始まりの出会い
カチリ。
二十万年待ち望んだ音は、作成者ではなく、クルスと言う少年でもなく、この世界の住人ですらない人間に似た誰かからもたらされた。
なぜか、彼はいきなりどこかから現れ、そして最初から私のことが見えていたようだ。それだけではない。私が必死の思いで言った言葉が、彼に通じたのだ。気のせいだと思われてと立ち去られるかと思ったが、彼は私に話しかけてくれた。
『……神様というのは、君のことかい?』
返事がしたかった。何がなんでも私はここにいると伝えたかった。
彼はきっとなにも反応がないとわかったらあきらめる……私は再び絶望に襲われそうになった。……でも。彼はあきらめなかった。私と意思疎通をしようと努力してくれた。
『はいの時は一回。いいえの時は二回、風を起こして?』
いちもなくにもなく、私は持てるすべての力を、風を起こすことだけに使った。
きっと失敗するだろうと思っていた私は、驚くことになる。なぜか、風が起こったのだ。偶然か、それとも本物の神様がいたずらしてくれたのか……ともかく、私は彼に自分の存在を証明できた。もうすぐ。きっと、この人は私を助けてくれる。人間ではないけれど、そんなもの誤差の範疇だ。全てを捧げると言ったら全てを捧げる。そう決めたのだ。
いくつか問答をしているうちに、私は彼の前に降り立っていた。私が封印されている空間は毎日上昇したり下降したりを繰り返しているのだが、こんな速度で下降するのはめったにない。……今日はなんだかうれしい偶然が多い。多分外に出れたら、私は神様の存在だけは否定しないようになるのだろう。そんな予想が安易に立てれた。
いろいろと試行錯誤するように彼は封印の空間を触り、そして見つける。私を解き放ってくれるスイッチを。
カチリ。
私はこの音をどれほど聞きたかったことか。どれほどこの瞬間を待ち望んだことか。どんな気持ちで今まで待っていたか。
全ては……この人間ではない恩人のおかげだ。
「………封印が、解けた……んだよね?」
ザワリ。……っと、しまった。
私は形がないんだった。そうだそうだ。うっかりしていた。私は道具、ただのクリスタルだったんだ。私の形に合わせて空間が作られていたから、クリスタル型の封印だと思ったのだろう。
……でも、口が利けないのも、奉仕できないのも困る。……人の形をとることにしよう。もう私は自由なのだ。何でもできるし、何をしてもいい。
……恩人にあやかって、この人の身体を模して身体を作ろう。
髪は白。目は深い青。鼻はすっきりと通っていて、整った顔立ち。服は簡素で、白の布を一枚切って、それを無理やり服にしたような、そんな感じ。私でなかったらきっと彼を女だと勘違いしていただろう。
形はそろった。……いきなり人が現れて彼は驚いているようだ。……なんだか、とてもうれしい。自分が存在していて、自分の存在が他人に影響を与える、なんてことは久しくなかったから。
声は中性的にしよう。彼が男女どっちの従者がいいのか分からないから、どっちを言われてもかまわないように。……一応性別は女性にしておこうか。
口調は彼のをまねて一人称は『僕』。
名前は……。そうだな。
私は彼の身体をそのまま複写したようなものだ。
トレースした結果が、私、……いや、僕。
だから、僕の名前はトレース。苗字は、道具としての僕の名前を当てよう。
「初めましてご主人様。ご命令を」
生まれて初めて、『声』を発した。存外に気分がいい。
「……君が、神様?」
「ボクが神様?そんなわけありません。ボクはあなたのしもべです。……ご命令を」
ご主人様には失礼のないようにしなければ。口調は決めたものの、基本的には敬語にしないと。
「……はい?」
ご主人様は戸惑っているようだった。……当たり前か。いきなり忠誠を誓われても困るだけだろう。
「ボクは自身を封印から解き放ってくれた人間に使えるようプログラムされた人形です。……なので、どうかご命令を」
こんな設定だったら、納得してくれるかな?
「……そうなの?」
「はい」
「……そうなんだ」
「はい。では、何かご命令は在りますでしょうか?」
「……でも、僕は今あまり下僕とかほしくない」
「ご命令を。そうすれば僕はあなたの前から消えます」
「……そうだな、じゃあ命令を与えよう。君は自分で考え、自分で行動し、自分で生きれる人形になれ」
命令された。従わなくては。自分で考え、自分で行動し、自分で生きれる人形になる。
「わかった。僕はもう何もかもを自分で考える。……では、仕えさせてくれ」
「……はあ?」
……いきなり図々しかったか?いや、戸惑っている今がチャンスだ。何もかもを自分で考える。ならば、この人に仕えるという考えもあるんだ。
「ご主人様。誓いの言葉を聞いてくれ」
「……は?」
戸惑うご主人様を悪いこととは思いつつ無視し、思いついた言葉を言って行く。既成事実を作ればこの人はむげにしたりはしない……。僕はそんな計算高く最低なことを考えていた。
「乾きし時にはボクの血を。飢えし時にはボクの肉を。罪はボクが、咎もボクが、疫さえもボクが背負う。ボクの誉れの全てをキミに、ボクの栄華の全てもキミに。
盾として、剣としてキミの前を歩く。キミの喜びを共に、キミの悲しみも共にしよう。斥候としてキミと共にゆこう。キミの疲弊はボクが癒す。ボクはキミの手となり、敵を討ち、キミの足となり地を駆ける。キミの目となり敵を捕え、全てをかけてキミの情欲を満たし、全霊をもってキミに奉仕しよう。キミのために名を捨て、誇りを捨て、心を捨て、感情を捨てて、理念さえも意思すらも捨てよう。ボクはキミを愛し、敬い、キミ以外の何も感じない。キミ以外の何ものにもとらわれず、何も望まず、何も欲さない。キミの許しでは眠ることも呼吸することもない、ただキミの言葉のみを求める、キミにとってまるで取るに足りない一介の下賤な道具になることを、ここに、誓う」
……ぱっと思いついた割にはいい文句になったと思う。
「……いきなり、そんなこと言われても」
「ちなみに……キミがボクを捨てると言うなら構わないが、その時は私は永久に消えることにするよ」
今思ったが『キミ』だなんてずいぶんと偉そうだな。……でも、彼は怒ってないのでよしとする。
「……仕方ないな。僕はかなり知識不足なところがあるから……。サポートしてくれる?」
「もちろんだとも。キミが知りたい知識、知りたい全てを僕は示せる」
こんな些細な会話でも自分のアピールを忘れない。なんて狡猾な自分。
「……わかった。今日から、キミと僕は仲間だ。……いいね?」
「わかった。今日から、ボクはキミの下僕だ。自由に使ってくれ」
「違うって言ってるのに……」
ふふふ、ここだけは絶対に曲げないぞ。僕はこの人に仕えてこそ意味があるのだ。
「……そう言えば、さ。さっそく教えてもらいたいことがあるんだけど」
「なんだ?なんでも言ってくれ。不老不死の秘法から子守の方法までなんでも教えるぞ」
さあ。なんでも言ってくれ。僕を永遠の封印から解き放ってくれた僕の救世主さま。
「キミの名前は?」
意外と、素朴な疑問だった。そう言えば、僕は名乗っていない。せっかく考えた名前なのに、なんて失態。
「……ボクの名前はトレース。トレース・トレスクリスタル」
「……トレース、か。いい名前だね。僕はルウ。よろしく」
彼……ルウは優しく微笑んでそう言った。様、とか敬称をつけたくなったが彼自身が嫌がるだろうからやめておいた。……心の中でくらいなら呼んでもいいだろう。……ルウ様と。本心からの言葉に、僕は心底うれしくなった。
「でさ、トレース。今からこの『世界』を見て回るんだけど、案内してくれる?」
「了解。ご主人様」
僕は恭しく一礼して、ルウ様の前を歩く。彼は私に子供のような純真な目を向けて楽しそうについてくる。この目を曇らせるかさらに輝かせるかを決めるのは、私の案内次第、と言うことになる。
……責任重大だ。
課せられた命令に、僕はそうとうの重責があることを感じた。
そして、気付く。
僕はこの世界に関しての知識ならいくらでも手に入る。
けれど、きれいな景色、だとかそんな観光案内みたいな知識はほっとんどない。歴史だとかそういうどうでもいいことは全部あるのに肝心のことが抜けている。
……し、しまった……。
これじゃ、案内できない……!!
どうやって切り抜けようか、僕は大いになやむのだった。