始まりの主従関係
カツ、カツ、カツ……。
大理石の床に、トレースと僕の靴音が響く。トレースの歩みは見せつけるようにゆっくりで、一歩一歩を踏みしめるように、大胆に進めて行く。一歩歩くたび、周りにいる見張りの兵士たちの間に、緊張が走り抜ける。
トレースと僕が向かう先に居るのは、一人の老人。
豪華な服を着て、王冠をかぶっている、痩せこけたこの国の王様。
座っている椅子もその身分にふさわしく豪奢で大きいが……その椅子に座る人間は、とてもそれらしくなかった。
王様って言うのは偉そうで、尊大なはずだ。
それなのに、今目の前にいる王様は、謙虚だった。
「やあ、久方ぶりだね。……ほんの、二十万年くらいかな?」
「あ、ああ、うう……ど、どうして」
謙虚、いや違う。怯えているのだ。トレースに。もしかしたら今彼は今すぐにでも隠れてしまいたいのかもしれない。今すぐに逃げてしまいたいのかもしれない。それでも、彼はここにいる。……王様、だからだろうか。
「ひさしぶり、とも答えてくれないのか?……どうして、と訊いたね?それはこちらのセリフだよ。どうしてご主人様に刺客を差し向けた?」
「ご、ご主人様、だと……?そ、それは私では」
「キミがボクのご主人?ハッ!思いあがりも甚だしい!確かにキミはボクの作り主だ。だからと言って、崇めるつもりは毛頭ない!」
トレースは声高に、感情をあらわにして叫ぶ。
完全に蚊帳の外だけど、多分、この人が、トレースを作った魔法使いなんだろうな。
「な、なんだと……」
「いや、正確に言えばあった。あったさ!ボクはずっと待っていたんだ!キミが、貴方が、ボクを解放してくれるのを!それでもずっとずっと、ずっとずっとずっと放っておいて!いまさらご主人様ヅラしないでくれ!迷惑だ!」
「迷惑、だと……!?」
迷惑だ、と自分の創り出した物に言われて怒ったのか、玉座から立ち上がって叫ぶように彼は言った。
「ああ、迷惑だ!貴方みたいな人間が前のご主人様だとルウに思われるなんて、まっぴらごめんだ!」
「なんだと!作ってやった恩も忘れて……!」
「うるさい!それを言うなら、不老不死にしてやった恩を忘れたのか!?」
ざわりと、兵士たちは動揺する。
「……ふ。忘れた、のではなく忘れたい、ようだな。ほら、周りの連中が言ってるぞ?『国王は不老不死など存在しないと公言なさっていたのに……』とな」
こらえきれない、といった風にトレースは口元を押さえてかすかに笑う。
「ほうほう、どうもキミはボクのことだけでなく……自身の過去も忘れたいようで。……おやおや。昔のトラウマを掘り返されたくないからってなにも魔女狩りまでしなくとも……」
「……!!だ、誰か!誰かこの物を捕え……いや、壊せ!破壊してしまえ!」
触れられたくない過去を触れられて逆上したのか、王様は兵士たちに命令する。しかし、誰も動こうとはしない。
「な、何故じゃ……!」
「なぜ?くすす、わからないのか?昔のキミならすぐさまわかったろうに。動けなくしたんだよ。空間固定と座標定理の応用……キミの得意分野だろう?」
「なんだと!私はもう魔法使いではない!」
どうして、王様は魔法使いでいたくないんだろう?そんなに嫌かな?
「ふふふ、まさか、君が、あなたが、こんなに弱い人間だとは思わなかった。思わなかったともさ!絶対無比、万能無限の秘宝を創り出した世紀の魔術師が、自身を不老不死にしただけでその道具を封じこめるなんて思いもしなかった!」
「貴様は在ってはならんのだ!なぜそれがわからん!」
ピクン。
トレースの肩が、大きくはねた。
「ぼ、ボクが存在してはいけない?そんなはず、あるもんか」
「あるとも。貴様の存在があれば、百の戦が巻き起こり、千の魔術師が死に、万の兵士が息絶え、億の市民が滅びさる!貴様はすべての火種なのだ!」
「つ、創っておいて何を……!」
トレースにはさっきまでの威勢がない。自身の存在を創り主に否定されて、不安定になっているのか。
「創ったからこそ、責任を持って封印したのだ!貴様は存在してはならん!だから、滅びるべきなんだ!滅べ!命令だ!」
「そ、そんな……。ま、創造主……」
「いまさらそう呼ぶな!そう呼ぶのなら、従え!滅べ!」
「そ、そんな……」
力なくうなだれるトレース。何かを決意したのか、自身の手を胸において、何やら唱え始める。
「……創造主。ボクはあなたのことを、愛していました」
「ならば滅びろ」
滅びろ。杓子定規のように繰り返す国王。
「……はい」
つう、と、トレースの瞳に、涙。
僕が我慢できたのは、ここまでだった。
「……トレース」
僕は、言う。
彼女は、反応しない。
「トレース」
僕は言う。彼女は何も返さない。
「トレース!」
僕は叫ぶ。彼女は何も、返さない。
「トレース、命令だ!僕のほうを向け!」
僕は命令する。彼女は。
「……なんだ、ルウ」
彼女は、瞳に涙を浮かべて、答えた。
「トレース。一体君は何をやっている?何をしている?」
「……ボクは」
「君は僕を守ってくれるんじゃないのか?」
「守るとも」
「滅んだあと、どうやって僕を守る?」
「この世界に、君を傷つけるものは存在しないようにする」
「この『世界』に僕はずっといるわけじゃない」
「じゃあ、どうしろと言うんだ!」
トレースは僕に激昂する。彼女らしくない。よほど、堪えたのだろう。
「僕と一緒にいてくれ。ただ、それだけでいい」
「……それだけ、か?」
「それだけだよ」
ポカンと、トレースは呆けたような顔をした。
「ボクはなんだってできるんだぞ?衣食住最高の生活を保障するし、あらゆる快楽だって思いのままだだし、不老不死だって。それなのに、一緒にいろ?それだけ?」
「うん、それだけだよ?それとも、それ以上の命令が、君に必要なのかい、僕のトレース」
僕がそう言うと。
トレースの、涙がやんだ。