病気の彼と陽気な少女、二つの転機
科学技術研究所。
この国で一番大きい施設の名前は、そういうらしい。厳重に警備され、手厚く保護されたその施設に、僕たちは入った。
無機質なロビーに、たくさんの窓口があって、そのそれぞれに『心臓重病科』など重々しい名前がつけられている。
「……あの人は、あっち」
ミリアは迷いなく一つの受け付けに向かう。
「すみません……」
「……あ、深野 矢間様のご友人ですね?」
『循環器病科』の受付の人に訊かれ、僕たちはうなずく。
「病室はこちらになっています」
「……ありがとうございます」
ミリアが丁寧にお礼を言った。示された先には、とても大きな扉があった。表札には、『深野 矢間様』とあった。厳重そうではないが、それでもいかめしい雰囲気を感じずにはいられない。
「……失礼します」
ぎ、ぎ、ギギィ……。重低音を響かせて、ミリアは病室に入った。
「……よ、よお」
「深野さん」
大きな、病室のベッドに、いくつもの管につながれた少年が横たわっていた。彼は弱弱しく手を挙げた。
「名前、知ってたのか。そりゃ、占い師だもんな。俺がこうなるのをわかってて、あんなこと言ったんだろ?」
ミリアが彼に強く帰るように言ったことだろう。
「ええ。病院にいれば、すぐに搬送されると思って……」
「……はは、やっぱあんたは最高だ。で、何の用? 俺、ちゃんと金払ったよね?」
いぶかしげに訊く彼に、ミリアは首を振って否定した。
「……お金は、ちゃんといただきました。けれどまだ、占いは終わっていません」
「そ、そうかよ」
「……あなたは、自分の未来を知っていますね?」
「ああ。占いなんてなくても、充分」
ミリアは、そこで微笑んだ。
「私の見ている未来は、一つあります。あなたの手術は、成功します」
辛そうに、苦しそうに。
「へ、へえ。うれしいね」
「あなたは手術が成功して元気に元気に走り回れます。……だから」
「わ、わかってるよ。ありがとよ。俺にも、少しは運が向いてきた、みたいだな……」
「……ええ、そうです。だから、どうか……」
部屋中にブザーが鳴り響いた。白衣を着た人間がたくさん部屋に入ってくる。最後に入ってきた人が、僕たちに言った。
「これから手術を始めます。邪魔なので、どこかへ行ってください」
「……はい」
その言い方は酷いんじゃない? そう思ったけど、ミリアは何も言わずに部屋を出て行った。仕方ないので、僕とトレースも続いて出ていく。
ゴウン、と重い音がして、そのあと、鍵がかかる音がした。
「……どうした、大丈夫か?」
「……はい」
「でも、彼、死ななかったね。よかったじゃない」
キッと、ミリアにすごい目で睨まれた。そのあと、落胆したような顔になって、ミリアは言う。
「……まだ、わからないんです。 あの人が手術をして助かる確率はほぼ五分五分……。助かる可能性も、助からない可能性もあるんですよ。私は出来るだけ確率を上げようと、励ましてもみましたが、効果があったかどうか……」
「あるさ。なんといっても未来視のキミが『視た』未来なんだ。必ず訪れる」
「……ありがとうございます、トレースさん」
僕はまた、蚊帳の外。まあ、確かに彼が死ぬのを見るものだとばかり思っていた僕も悪いんだろうけど。じゃあなんでミリアは看取らなきゃ、なんて言ったんだろう?
「あ! ルウとトレース、それにミリアだ!」
「……ララ」
とてとてとかけてきた銀髪の女の子に、ミリアはうんざりそうに言った。
「こんにちは、ララちゃん」
「こんにちは!」
「……さっきも会ったな」
「うん、そうだね、トレース!」
けらけらとララは幸せそうに笑った。同じ調子で挨拶しようとミリアの方を向いて、不快そうに眉をひそめた。
「……ううん、あなた、あんまり見たくない。頭のなかいっぱいになる!」
「なら見ないでください」
「ううん、なんで『この実験動物が』とか思ってるの? 変な人!」
「あなたの方が変です。自覚なしが一番手に負えないのです。私は自分が何かも自覚せず、ただ与えられる境遇を享受しているような人間が大嫌いです」
な、なんかすさまじい切れ味の悪口だね? なんでそんなにララのこと嫌うのかな?
「ほら! この人だって『なんでララのこと嫌うのかな』って思ってる! ってことは私のこと好きなんだ!」
「自覚なし、天然、自己愛! 最悪な三拍子がそろってますね。平和に暮らせるあと数時間、せいぜい謳歌してください」
「……うう~! 変な人、変な人! あなた、ただの不思議ちゃんじゃない?」
「……怒りますよ? なんですか不思議ちゃんって。不思議なのはあなたです」
「あなたの方が不思議だよ。なんでそんなに未来のこと考えてるの?」
「考えてるのではなく、視えてるのです。その程度の区別も出来ないのですか?」
「う、うう~!」
もう、何が何だか分かんない。
「……もうやっ!」
「あ、そっちは……!」
ミリアが制止する間もなく、ララはどこかへ行ってしまった。
「……何があったのだ、ミリア?」
「あれは人の心が見えます」
「……え?」
僕は素っ頓狂な声をあげた。人の心が、見える?
「そのせいでとんでもない目に遭うのですが、自業自得です」
「……とんでもない目?」
僕は聞き逃さなかった。
「ええ。前々から、ララの処分はどうするか、この中でも考えがまとまっていなかったそうです。……そこに、ララがとんでもない心境を声高に言ってしまいます。……三、二、一、このタイミング」
そうミリアが言うと同時に。
「……こ、のガキッ!」
どなり声と、何かを殴る音。何かが殴られる音。
「行こう、トレース! ミリア!」
「わかった!」
「……はあ」
僕たちは音のした方へ走った。