変えられたミリア
看板の前で佇んでいると、ひとりの青年が、看板の向こうからやってきた。
「おや? ようこそ、我らが庭へ!」
彼は、マークと名乗った。
とても友好的な態度で僕らに接してきた彼は、ここ『忘却の庭』の案内役だそうだ。
「……君たちの庭?」
「そうさ! こんな荒んだ世の中で唯一の楽園、そして理想郷! その証拠に、忘却の庭の住人は、みんな幸せだよ!」
「……たしかに、そうですけど」
「また何か見たのか?」
「今は言いません」
案内されたのは、二十人ほどの人間があつまる、広間のようなところだった。平らな地面に、瓦礫の壁。ここは酷く不安定そうで、しかしここは安定していた。だから、こんなにもここにいる人間は穏やかな表情をしているのだろう。
「ほう。また、平和的な」
「そうだろそうだろ! 敵はここまで来られないし、ここは何より安全! 世界が崩壊してもここだけは残るって自信があるね!」
「……で、でも、ここ、四年後に崩か」
「しっ!」
僕はあわててミリアの口をふさいだ。……危ない危ない。
「……まあ、後ろの二人は放っておいて。ここの長は誰だ? 会わせてほしい」
「構わないよ! リーダーは寛容だから、あんたの尊大な口も軽々と許しちゃうだろうさ! あんなリーダーの下にいれる俺は幸せ者だよ!」
心から、彼はそう言っているようだった。
なんだろう? わずかな違和感を抱えながら、僕はマークについていく。
「リーダー! 訪問客だよ!」
「……通せ」
広間の奥に、カーテンで仕切られた部屋のような場所があって、そこで僕らは止まった。カーテンの向こうから、低い、渋みのある声がした。……声の主はどんな大きな人なんだろう?
「よし、許可も下りたし、じゃ、いってらっしゃい!」
マークは笑顔で僕らをカーテンの向こうに押し出した。
「……ほんとに?」
「……ふむ」
「未来通り、ですか」
カーテンの向こうにいた、声の主を見て、僕は驚いた。
彼が、ほんの年端もいかない、ミリアぐらいの年齢の男の子だったからだ。彼が座っているのも、どこからか拾ってきたらしいほんの小さな執務机。それでも、彼の体には大きすぎる印象を受ける。ここだけは変な空気が流れているというか、雰囲気が少し違う。
「……私はメリメ。なんとでも呼べばいい」
「では、メリメ。さきほどの声は?」
トレースがいきなり質問。
「これだ」
執務机の机の中を開いた。その中は、たくさんのマイクが置いてあった。……なんだ、これ?
メリメはその中の一つをおもむろに持つと、マイクの方に口をあてて、言う。
「マーク」
「はい!」
さっきした、低く、渋みのある声。と、同時に、はきはきした返事が聞こえた。
「客人に出す用の茶を頼む。……あるか?」
「……すみません、今、お茶は切らしてて……」
「そうか。すまないことを頼んだな」
「いえ、全然いいんですよ、リーダーが言うなら!」
そう言うと、マークは離れて行った。
「……君がリーダー?」
「マーク用の肩書きだ。……彼は年配の、少しのことなら聞こえないふりをして許す、そんな大器を持つ人物こそが自分の上に立つべきだと思っている。……だから、それを演じてるまで」
この子もまたなんか飛んでもないこと考えてるなあ……。
「そうか。それで、キミは一体なんの能力を持っている? 隠さずに言え」
「……私は、能力を隠しているつもりはかけらもない」
「ミリア、埒が明かない。彼の能力はなんだ?」
「はい。………え? あ、あの、ま、待ってください、ちょ、ちょっと、変です」
ミリアの様子が変だ。なんだか、自分が自分でなくなっているような、自分が誰だかわかっていないような、そんな表情だ。しばらくすると、ミリアは僕たちを他人を見るような目で見て、叫んだ。
「え、な、何これ、何なのこれ!? あなたたちだれ!? こ、ここはどこ!?」
「おい、ミリア!」
「み、ミリア? それが、私の名前? ほ、本当に?」
何が起こっているのか理解できなくて戸惑うミリアに、問い詰めるトレース。……そして、いやらしく笑うメリメ。僕は誰がこんなことをしたのか理解した。
「君が原因だね、メリメ」
「正解」
こともなげに、彼は言った。
「キミを痛めつけて、ミリアをもとにもどしてやる!」
「無駄無駄。私の能力を知りたがっていいたよね。教えてあげる」
彼はミリアに手をかざした。すると、またミリアに変化が。
「……え、なんで私小さくなっているの? お父さんとお母さんは? それにお姉ちゃんは? というか、この映像何? あなたたちがしたの?」
今までの子供っぽい挙動はどこへやら、今度は急に大人びたしぐさに。
「なんてこともできるし、……たとえば、こんなことだってできる」
また、ミリアに手をかざした。
「……ご主人様? どうかなされました?」
「いや、なんでもない」
ミリアは恐るべきことに、出会って数秒のメリメをご主人様だなんて呼んだ。
「……わかった。わかったぞ、キミの能力。最低だな」
「おほめにあずかり光栄です、と言っておこう。……では、あなたたちも」
「させるか」
メリメとトレースが同時に手をかざすと、僕とトレースのすぐ前の空間で、ガラスが割れたような音がした。
「ボクの名前はトレース。万能の道具だ。この程度の能力、簡単に防げる」
「……ふん。まあ、いい。一人は手に入った」
「ご主人様、嫌な言い方をなさらないで。私は常にあなたのものです」
ミリアが別人みたいだった。どうして?
「……ルウ、彼の能力がわかった」
「なんなの?」
「それはな」
トレースが話そうとしたとき、メリメが絶望的な命令を、ミリアにした。
「ふふふ、ミリア、この二人を追いだせ」
「了解です」
なんの疑問も抱かずなんのためらいも見せず、ミリアはメリメに従い、僕たちを追いだそうとした。
もちろん僕は抵抗するとするのだけれど。
「ああ、そうだ。もし命令が達成できなかったら、死ね」
「はい」
ぞっと、背筋が冷たくなった。
なんだ、今の会話。
死ね、といわれて素直にはい、だって? ミリアはそんな子じゃないだろう? それなのに、なんで?
「……今は、とにかく出よう。ミリアの命を守るんだ」
「わかったよ……でも、トレース、ちゃんと話してね」
「ああ」
僕たちはミリアに長の部屋から追い出されて、そのまま看板のあるところまで押し出された。恐ろしいのは、急に仲間割れをした僕らに、忘却の庭の住人達は誰一人目を向けようとしなかったことだろう。
「……では、ごきげんようお二人さん」
ミリアが僕たちに向ける言葉とは思えないぐらい冷徹な声。
「まって」
制止の声も無視されて、ミリアは看板の向こう、忘却の庭に行ってしまった。
「……そん、な」
「仕方ないだろう。今は、ミリアの命が最優先だ」
「なんで、こんなことに? あの子、僕たちのこと嫌いだったのかな……?」
「そういうわけではけしてないから、安心しろ」
「……安心できないよ」
「安心させてやる。……話してやるから」
……それなら、少しは安心できるかな……。