墜落カウント十秒前
「……ううん……痛い……」
それから、約五分。ミリアはずっと未来を見続けていた。
「だ、大丈夫?」
「大丈夫です、ルウさん。というか、本気で止めたいならトレースさんを止めてください」
「あ、うん」
そう言えばそうだった。
「トレース、あんまりミリアに無茶させたら駄目だよ?」
「……む、了解した」
「……ふう」
僕がトレースに言って初めて、ミリアは肩を落とした。
「さて、結果を聞かせてもらおうか?」
「……特に理由はないそうです。どうしてこんなことするの、って聞いたら気分だ、って自信満々に答えてました」
「ちなみに、その時ボクたちは?」
「外の連中を相手してるみたいですね。殺そうとしないから時間かかっているんですよ」
「……ふむ、そうか」
今回ばかりは、トレースに殺しちゃだめだよ、とは言えなかった。実際、誰一人殺さずに、なんて言っているからミリアは殺される未来を見るんだ。
「バリエーションはどうなってる? 何種類くらいある?」
「ええと、殴り殺されたり、刺し殺されたり絞殺されたり、焼かれたり溺れさせられたり、バラバラにされたり全身の骨折られたり砕かれたり挽肉にされたり……といってもミンチ機にかけられるまでしか見えませんでしたけど。……当たり前ですね。……まあ、そんなぐらいです。……少し休ませてもらって構いませんか?」
ミリアは酷く疲れているみたいだった。よっぽど辛かったんだろうな。
「もうすぐ崩れるぞ?」
「わかってます。だからです。あと数分でここは崩れ、私は遥か地下に。死ぬか生きるかはだいたい五分五分。……では、私の体、よろしくお願いします。……死体になったら、そこらへんに捨ててってください」
そんなこと、できるわけがない。
「僕は君を見捨てないよ」
「死体はもはや私ではありません。私によく似た『物』です。だから、遠慮せず置いていってください。……けど、私が生きている限りは、よろしくお願いします」
「……わかった」
自分が死んだら死体は物、だなんてずいぶんな言い方だと思ったけど、もしかしたらミリアは見えない未来には興味がないのかもしれない。
「……では………って、話している間に三十秒前じゃないですか」
その声と同時に。
グラリ、グラリと地面が揺れた。……これが、徴候か!?
「まずい、急いで防壁を……!」
僕の周りに、薄い膜が張られる。でも、ミリアには張られていない。
「トレース、ミリアにも!」
「わかった!」
ミリアの周りにも同じ防壁が張られる。
「これでけがも大丈夫だろう?」
「……まだです。死ななくなっただけです」
「ううん。……じゃ、じゃあさ、ここから落ちた先は、どうなるの?」
気を紛らわせようと僕は話しかけるけど、なんか余計に無茶させてるみたい。
「大丈夫です、殺されはしませんよ」
「……誰かいるんだね、厄介な人が」
「答えられません」
ふるふるとミリアが首を振ると同時。
「うわっ!」
地面が、崩れた。
「なっ……!」
トレースもここまでの規模だと思っていなかったのだろう、あわてて自分にも防壁を張った。
「……!!!」
僕は、遥か地下に落ちる。衝撃は全部防壁が防いでくれた。その上から、雨みたいな勢いで瓦礫が降ってきた。
「……トレース、トレース?」
「あ、ああ。ボクはここにいる」
どこから声が聞こえたけど、どこからだかはわからない。完全に生き埋めになったみたいだ。トレースの防壁があるからなんとかなってるけど、もしなかったら……。
「ルウ、落ち着いて聞いてくれ」
「どうしたの?」
「ミリアの意識がない」
「え?」
どういうこと? 僕はちゃんとトレースに、言ったのに。
「どうも落ちた、と思ったショックで気を失ったんだろう。身体面に外傷はないが……それだけに、不安もある」
つまり、見えないところを打っちゃった可能性もあるってこと?
「とにかく、地上……瓦礫の上に出るぞ」
「うん」
といっても僕は何もできないけど。
トレースが何をしたのかは分からないけど、勝手に瓦礫が動いて、ずいぶんと小さくなった空が見えた。
「……ミリアは大丈夫?」
「息はある。……だが、打僕が酷い。未来予知通り、死にこそしないが……っていう傷だ」
「どうして防げなかったの?」
「……わからん。ボクも全力でミリアを守ったつもりなんだが……おかしいな」
心底不思議そうだった。そもそもトレースがボクにウソをつくとは思えないし。ミリアの見た未来は、最善――つまり、崩れる、という未来を僕たちに告げてトレースに身を守ってもらうこと――を尽くして、この状態なのだろう。
「どうも、わからん。すまない」
「気にしてないけど……不思議だね」
「ああ。ここはなんだか、ボクの力が効きにくいような印象を受ける。もしかしたら、何かあるのかも知れない」
「……ううん……」
その何かがわからないのが怖いなあ……。未来が見える……いや、せめてミリアが起きていてくれれば、わかったかも知れないのに。……って何考えてるんだ、僕は。まるでミリアが都合のいい未来透視機械みたいじゃないか。
「……まあ、とにかく人のいるところに」
「いや、いないところを探そう」
「どうして?」
「ミリアの未来が事実なら、この世界は酷く荒んでいる。連中からしたらコミュニティー人間以外の他人=敵に見えるんだろう」
「……そんなに?」
僕にはそれが信じられなかった。そんなにすぐに他人を疑ったり、奪ったり殺したりできるのだろうか。
「それに、特に注意しなければならないのは飢えた人間だ」
「どうして? 僕には宗教の方が怖いよ」
信じているか信じていないかで殺したり苦痛を与えたり……。とてもじゃないけど好感は持てない。
「いや、そっちはなんとかなる。……が、飢えはどうにもならない」
「どうして?」
「……あのな」
呆れた風に、トレースはため息をついた。
「食事に恵まれすぎたのがいけなかったか……? いいか、ルウ。人には三大欲求があるのは説明したな?」
「うん」
食欲、睡眠欲、それとあと一つ何かは知らない。教えてほしいのに。
「なぜ、人間にはそれらが必ず備わっているかというと、必要だからだ」
「……?」
「食べることも、眠ることも…………その、することも、皆、人間として必要なことなのだ。なければ、死んでしまう」
「……ふうん」
「だから、人は食べることに必死で、眠ることに腐心して、…………その、コトに没頭する」
「……ねえ、トレース、お願いだからその指示語、何を指してるか言ってよ」
「……何度も訊こう。なぜ君は指示語を知っているのにあれを知らないのだ!?」
そんなこと言われても。僕にはどうしようもないよ。