神の教義と食べ歩き
「……われわれは罪深き存在なのです」
隣でぶつぶつ言う声を無視しつつ街を歩いていると、そんな厳かな声が聞こえた。
ふと、トレースのつぶやきに耳を傾けたときみたいに、注意して聞いてみる。
「……われわれ人間は遥か昔、たった一組の男女のみでした。それだけではありません。馬も、犬も、豚も、すべてが一組にして一種。今では考えられないことですが、昔は皆、死ななかったのです。だから、一種の動物に一組しかいなくても問題はなかったのです」
……ふうん。
「……おや、クリスト教の神父じゃないか」
「へえ、彼は偉い人なの?」
「いや、中堅どころといったところか。……といっても、この街だとほぼ絶対の権力を持っているがな」
中堅どころで、こんなに広そうな街を支配できるなんて、どれだけクリスト教って偉大なんだ?
「しかし、我々人間の祖先がおろかなことに、『絶対に食べてはいけない』と神から仰せつかっていた木の実を食べてしまったのです。――おろかな、女性によってです。我々は仲間を増やす術と知識を身につけました。が、その代償として、不死ではなくなり、あまつさえ穢れ多いこの地上に落とされたのです!」
……なんか、まるで女の人がすべての元凶みたいな言い方だな。……嫌な感じ。
「ですから、我々は遥か昔に犯した罪を購うため、努力しなければならないのです!贅沢、豪遊もってのほか!謙虚に、ただ謙虚に!神に祈り、購うために働く。これこそが、神の国へと戻るための唯一の方法なのです!」
言ってることは立派だけど。
「どうやら女卑の傾向があるらしいな。……まあ、さっきの教義が基本理念なら、仕方ないとは思えるが。それでも、たとえ信じていなくとも、だ。……すべての罪の元凶といわれるのは、いい気分ではない」
……尊大な口調と豪胆さのせいで忘れてしまうけど、トレースって女の子なんだよね。まあ、もし僕が女の子だったら、きっと憤慨するか絶望するかのどっちかだろう。でも、どれほど激昂したところでクリスト教の神父を殺そうなんて思わないし、どれほど自らの罪を悔いても自殺なんてしないんだろう。なんだか、僕にはそんな冷めた部分があるように思えてならない。
「……信じてないんでしょ、君は。なら、大丈夫だよ」
「だと、いいがな。正直言って、宗教とは心と死後の世界のことだ。誰も実証などできない。だから、どれほど素っ頓狂な死後の世界を説かれたとしても、『ありえない』と断ずることはできないんだ。……宗教が浸透するのは、おそらくそこなんだろうね」
「どういうこと?」
意味がわからず、訊いてみる。
「キミは死ぬのが怖い?」
「……怖い。多分」
リンクたちに殺気を向けられた時、体が震えて動けなくなった。きっと、直面した死に怯えたんだろう。……なら、僕はきっと死ぬのが怖いんだろう。
「ボクだってそうだ。……道具に死後の世界などがあるとは、到底思えないが」
「君は僕の仲間だ。道具じゃない」
すかさず、僕は訂正する。
「……さあ、みなさん、今日も働きましょう、神のもとへ戻るために!」
「「「「「「「「はい!」」」」」」」」」
神父さんの言葉を聞いていた人々が、一斉に返事をする。……そんなに、神のもとへと戻りたいのだろうか。
「……この世界にどれくらいいるかはわからないが、いるのなら常について回る教義だ、少しくらいは勉強しておいた方がいいぞ?」
「うん」
僕は小さくうなずく。
……一方で、僕は直感していた。
この考え方は、どうも受け入れられない。
そんな、実に子供っぽい考えを。
「……はむ、はむ。うん、おいし」
僕は商業のさかんなところに来ていた。
まあ、毎度のことながら、食べ歩きをしているわけだ。
今食べているのは、干し肉。少しだけ固いけど、噛めば噛むほど味が出て、長い間楽しめる。
「……すっかり食事好きになったな。……まあ、まだ三大欲求のうちの一つしか体験していなければ、そうなるか……」
「ん?サンダイヨッキュウ?なあにそれ」
「……食欲睡眠欲…………欲のことだ。さっきの原罪の話ではないが、人間である以上避けられない欲望だな。というか、なぜよりにもよってキミがこれを知らないのだ?」
「さあ?」
僕は僕が作ったわけじゃないから、よくわからない。……というか、人間ってそんな欲があるんだ。……ええと、食欲……物を食べたい、ってことだよね。睡眠欲、っていうのは眠りたい、っていうこと。……あと一つ、なんだっけ?よく聞き取れなかった。
「食欲睡眠欲……あと、何って?」
「……欲だ」
「え?」
「………………これも、宿に着いたら教える」
「そうなんだ」
これ、楽しみにしといていいのかな?
「……それにしてもさ」
「どうした?」
「僕、食べたいって思うってことは、食欲はあるわけだよね?」
「うむ。それもかなり旺盛だ。悪いことではないがな」
「……さっき、眠りたい、って思ったよね?」
「まあ、疲れていたし、気分が悪かったからな」
「じゃあ、最後の欲も、あるのかな?」
「…………………………………………キミ次第だ」
ずいぶんと沈黙が長かったけど。まあ、いいや。
また僕はむしゃむしゃと干し肉をほおばりながら、街をゆく。何かあるかな、何があるかな、って周りを観察しながら。
「……………神よ、もしいるというのなら教えろ。さあ、ボクの運命をキリキリ吐け。ボクは一体何をした?一体なんの因果でこんなつらい役目を背負わされる?お願いだ。教えてくれ。まさか、ボクが女だからか?原罪か?ルウに原罪を教えろと?ボクが?なんてつらい。ああ、母親とはかくも大変なものなのだな……って、ルウの母よ、常識を教えることができるならなぜこっち系の知識を教えてくれていないのだ?……まさか、ルウの母も同じ心境か?ボクと同じ心境か?…………ああ、憂鬱だ」
隣ではまた、トレースが何やら呻いていた。……あんまりにも長いので僕はいちいち聞いてなかったけど。
注。
この物語はフィクションです。そしてこの世界の物語でもありません。
この世界に出てくる宗教はクリスト教とイシュラム教です。似ているものがあっても無関係です。
ご愛読どうもありがとうございます。これからもどうか、よろしくお願いします!