記憶とは何か?
扉を開けると、メリメが僕らを待ち構えるようにして座っていた。さっきと姿勢も態度も変わらない。けど、その瞳には戦おうとする意志が見て取れた。
「……また来たんだ。意外だな」
「なぜそう思う?」
「おんなじことを何組かにやったけど、奪い返しに来たのはあなたたちが最初。だから意外。私としても、こうして面と向かって戦うのは好きだ」
柔和な少年の顔のまま、彼はとんでもなく残酷なことを言う。なんで、こんなにもこの子はゆがんでいるんだろう。
「そうか。ボクは大嫌いだ」
「どうして? 万能の道具なんだろう? もちろん、人殺しも得意なはずだよな?」
「得意さ。けれど、それがイコールで好きかと言われれば、違う」
「変なの。……で、後ろのは何するの? もしかして、ただ震えてるだけのお姫様役」
「まさか。僕は、ミリアを助けに来たんだ」
僕はメリメを見ずに、ただ変わってしまったミリアだけを見て言った。
「助ける? 何を言っておられるのです? 私は、常にご主人様のものです」
「君のその人格は、造られたものなんだよ。その子の能力によって」
「だからなんです?」
ミリアは、意外な反応をした。
「たとえ私が誰かに造られたものであろうと、私は『ご主人様に仕える従僕』以外の自分は認めません。もし、本来の『私』があなたたちと既知の仲で、ご主人様と敵同士であったとしても、今の私を否定するというのなら……。私は、『私』を否定します」
僕は何も言えなくなった。おかしいじゃないか。どうしてこんなにも、造られたばかりの人格がはっきりと物を言えるんだ。……僕みたいなものなのか?
「……おかしい。おかしいぞ、ルウ」
「どうしたの? 彼の能力も、僕と同じような人格を生み出せる能力じゃないの?」
「違う。そんな能力、彼が持っているはずがない」
「どうして言い切れるの?」
僕の質問に、トレースは苦渋に満ちた表情で言った。
「……それは、メリメの目を見ればわかる」
そう言われて、僕は初めてメリメの目を、顔を見た。
「……くくく」
彼は、笑っている。何も知らない僕らを、声高にして嘲笑う。
「あーっはははははは! 面白い、本当に面白い!私の能力が『人格を造る能力』? そんなちゃちなものであるはずがない! 察しが壊滅的に悪いあなたたちに教えて差し上げよう! 私の能力はたったひとつ、他人の記憶を作り変えることだ! 一から十まで何から何まで、ウソの記憶を植え付けることができる!」
……そんな。
「……まずいぞ、ルウ」
「何が?」
たしかに、人格を造る能力じゃないということは、わかった。でも、何かそれで問題があるのだろうか? 打ち合わせ通りに、ミリアを連れ去って、人格を戻して……。
「ミリアは、助からないかもしれない」
「……なんで?」
なんで急にそんなこと言うの? 助かるって言ったじゃないか。キミは、命令されればミリアを助けれるって、断言したじゃないか。それなのに、どうして?
「話が、違うよ」
「わかっている。本当に、……いや、謝って許してもらえることじゃないな」
「君は万能の道具なんだろう? どうして、できないの?」
どうして? 僕はそれを聞いてるのに、どうしてそんな言い訳みたいなことばっかり言うの?
「……ボクは、造られた人格なら、それを取り除けば元の人格が戻ってくると思っていた。……だが……」
苦々しげにトレースは首を振った。メリメは可笑しそうに、ミリアは不思議そうな顔で僕たちの様子を見ている。
「だが、記憶となれば、話は別だ……」
「どうして? 同じようなものじゃないか!」
「それは、私から説明してやろう」
笑いをこらえたような顔のメリメが、頼んでもいないのに僕たちの話に割って入ってきた。
「記憶とはなんだ?」
心底面白そうに、メリメが僕を指さして言った。
「……思い出とか、そういうの」
「あっはははははは! まるで子供みたいな回答だな!」
ただ普通に答えただけなのに、大笑いされた。……なんだろう、この、胸がもやっとして、おなかが渦を巻くような感じは。
「思い出? 記憶がそんな程度だとでも? いいか、記憶とは『全て』だ」
「……すべてだと?」
「そう。そうだよ自称万能の道具。すべてだ。記憶をすべて消し去られた人間は、もはや記憶がある時の人間ではなくなる。さっき、やってみせただろう?」
おかしそうに頬を歪めながら、メリメはミリアに手をかざした。
「……あ、あ、ああ……。こ、こ、殺さないでください……」
ミリアはとたんに怯え出し、うずくまって頭を抱える。
「今こいつに『今まで普通にここで生活してきたが、突然『託宣の教団』に攫われた』という記憶を植え付けた。ちなみにあなたたちはこいつの前であのイカレどもの司教を名乗ってることにしてる。ちなにみ私もだ」
なんでそんなことを……?
「だから、私がこうやって近づけば……」
「ひぃっ!」
足音で近付いてくるのがわかったのか、ミリアはさらに体を縮こまらせて、体を守ろうとした。
「怯えるってわけ。……で、次」
また、弄ぶようにメリメは手を振りかざした。
「……あ、何、メリメ」
さっきまでの様子はどこへやら、おもむろに立ち上がり、ミリアはメリメに人懐っこい微笑みを向けた。
「なんでもない。ただ、ちょっとだけ、な」
「……なあにそこの人? 敵?」
「まあ、そんなとこだ」
「気をつけて。そこの後ろの人、言ってることは優しいけど、本気で怒ったら手がつけられないから」
「ありがとう。肝に銘じておくよ」
僕たちにやっていたように、ミリアは未来をメリメに教えた。ありがとう、と言われた時のミリアは、頬が赤くなり、目も少しうるんで、とても晴れやかな表情していた。
「……ふふふ、今度は私と将来を誓い合った恋仲、という記憶だ。……これだけやって、今まで私があなたたちに何を教えようとしているのか、わからないはずはないよな?」
わかる。記憶を挿げ替えられるってことは、何もかもを変えられるってことなんだ。……なんだろう、この気持ち。さっきよりももっと強くなった。全身が熱くなって、誰かれ構わず斬りかかりたい衝動に見舞われる。……だめだよ、こんなこと思ったら。まるで殺人鬼みたいじゃないか。
「……ああ、よくわかった。キミは一人でお人形さん遊びが趣味の、どうしようもない人間なんだってことがな」
「……なんだと?」
メリメのおかしそうな表情がとたんに不快そうな色に染まる。
「はっ! だってそうだろう? キミはさっき、ミリアを好き勝手に弄り回した。ミリアはキミに造られた記憶をもとにキミに接する。キミが操ってるも同義だ。……これをお人形遊びと言わずになんという? さすがにその年にもなってお人形遊びしかしたことないとは……」
「黙れ!」
メリメはトレースに手を振りかざす。でも、何も起こらない。
「はん。ボクにその程度の記憶操作が利くわけないだろう。防ぐまでもない。はたしてキミは、貴様は、ボクの十万年を否定できるのか? 創造主をただ待ち続け、ただ望みを叶える道具でありたいと願ったあの日々を、貴様程度に否定できるのか!」
トレースはメリメを蹴飛ばした。なんの能力も付与されていない、ただの蹴り。しかしメリメはそれをよけることができなかった。
「……あ、え?」
まるで、敵意が自分に向くのが初めてだとでも言うように。呆然と、メリメは呆けていた。
「ルウ、急いでミリアを攫って、作業開始だ」
「え、でも」
「努力はする。いや、死力を尽くす。ボクはキミに命令されたのだ。それを叶えられないで、何が万能の道具だ」
トレースは手際よくミリアをさらおうとする。
「え、あなたたち、何を、きゃっ」
「……すまない」
トレースがミリアの目の間で手を振った。するとたちまちミリアは目を閉じ、トレースに倒れこんだ。
「な、何したの?」
「大丈夫、眠らせただけだ」
「ほ、本当に」
「信じてくれ」
僕はうなずいた。トレースは、部屋を出る前に、目を見開いて怯えた表情でトレースを見続けるメリメに視線を送った。
「……ふん。下衆め」
吐き捨てて、トレースはカーテンをくぐった。僕もそれに続く。
「……大丈夫? 治るかな?」
「やってみなければわからん」
幸せそうな人たちの間を抜けて、僕たちは『忘却の庭』を出た。
……あの人たちもみんな、記憶を植え付けられて、すべてを忘れてここにいるのかな。
「……では、始めようか」
「うん。……でも、本当に二時間でできるの?」
「できん。だから、三日四日守り続けてもらうことになるかもしれん」
「……わかった」
三日四日? ミリアのためだ、その程度の日数、守りきれる。
僕は三日どころか二日も生きていない癖に、そんな軽はずみなことを考えていた。