースを連れていなかったらそうなっていた、ってことでしょ? ……やっぱりミリアって苦労してるなあ。
「ねえ、ちょっと思ったんだけどさ、ミリア」
「なんですかお父さん」
「今、自分が死ぬ未来ってあると思う?」
「……さあ。今は、何も見えないですから。……もしかしたら、あるかもしれません」
意外だなあ。ここで何が起こるって思ってるんだろう?
「ちなみに何が起こりそうなのかは、絶対に言いませんので。想像の域を出ませんし、もしそうなら口を割るべきではありませんので。……そう、たとえトレースさんに拷問と凌辱の限りを尽くされたとしても、です」
「おい、ミリア、口には気をつけろ!」
「……なんです? 私、口には気をつけてるつもりですが」
「そういう意味じゃない! 内容に気をつけろと」
「ねえ、トレース」
何やらわめくトレースを遮って、僕は話しかける。
「な、なんだ、ルウ」
「『りょうじょく』ってなあに?」
「……」
「……トレースさんがおっしゃった意味が、わかりました。すみません。全然未来が見えないもので……油断してました」
「…………私も、それの意味、しらない。心の中では何度か『いつか絶対凌辱してやる……』とかいうのを見たことはあるけど」
「ちょっと待て、それは誰が誰に対してだ?」
「……? 開発部部長が、研究部部長に、だよ?」
「……あの男か」
あの男? ええっと、ララのいた世界で、トレースがあの男、だなんて酷い呼び方する人と言えば、ララを叩いた人だね。へえ、そんなこと思ってたんだ。
「どんな意味なの、トレース。教えて?」
「……ぼ、ボクにはできない」
「ミリア?」
「……そ、それは……うう。お、お父さんなんですから、子供に教えを請わないでください!」
「あ、そうだった。じゃあ、トレース」
「……だから、ボクにはできないと……」
「……ううん。ここは、恥をしのんで、ミリア?」
「だから」
「お願い」
「……そ、そんな顔で見つめても駄目です! いくらきれいで童顔だと言っても、あなたは男性なんですから、私からその定義を教えることはできません!」
ずいぶん難しい言葉で拒否された。意味はわかるけど、それをすらすらと言えるミリアに驚く。
「……と、とにかく! 今は世界に入ろう、な?」
「……ううん、わかったよ」
「…………次の、世界。旅人。……楽しみ」
「ララさん、楽しみなのは私もおおむね同意ですが……。未来がまた見えるようになるのを考えれば、結構憂鬱なんですよね……」
「じゃあ、やめとく?」
「行きます! こんなところで独りぼっちで過ごすなんて、気が狂ってしまいます!」
「おおげさだね」
「……大げさなんかじゃ……ああもうそれでいいです。余計なことは何も言いません」
「賢いぞ、ミリア」
「トレースさんは放っておいてください」
「……むう」
「あはは、じゃあ、行こうか」
僕はそばにあった扉を開き、一気に向こうに入る。
新しい世界は一体どんなんだろう?
すごく、楽しみだ。