初めての休憩……のはずが?
「……うう」
結論から言うと、ご飯のにおいをかいでも気分の悪さは治らなかった。むしろもっと気持ち悪くなった。肉のにおいがしただけで戻しそうになった。
それで、結局一番近い宿泊施設で休むことになったんだけど……。
妙に広くて、なんか落ち着かない。それにたくさんベッドがあって、いくつかのベッドに人型の盛り上がりがある。
「こ、ここ本当に無料なの、トレース?」
広くて豪奢なベッド。いくら僕でもこの豪華さがベッドのスタンダートだとは思わない。というか思えない。
「そうさ。というかここは船の乗客なら自由に使っていい共用スペースだぞ。……まあ、ボクらとて乗客だ、使わせてもらおうじゃないか」
「無賃乗船だけどね……」
証明書を偽造して、もしばれたらどうなるんだろう?そんな考えがよぎったけど、結果があんまりにも怖いので想像するのはやめることにした。たとえば、周りの乗員乗客すべてが敵になる、とか。リンクがいる時点で勝てる気がしない。
「まあ、ほら、休め」
トレースはそう言ってたくさんあるベッドのうちの一つに僕を寝かせる。
そう言えば寝る、って初めての体験だ。
「ボクはここでキミを守るから、存分に休むといい」
「うん、そうするよ……」
と、僕が横になろうとした時。
「あら、あなたたち」
隣のベッドから、そんな声が聞こえた。忘れたくても忘れられない、ひどく高い、か細い声。
「あ、あなたは」
「あら、かしこまっちゃって。そんなに私が怖い?」
「いえ、そういうわけでは」
海のような深い青の髪に、紺碧の瞳。全体的にほっそりとしていて、スレンダー。服装は黒のマント。マントの中は見えない。
リンクと一緒にいた吸血鬼、エリア・デュオンその人だった。
「どうしてキミがここにいる?相方といなくていいのか?」
「いいのよ。別に、あいつとはただちょっと縁があっただけなのよ」
「……ふむ、ということは異界士としてやってるのはボクたちの時だけなのか?」
「まさか。私が異界士で、あいつはただの見習いよ」
トレースはそれをきいて、ひどく目を見開いた。よほどリンクが見習いだということが驚きだったのだろうか。
「何よ、二人とも驚いちゃって」
「いや、まさか彼が見習いだとは……」
「まだ十年しかやってないから、当然よ」
「それだけやってれば充分なのでは……?」
「まさか!私はお父様からお墨付きをもらうまで百年はかかったわ!」
どうも異界士とは、エリアの家業らしい。
「百年、か。また存外に人外な数字じゃないか」
「ふふん。そうでしょ、そうでしょ!私こそが異界士アガルタ・デュオンの娘であり純潔にして純血の吸血鬼、エリア・デュオンよ!」
誇らしげに、彼女はのたまう。
「で、そのエリアデュオンがどうして見習いをほっぽり出してここで寝ていたんだ?」
「うぐ、そ、それは……」
エリアはさっきの威勢はどこへやら、とたんにしおらしくなって、もじもじとし始める。
「どうした、ん?言ってみろ」
「……ああ、もう!うっさいわね、トレスクリスタル!」
長い髪を振り乱して、いやいやと拒否の意を示す。
「ねえ、どうして?」
「…………………船酔いよ」
「……ぷふふ」
トレースがかすかに笑った。
「あ、笑ったな!道具のくせに、主人も笑ってないのに笑ったな!」
「まさか、少しせきをしただけだ。それにしても、天下の吸血鬼が船酔いとは、……くふふ、実に笑える」
「うきー!」
じたばたとエリアはベッドの上で暴れまわる。でも、僕たちに向かってくる様子はないところをみると、敵意はないようだ。
「というか、なぜ主人が訊いたら答えたんだ?」
「……そ、それは」
「それは?」
エリアはもじもじとしながら、しばらく目を泳がせて、ついにその理由を言った。
「あ、あなたが……」
エリアが、僕をさして言った。
「僕がどうかした?」
「……かわいいかったら」
………。
「ねえ、トレース、こういうとき、僕は一体どういう反応をすればいいのかな?」
あんまりにも突然だったから、トレースに助け船を求めた。
「……まあ、その。思い違いはしないことだ、ということだけだな。ボクが言えるのは」
「……どういうことよ」
なぜかエリアが訊いてきた。
「どうせキミはルウがあまりにもかわいいので、ついつい母性本能に負けて答えてしまったんだろう?」
「う……」
エリアがたじろぐ。
「それは仕方のないことなのだ。ボクだってそうだ。いつも危なっかしくて、かわいらしくてしょうがない。今すぐにでも全身で奉仕したいところだが……」
そこまで言って、ちらりと僕を見る。……どうしたのだろう?何か僕に言えってことなの?
何か言わなきゃ、何か言わなきゃ、って悩んでいるうちに、トレースが続きを話し始めた。
「まあ、情操教育によくないからな」
「……はあ」
ジョウソウキョウイクって、何?
……なんて、とても訊ける雰囲気じゃなかった。というか訊いたら嫌なことになりそう。直感が告げていた。