初めての食堂
甲板を降りてすぐのところに、食堂はあった。
めちゃくちゃ大きくて豪華なシャンデリア、寝ころびたくなるようなふかふかの絨毯、そして、何よりも!
「……おいしそう」
なによりも、おいしそうなお料理の山!
あれも、これも、どれもおいしそうだ。全部食べてしまいたくなるほどに!
「……ふむ、ルウ。どうも調べてみたんだが、ここは豪華客船『ラスト・リゾート』というらしいぞ。科学の発達した世界と魔法の発達した世界とがいい具合に溶け合ってできた世界でできた、次元航行船……いわゆる、異世界を旅する、……って、ルウ?」
「ごめんトレース!今はお料理が先だ!」
小難しい話は後で聞くから、今はおいしい料理が食べたい!立食パーティみたいになっていて、食べほーだいだ。さあ、食べよう!
「……わかったが、上品に頼むぞ。ここは数多くの名家しか入れないような場所なのだ、あまり変に目だったらつまみだされるぞ?」
「へ?」
ぴたり。お料理の山に突進しようとしていた僕は、トレースの言葉で我に返る。
今、なんて?
「ちょ、ちょっとこっち来て」
「了解」
手招きして、トレースを近くに呼び寄せる。僕は彼女の耳に口をよせ、小声で話す。
「もしかして、身分証明とか、いる?」
「……あたりまえだ」
少しだけためらって、トレースも僕の耳に口を寄せて囁いた。
「……どうするのさ」
「堂々としていれば大丈夫。それに、いざとなったら……いや、いざとならなくても、大丈夫だ。少し待っていてくれ」
「?」
トレースは僕からいったん離れると、きょろきょろとあたりを見回し、その視線は一人の客にとまる。
三十代ぐらいの、若い男性だ。スーツをしゃきりと着こなし、この豪華な食堂にもぴったりと合っている。……ちなみに僕は生れた時のままだから、自分がどんな格好をしているのか確かめたことがない。
……ええっと、青いTシャツに、ジーパン?……って、なんて場違いな!?しかも、トレースはトレースで白い肌着みたいなワンピース一枚だし、なんて場違いな二人組!?
今気付いたけど、もしかしたら僕らって……。
存在自体が浮いてる?
「やあ、こんにちは、すこしここの身分証を見せてもらいたいのだが」
「……かまないが、何をするつもりだ?わかっているとは思うがこの身分証は本人以外は使えないぞ」
「ああ、構わない。あなたのが見たいだけだ」
「……」
そんなことに気づきもせずに、トレースは彼と何やら話している。ば、ばれたりしないよね……?
「……ありがとう。自分のが本物だと確信できたよ。どうもこんな船に乗れたのが不安でね、自分の身分証が偽物ではないかと、無意味な疑いを持ってしまったんだ」
「それはそれは。……見せてもらってもかまわない?」
「ああ、もちろんだとも。これでおあいこだね?」
というか、どうして彼は明らかに年下のトレースが敬語を話さないのに対して何も言わないんだろう……?そういう風土なのかな?
「……たしかに、本物だ。安心して船旅を楽しむといい」
「ありがとう。主人にもそう言っておくよ」
「……主人?君は女の子、だったのかい?」
「そうさ。そしてあそこであたふたしているのがボクのご主人様だ。……では」
「え、ちょ、一体どういう意味……」
引き留めようとした男性を完全に無視して、トレースは僕のもとに戻ってきた。……目が、視線が痛い!
「ルウ、身分証を手に入れたぞ」
「え、持ってたんじゃないの?」
「彼に見せてもらって作った」
「……そう」
トレースは僕の分の身分証を渡してくる。つまみだされたらかなわないので受け取っておく。それにしても、相変わらず、トレースはすごいな。
「さて、と。ここで名実ともにボクらはここの客だ。どうやら料金先払いのようだから、ボクらはお金を払う必要などない。……楽しもう!」
え、それって、無銭飲食?大丈夫なのかな、そんなことして。
「大丈夫だ。きっと。うむ、大丈夫ということにしておこうじゃないか」
「うーん……ま、いいか」
良心はやめておけと言っているけど……おいしいものには勝てない。そんなにいっぱい食べるわけじゃないから、いいよね?
「さて、どれから食べる?って、聞いてない……」
「なに?」
「キミの体に合うかどうかもわからないんだぞ?それなのに口に入れない方がいいぞ?」
「大丈夫だろう?こんなにおいしそうなのに」
「……コアラにとってユーカリは食糧だが、ほかの動物にとっては毒だ。異世界なのだから、そういうことは往々にしてあるだろう。この世界の人間にとっておいしくて上等なものでも、キミにとってはトリカブトと同じこと……って、聞いてくれ!」
僕は赤い甲羅を持った節足動物……多分、カニ?うん、カニを食べてみる。
バキリ、バキ……。
「かたい……」
「はあ……。ルウ、それは殻を割って、中身だけを食べるんだ」
「あ、そうか。頭いいね、トレース」
「……」
トレースは呆れているのか、顔をそむける。そうか、これって殻をむいて食べるんだ。恥ずかしいことしちゃったな……。
「まったく。生まれたその日にカニを食べる人間など、そうそういないぞ……」
「そもそも僕は人じゃないけどね」
「それでも人の形をとっている以上、キミは人だ」
当たり前みたいに言ってくれるトレースの言葉が、妙にうれしかった。
人の形をとっている以上、か。トレースらしいや。
でも、それがきっと彼女のよさ、なんだろうな。
「ええっと、これは……どうやって食べるんだろう……?」
カニによく似てるけど、カニに比べたらずいぶんと細長い。これも殻をむいて食べるんだろうか?
「……おい、てめえ、エビの食べ方も知らねえのか?そんなんでよくこの船に乗れたな?」
「え、あ、すみません……」
「あやまんなよ。ほら、こうやって……」
僕が悪戦苦闘していると、後ろからいきなり声がかけられた。横まで来て、パキリ、パキリと、エビのむきかたを実演してくれる。背は僕より少し小さいくらいで、髪は黒色。顔は隣からだとよく見えない。なんか聞いたことのあるような声だ。それに、なんか冷や汗が……。
「……これで、食べれるぜ。……ほらよ。……って、ああ!てめえは!」
「……あ」
むいたエビを僕に渡そうとしたところで、彼の顔がよく見えた。
まぎれもなく、さっき僕に恐怖と畏怖を植え付けた吸血鬼、リンク・ジェイドだった。
「……逃げるよ、トレース!」
「了解!」
「あ、待てって……!」
僕らは一目散に逃げ出した。