戦い続ける、ということ
『忘却の庭』から出てすぐの場所に、トレースはミリアを横たえた。
「……これから、おおよそ三日から四日、ボクは動けなくなる。だから、ルウ。キミにボクたちを、守ってほしい」
「わかった」
「一睡もせず、だ。……辛いことを言っているのは承知だ。だが、それしか手がない」
「わかってるよ」
三日だろう? それぐらいなら、僕にだってできる。僕は、メリメが言っていたようにお飾りの、怯えるだけのお姫様じゃないんだ。僕は腰の双剣、コンシャンスを構えて周囲を警戒する。
「敵が来たらどうすればいい?」
「キミに任せる」
じゃあ、追い払おう。敵だって、ある程度痛めつければ、きっと帰るだろう。トレースはコンシャンスを構えた僕に安心したのか、ミリアのところに行って、傍らにかがみこんだ。きっと、もうミリアを助け始めているんだろう。……いや、治している、のかな?
「おい、お前ら何してる?」
「……あなたは?」
さっそく、ぼろぼろの服に身を包んだ一人の男がやってきた。
「俺か? 俺はな、お前らを助けに来たんだ」
「間にあってます」
この人の言葉がウソだということぐらい、いくらなんでも見抜ける。
「そうかよ!」
「っ!」
やっぱりというか、襲いかかってきた。剣を持って構えている僕に構わずまっすぐに、動けず、うずくまっているトレースとミリアに向かっていく。
「させるもんか!」
順手に握った左のコンシャンスを思いっきり振る。けど、その剣は男の体を通り抜けるだけだった。
……しまった!
「トレースッ!」
叫ぶけど、届かない。いや、届いているんだろうけど、反応がない。今、トレースはミリアを治している真っ最中。僕や外界に構っている暇なんて、ないんだろう。じゃあ、このまま、二人を見殺しにするのか?
……いやだっ!
「やあっ!」
振り切った体勢のまま、返す刀で逆袈裟に斬る。
「ぎゃあっ!」
男の服と、背中の皮が切れて、血が流れた。振り返って、僕を見る。
「や、やりやがったな……?」
「ええ。……早く、どこかへ行ってください」
ある程度語気を強めたけど、効果はなかったみたいだ。けど、男は僕とコンシャンスを交互に見て、それからあわてたようにどこかへと去って行った。
完全に彼の姿が見えなくなってから、僕は一息ついた。
……やっと、ひとり。それも、かなりぎりぎりだった。
なんてこと。こんな調子で三日間も二人を守りきれるのか?
……そこで、はたと気付く。
「しまった」
『三日間』って、どれくらいの長さだ?
僕の頭にある情報には、『一日を三回過ごすこと』とある。僕はこの世界の『一日』も、どころかどの世界の『一日』も過ごしたことがない。最初の世界だってせいぜい三、四時間、その次で二時間ちょっと、ミリアの世界で三時間ぐらい。まずい。『一日』の区切りがわからない。昼になって夜になれば『一日』なのか? それとも、何か世界ごとに決めごとがあって、トレースはその決めごとに従って『三日間』と言ったのか?
「……と、トレース」
訊こうとして、はっとなる。今、トレースは何も答えてはくれない。自分の中で、答えを見つけなければいけない。もしかしたら気が遠くなるぐらい長い時間、守り続けなければならないのかも知れない。……その時まで、僕はこの剣を、振るい続けなければいけない。体力的にも、精神的にも僕は持つのか?
そこまで考えると、急に周りが怖くなってしまった。
ただの暗闇に、人が潜んでいないか、と疑ってしまう。
僕の死角に、敵が二人を殺そうとしてはいないか、と警戒してしまう。
何もないはずなのに、誰もいないはずなのに。警戒するのも危機感を持つのも、足音が聞こえてからでも充分間にあうはずなのに、僕は怯えていた。
「……な、なんだこれ」
これが、三日間? 一日もわからないのに、これが三日間も続くのか?
「……もしかしたら、僕は……」
守れないかもしれない。そんな風に悩み始めたところで、足が地面を噛む音が聞こえた。
「……!」
声のした方を振り向き際、確認もせずに斬りつける。今度は掛け値なしの攻撃の意思が入った斬撃だ。よけられるはずが……。
「おっと。気が立ってるな、ルウ」
「……っ、リンク……」
リンクは僕のコンシャンスを、よけるどころか手で受け止めていた。その手のひらには傷一つついていない。
「こんななまくら使うなんて、お前よっぽど貧乏なんだな」
「ち、違うでしょ? 君が強すぎるだけで……」
「吸血鬼は力は強いが防御力はほとんど人と同じだ」
「そんなわけないよ」
吸血鬼って、化け物なんだから。化け物が人と同じ、だなんて。
「要らねえんだよ。こっちには防御力の代わりに超回復があるからな。首吹っ飛ばされても一瞬で生き返る自信があるぜ?」
「……そんな」
全然人と同じじゃない。果てしなく違う。
「そんな化け物を見るような目で見るなよな。俺よかお前の連れてる道具の方がよっぽど化け物だぞ?」
「トレースは化け物なんかじゃないよ」
「どうだか。……って、あいつ何してんだ? さっきのガキも倒れてるし……。もしかして、叱るつもりが勢い余って殺しちまって、それで祈りを捧げてる、ってわけじゃねえだろうな?」
「違うよ」
いったいリンクはトレースをどんな目で見ているのだろうか。
「今、ミリアを助けているところ」
「助ける? 何かあったのか?」
僕はさっきまでのことをかいつまんで説明した。メリメのことはリンクもよく知っていたのか、あの子の名前が出たときは少しだけ顔が不快そうに歪んだ。
「……そういう理屈か。あのガキが絡んでたのかよ」
「知ってるの?」
「ああ。俺を吸血鬼だと知ったとたん、洗脳しようとしてきやがった」
「それで、どうしたの?」
今僕の目の前に要るリンクが普通にしている、ってことは記憶をどうにかして守りきったか、記憶を上書きされたけど復活できたかのどっちかになる。リンクとすれ違ったのはほんのちょっと前だ。もしリンクが後者だったら、ミリアにもリンクが使った方法が使えるかもしれない。
「十六年前の記憶から先が全然別物に入れ替わってな、ビビったよ。ま、それ以前のはさすがに予想してなかったみたいで、すぐに修正できたけどな」
「…………、そうか」
トレースとリンクが、記憶を上書きされてもすぐに復帰できた理由。それがわかった。わかっても、ぜんぜんいいことなんて、ないけど。
「じゃあ、ミリアは……」
「ん?」
トレースも、リンクも、外見に似合わない年数を生きている。トレースは十万年、リンクはわからないけど、間違いなく年相応ということはないだろう。
そして、メリメは、おそらく自分の指定した分だけ、記憶の消去と上書きを行えるんだろう。だから、メリメはトレースにもリンクにも外見相応の年数だけ記憶を消して、上書きした。
……でも、もしそれでも人格を変えることができなかったら、それはされた側にも『嘘の記憶』として処理され、なかったことになる。その代わりに、元の記憶が思い出される。つまり、あの子の記憶を消す能力も、完璧じゃないんだ。
「……ねえ、リンク」
「なんだ?」
「三日間、ってどれくらいの長さ?」
「……はあ?」
いきなり何を訊いてくるんだこいつ、という顔を隠そうともしないでリンクは言った。
「三日間って、どれくらい?」
「いや、それぐらいお前わかるだろ。……お前もメリメに記憶消されたのか?」
僕は首を振って否定した。
「……じゃあ、もともと記憶がないのか」
「……うん」
リンクは驚いたような顔をする。
「へえ、意外だな。で、一応訊いとくけど、お前最後の記憶っていつぐらい?」
「……だいたい、八時間ぐらい前」
「まじかよ」
うなずく。最初の記憶……。白と黒の床、果てのない奥行き、無数の扉。天井には闇、そして、お母さん。
「……ん? ちょっと待てよ。それじゃあ、お前どうやってここまで来た?」
「え?」
「あの道具に異世界移動の力なんてなかったはずだ。それなのに、あいつとお前はここにいる。……じゃあ、誰が? ……思い出したぞ。そう言えば、一番最初にお前と会った時、お前草原のど真ん中で扉をくぐろうとしてたよな? それと関係あるのか?」
鋭い。さすが、吸血鬼。
「……沈黙は答えなり、だ。そうか。お前が、異世界移動能力を持ってるのか」
「変、かな」
「いいや? 全然。俺からしたらあのガキの方がよっぽど変だ」
それには違いない。
「……ま、なんで三日間の長さを知らないかはわかった。けどよ、なんでそんなこと訊くんだ?」
「あの二人を、三日間守り通さないといけないから」
「……正気か?」
「うん」
自信を持ってうなずく。僕はとち狂って二人を守ると言っているわけではなく、ちゃんと考えて守ると決めたんだ。それに、僕は狂ってなんかいない。
「お前、三日間戦い続けるつもりだったのか?」
「うん」
「……はあ。ったく、世間知らずのガキは困るね。自分で何でもできると思いこむ」
やれやれとリンクは嘆息すると、黒マントの中から大ぶりの黒剣を抜いた。
「……やる気?」
警戒心が強まっている僕は、それを敵対行動だととった。
「はん! 俺がお前を殺そうとしたらもうお前死んでるって」
「じゃあ、なんで……」
「手伝ってやるよ」
「え?」
僕は我が耳を疑った。リンクが、手伝ってくれる?
「お前、見てて危なっかしい。誰かが監督してやらなきゃすぐにでも死にそうなぐらい、な。普段はあの道具がその役やってんだろうけど、今はあいつ、無反応だからな。俺が代わりにやってやる」
「……で、でも、僕は君の仕事失敗の生き看板だ、って」
「だからってお前みたいなガキほっとけるかよ」
そっけなく、リンクは言った。……子供扱いなんて、酷い。でも、実際僕は数時間しか生きていないんだから、子供も子供、まだ赤子の時点だろう。それなら、仕方ないと思える。
「……それに、ちょっとばかしこっちにも用事があったし、ちょうどよかったんだよな」
「……?」
こっちに用事? なんだろうか?
僕は完全にリンクに対する警戒を解いて、そう思った。