先に見える辛いこと
ミリアが、……消えた!?
「あの子、瞬間移動能力ももってたの?」
すごいな……。とか、僕は感心していたけど、トレースは違ったようだ。
「違う、違う!ルウ、まずい!」
「どうしたの?」
「ミリアは、さらわれたんだ!」
「ウソ?」
僕たちの目の前で、さっきまでずっとしゃべってたよ?
「かすかに別の人間の痕跡がある。……この世界の常套手段のようだな!」
「な、何が?」
トレースは走り出す。僕もあわてて、追いかける。
裏路地にいる人たちは、何事かと僕たちを見るけど、特に何も言ってはこない。
「神隠し、という現象がある!目の前に人がいたり、すぐ近くに他人がいるはずなのに、忽然と消えてしまうことを言う!……それが、ミリアにも……!」
「か、神隠し!?」
なにそれ!?必死で頭の中を探す。……あった!神隠しっていうのは、神様があまりの愛らしさにその子、もしくは物を、自分のもとに隠してしまうことを言うらしい。
つまり、ミリアは神様に隠された……?
「この世界での神隠しの正体は……!人攫いだ!」
「ひ、人攫い!?」
なんでこんなところでそんな単語が?
「目の間にいたからと言って、一瞬で引きずり込んで、連れ去ればわかりはしまい!それに、ここはあまり見通しがいいとは言えない裏路地だ!いくらでも、人が隠れられるところはあるだろう!」
「だ、だからってトレースの目をくぐりぬけるなんて……」
「もしキミが狙われているなら、ボクは見逃さなかった!」
それはつまり、トレースはミリアのことをどうでもいいって思っている、っていうことの証明にもなる。仕方ないのかもしれない。けれど、今、僕はトレースを責めそうになった。ミリアがさらわれたのは、別に彼女が悪いわけではないのに。
「……急ごう!」
「わかった!」
僕はとにかくミリアを助けることを優先した。どんどん景色が流れる。レンガ造りの街並みが、どんどん遠ざかって、周りは木ばかりになる。
「……こっちであってるの!?」
「ああ、そうだと思うが……!」
「も、もし間違ってたら?」
「……………………その時は」
あきらめろ。
トレースは、小声で僕にそう言った。一度きりの追跡。追跡さえ、できているのかもわからない状況。
「そもそも、どうして、こんなに早く走っているのに、追いつけないの!?」
おかしいよ!向こうはミリアも担いでるのに……!
「こちらの体力がないんだ!まだ秒速6メートルも出ていない!向こうは……おそらく、もっと早い」
「そんな……あの子は」
「助ける!だから、走るぞ!」
まるで、僕の不安をかき消すようなトレースの声。
走る、走る。木々の間を抜け、トレースに懸命に追い縋ろうと走る。まだ、まだつかないのか?
「……あれだ!」
トレースが指さしたのは、森のはずれにある小さな小屋。あれが、ミリアの言っていた家、だろうか。
「あれの地下だ!そうとわかれば……!」
前を走るトレースが、僕に向かって手をかざす。すると、グン、と前に引っ張られるような感覚がした。
その感覚に追従するかのように足の動きが速くなり、速度があがる。信じられないくらいのスピードで、小屋が近づいてくる。
「……邪魔をする!」
ドアを蹴っ飛ばして、トレースは小屋の中に押し入る。乱暴すぎる侵入にも関わらず、誰も何も文句は言ってこない。誰もいないのだろうか。そうも思ったが、外されたばかりの床板と、その先に続くものがこの小屋の持ち主の行き先を物語っていた。
「……あの階段が、地下に通じるものだろう」
「行くよ!」
おおっぴらに開けられた隠し階段を、僕らは駆け足で降りる。石造りの階段は硬質な音を響かせる。
階段を降り切ると、そこには。
「ミリア!」
ナイフを向けられて怯えているミリアと、ナイフを突き付けて今にもミリアを殺そうとしているまったく見知らぬ男がいた。
「何をやっている」
冷徹な声で、トレースは訊いた。
「へ……もう来ちまったか。これからがタノシミなのによ」
「何をやっている?貴様まさか、その子を殺すつもりではあるまいな?」
「へへへ……まだ、殺さねえよ。楽しまねえと。それに、売らなきゃいけねえし」
僕には、彼の言っていることがまったく理解できなかった。
「……楽しんで殺すつもりか?」
「違うね。楽しんで売っぱらって殺すつもりなんだよ」
「今もそれは変わっていない、とでも言いたげだな」
「ああ、そうさ。新しいカモがまた二人だよ。うれしい限りだ」
何を、言ってるの?カモ?楽しむ?売る?殺す?何を、こんな子供に、何をするつもりだったの?
「……へ。そこのガキから、殺そうか」
ナイフを、向けられてもいないのに、僕は。
「あ……」
視線だけで、射止められた。体が、動かない。なんで見知らぬ誰かが僕に殺意を抱くのかが理解できない。なんで。なんでミリアだけでなく、僕も?どうして?
「へっへっへ。そこのガキは楽そうでいいや」
「主人、落ち着け。大丈夫だ」
トレースはそう言ってくれるけど、僕は、まったく動けなくなってしまった。ミリアが殺されて、僕が殺されて、トレースが殺される、そんな未来を間近で見たような、そんな感覚に陥った。
そこで、気づく。
ああ、未来を見るのって、こんなにも辛いことなんだ。
「う……うう……」
「無理すんなって。どうせみんな、殺されるんだからよ!」
「……無駄口たたいてないで、さっさとそのナイフを置け」
「誰に命令してんだ?ああ!?殺されてえか!」
「……わかった、頼む、ナイフを、置いてくれ」
「断る!あっひゃひゃひゃひゃ!」
ミリアは、今の情景が見えていたというのだろうか。それよりも、もっと前から、この事態になるって、わかっていたのだろうか。
「さあて、と。お前ら二人がいるからこいつ売る意味なくなったな」
「……っ!お、お願い、こ、殺さないで……」
「ひゃはははは!無理無理!泣いても無駄無駄、媚びても無駄無駄!俺はペドじゃないんでね!」
ミリアは、自身の知識を未来からの前借だと言っていた。
今、ミリアが年相応になっているのは、借りる相手がいなくなったからではないだろうか?
もしかしたらもう、ミリアには、自分が殺される未来しか見えていないんじゃ……。それは、とてつもない恐怖なんじゃないだろうか。
「お、お願い……」
懇願は、届かずに。ナイフは振り上げられる。トレースは、止めようとはするけど、行動はしない。なんで。なんで!?
「と、トレース」
駄目だ。今から命令していたんでは間に合わない。助けなきゃ。助けなきゃ。あの子にまた、未来を見せてあげなきゃ。こんな、殺されるような未来じゃなくて、明るい、希望に満ちた未来を!
「……!」
コンシャンス。さあ、僕の良心よ。斬ろう!
右手は逆手、左手は順手。二つの剣が、意思を持ってうごめきだしたように光る。僕が剣を構えても、ミリアに夢中なのかまったくこっちを見ようともしない。
男はもうナイフを振り上げきっており、まるでミリアに見せつけるかのようにゆっくりとナイフを振りおろす。一ミリ一ミリ慎重に。ナイフが近づく度に、ミリアは身をよじり、男から逃れようとするが、男は彼女の体を押さえて逃がさない。
いまだ、いまだ。今こそ、僕は。
戦う!