逃亡、そして次の世界へ
「……とまあ、もっともらしいことを言ったけど、正直、あんたたちならなんとかなるわよ」
「え?」
今までの言葉をすべてひっくり返すようなセリフを、エリアは言った。
「あなたはこの先道具の力が必要になるでしょう。それはとても辛いことかもしれないし、苦しいことかもしれない。けど、あなたがためらわなければ絶対に乗り越えられるわ。……なんたって、あなたの道具は便利なんだから」
さっきと打って変わって、エリアは明るくそう言った。
「……急に言をひるがえして、どうした?」
「だから、言ったでしょ?私、運命論や宿命論を信じてるわけじゃないのよ。運命なんて切り開けるし、宿命なんて跳ね飛ばせる。重要なのは今努力すること。今頑張ること。それを忘れなきゃ、大丈夫よ」
そう言いきると、エリアはベッドから立ち上がり、トレースの横をすたすたと通り過ぎていく。
「……船酔いはいいのか?」
「もう慣れたわ。吸血鬼ってなんでも慣れる種族らしいから、きっと大丈夫よ。……それに、あのバカも気になるしね」
僕の頭に、黒髪の吸血鬼が浮かんだ。エリアが言っているのは、彼のことだろうか。
「じゃ、ゆっくり休んどきなさい。きっと、気苦労も多いと思うから」
「……ありがと」
僕はそう言ってエリアを見送った。彼女は手を振るだけで返事をして、それきり振り返らなかった。
……エリア・デュオン。最初の印象こそ怖かったけど、いい人だと、僕は思った。
「……さ、僕は休むね」
「いや、待ってくれ」
僕は横になろうとして、トレースに止められた。
「何?」
「もうすぐ目的地に着く」
「……だから?」
別にいいじゃん、このまま寝てても。目が覚めて、その次に着いた港に降りればそれでいいじゃん。
「今調べたんだが、この船、防犯のために港に降りるたびに入船者リストをチェックして、怪しい人物がいないか調べるそうだ。……何が言いたいかわかるか?」
ええっと、つまり、それって。
「身分証は?」
「無駄だろうな。むしろ怪しまれる。身分証があるのにどうしてチェックリストにない、ということになったら事だ」
それって、早く降りないとだめ、ってこと?
「じゃ、じゃあ急いで降りなきゃ!で、でも、こ、ここって扉の世界で」
「落ち着け!大丈夫、キミの能力はほかのどんな異空間転移能力よりも優れている、保障する!だから、落ち着いて扉を開くんだ!」
トレースの言葉に従って、僕は深呼吸をする。いち、にい。いち、にい。
……すう、はあ。すう、はあ。
よし、落ち着いた。
「じゃ、開くよ」
「ああ」
ここに扉がある、とする。
その扉は、異世界につながっている、とする。
異世界とはこことは違う『世界』、とする。
扉を開けば、異世界に移動できる、とする。
……できた。
目の前に、下でたくさん見たような扉が一つ、現れた。
「……さすがは、我が主人」
「ほめてもなんにも出ないよ?」
「純粋にすごいと思う。多分、キミだけだろう。こんなに自由に世界を行き来できる人間は」
だから、僕は人間じゃないって。
トレースにほめられるのはうれしいけど恥ずかしいので、さっさと扉を開いて次の世界に行くことにする。
「……行こうか」
「だから、もっとキミは自身の能力をもっと誇って、自信を持って……うむ?そうだな、行こう」
僕は、扉を開いた。
中世ヨーロッパ、神聖ローマ帝国、ローマ。
僕が入った世界を文字にすると、そうなるらしい。
「……クリスト教がこの時代の主流宗教だな。いや、すべてと言ってもいいくらいか。異端……つまり、世間で認められている宗派や宗教でなければ、異端者とされて厳しく罰せられる」
「罰せられるって……詳しくは?」
たくさんの人が歩いている大通り、僕はトレースからこの世界のことを教えてもらっていた。
トレースは一瞬で世界の情勢とか歴史とか調べられるんだからすごい。
「火刑……ありていに言えば死刑だな」
「……たかが宗教でしょ?」
「……ルウ。キミはまだ精神は子供なのだから、ボクは咎めはしないが……。そういう言葉は声をひそめて言うべきだと思うぞ?」
あっと。確か異端者は火刑、だったっけ?燃やされるのは嫌だな……。
「……宗教でしょ?」
僕は声をひそめて言う。
「たかが宗教、と侮っていては身を滅ぼすぞ。……現に、今世界を席巻するクリスト教と次第に勢力を伸ばしつつあるイシュラム教とで諍い……いや、戦争が起きているのだからな」
「……そんなことで、戦争なんて」
そもそも、戦争なんてやっちゃいけないものだと思う。どんな理由があるにせよ。というか、宗教ってもともと心の平穏を求めるためにあるんじゃないのだろうか?それなのに、それが原因で戦争なんて……馬鹿らしいにもほどがあるよ。
「彼らをバカにしてはいけないぞ、ルウ。彼らとて、自身の神が脅かされて、必死なのだ。ボクにはキミという神がいるからなんの問題も心配もないがな」
「……その言葉も、いろいろと危ないよね」
もし誰かに聞かれていたらどうするのだろうか。
「というかそもそも、どうやって異端者とそうでない人を見分けるの?」
「……うん、まあ、それは、だな。…………ううむ、なんと言ったらいいのか……」
きょろきょろとトレースは周りを見渡した。しばらく探して、何もなかったのか、がっくりと肩を落とした。ここには人と店と家があって、とってもにぎわっている。それでもないって、一体何を探していたのだろう?
「そう都合よくは起きないか。まあ、起きてもらっても困るのだが……」
「どうしたの?」
「……いや、どうやって見分けるか、だったな。その方法に関しては、ない、と言っておこう」
「……じゃあ、どうやって異端者ってわかるの?」
「う、ううむ……」
トレースは黙りこくってしまった。どうして?
「……その、キミの知識の中に宗教関係はないのか?」
「宗教って言葉はあるけど……」
「……そうか、宗教は世界それぞれだから……か」
あきらめたようにトレースは肩を落とした。
「……まあ、後で教える。こんな真昼間からこんな大通りでする話じゃないからな。……さて、宿を探そうか」
「うん……」
なんか釈然としないまま、僕はトレースについて行った。
「……楽しみには、しないでくれ。あまり気分のいい話じゃない」
「と、いうと?」
「……宿に着いたら話す。それまで待っていてくれ。ボクも言葉を探すから」
なんだか、真剣に困っているみたいだった。
「………ぶつぶつ」
小さく、本当に小さく、彼女は呟きながら考え事をしているみたいだ。……歩いている間暇なので、少しだけそのつぶやきに耳を傾けてみる。
「……まったく、なんだってこんなことに……。一から何かを教え込むというのは楽しいことばかりではないのだな……。宗教関係など、ボクが教えれるはずないだろう……。そもそも、どこから教えればいいんだ?神の存在からか?それとも、宗教というくくりについてか?……ああ、わからない。ああ、どうしよう、どうしよう……。もし、ルウが目を輝かせてしまっていたらどうしよう……それを、ボクは曇らせるのか?大切な主人の輝きを、失望と絶望で塗りつぶすのか?それも、また違った趣が……いや、違う、違う違う違う。とにかく、なんとかしてうまい具合に当たり障りのないことを考えないと……。……童話なんてどうだろう、ボク自身の考えでなく、昔から伝わっている、ということにしたら……。でも、それだと一から話を作らないと……。ああ、ああ、憂鬱だ……。ただただ、憂鬱だ……」
………………………。
聞かなかったことにしようか。