初めての進攻
かつて……ひとりの魔導師がいた。
彼は死にたくなかった。
最初、その思いは普通の人間が抱く程度のもので、なんの変化もなんの遜色もなかった。
それが逸脱するのは彼がある魔法に出会ってから。
いや、もっと言えば。
ある魔法を使う、『異世界人』に会ってから。
そもそも魔法とは生半可なものではない。簡単な魔法を使うだけでも数年の修練を要し、マスターと呼ばれるようになるまではそれこそ人生のすべてをささげる覚悟で挑まなければ……いや、挑んでもなれるかどうか怪しい、と言うものなのだ。人生以上の何を捧げられるか。それが魔法使いがマスターになるために必要な覚悟である。
ところが、異世界から来たという人間は、少女だった。十代前半もいかないようなそんな年頃の娘だった。
そんな少女が『魔法使い』を名乗るのだ、彼は少女を嘲り、嗤った。そして、笑いが終わらぬうちに、こう言った。
「そんなに自身が魔法使いであると言うのなら……その力を証明して見せよ。我、これでも十数年を魔法に捧げた身だ、もしこのおいぼれと同等であると言うのなら……貴様は魔法使いなのだろう」
挑発を込めた、挑戦状であった。
彼女はこれを快諾し……そして結果、彼は十数年かけて編み出した魔法を全否定されることになる。
「……ふん。あんたごときが私と同等?百万年早いわ」
絶望、その本当の意味を、彼はいま初めて理解した。真の恐怖とは、真の絶望とは、ただ少し戦うだけでも、味わえるのだと。
彼は恐怖した。殺される。死にたくない。そんな思いがどんどんどんどん膨れ上がって膨れ上がってそして……。
彼は、彼は。
「……ここが、王宮だ」
トレースが言う。
周りは、武装した王宮の兵士たちであふれている状況で、彼女は言った。
「あ、あの、トレース?」
「なんだ、ご主人様」
「こ、この人たちは……?」
「王宮兵士の一つ上の武装集団、王宮騎士団だ」
「……強いの?」
「もちろん」
……なんでそんな人たちに囲まれていてなお、トレースは怯えの色すら見えないんだろう……?
「さて、ルウ。ボクたちは今から王に謁見するわけだが……」
「どうしたの?何か問題でも?」
何か必要なものでもあるのだろうか?
「ルウ。ボクはダメな道具なのかもしれない」
「どうして?」
「さっきボクはキミに誓った。絶対、キミの許可なしでは誰も殺さないと」
「うん」
「しかし、ボクは王を殺さない自信がない」
「……どうして?」
トレースは少しだけ、平然とした表情を崩し……悲しそうな笑みを作った。
「それは、彼がボクのご主人様を殺そうとしているからだ」
「それぐらい……」
「それぐらい?キミとってはそれぐらいでも、ボクにとったら世界の破滅だ。キミがいなくなったあと、ボクはどうやって、誰にすがって、誰に仕えて生きればいい?」
「そんなこと……」
僕が知るはずないよ。
「……ふふふ、冗談だ。ボクが生きている限り、ボクは何をしてでもキミを守る。大丈夫。こんな連中……片手間で皆殺しにできる」
ザワリ。周りの兵士たちは動揺して、僕たちを囲む円を広めた。
「トレース……」
「これも冗談。殺さずに済むなら殺さないさ」
「ならいいけど」
本当に誰一人傷つけずに入れるのだろうか?少し不安だ。
「さあ!道を開けてもらおうか」
トレースは声高に叫ぶ。しかし、当たり前だけど誰も道を開けようとはしない。その様子を見て、彼女は得心したようにうなずくと、クスリ、と嫌な笑顔を浮かべて、言い放つ。
「ボクの言葉を聞いてなお退かない、その意気やよし。……しかし、キミたち。ここでその命、無残に散らせることもあるまい?」
「トレース?」
いきなり何を言い出すんだ!?さっき殺さないって言ったところじゃないか!
「まあ、待ってくれご主人様」
「でも」
「さきほど、ボクらのことを伝えに来た男が来たはずだ。……彼はボクらのことを報告すると同時に、脚が動かなくなった。……違うか?」
ザワリ。また、動揺が兵士たちの中に生まれる。
「トレース、一体どういうこと!?足を動けなくしたって、そんなことしたら……」
「安心してくれ。ほんの一週間程度動けなくしただけだ。この先は向かってこられても面倒だから、文字通り足止めしただけだ」
それならいいけど……。もう、ひやひやするなあ。
僕はそんな感じに安心したけど、兵士たちはそうではないようだ。隣同士で顔を見合わせ、何やらひそひそと何かを話している。
「彼は脚だった。しかし!脚を止めれるなら、心臓をも止められるとは思わないか?心臓を一週間も止めていたらどうなるか……わからなほど、キミたちは愚かではあるまい?」
心底本気の、脅し。脚を動けなくした、という不思議な力もさることながら……一切の容赦も感じられない声色が、決定的だった。まるで、僕の言葉だけが枷であるかのような物言い。それが、彼らの足をすくませ、結果的に、僕らを囲う円は次第に薄くなっていき、最終的に、誰もいなくなった。
「王宮騎士団とは言え、歴史以来戦争の影さえもない国なんて、こんなものか」
トレースは短くつぶやくと、僕の方に振り向いて、わずかな笑みを見せた。
「ふふふ、彼らは愚かだな」
「そうかな?誰だって命は惜しいよ」
「まさか。キミがボクに命令している限り……ボクは虫一匹殺さないよ。そう声高に言ってあるのに、雰囲気だけに負けてしまうなんてね?」
「仕方ないよ。僕だって本気に聞こえたもん」
「ずいぶんと信用がないんだな」
「信用してないわけじゃないけど、ひやひやするんだよ」
「……すまない。……では、謁見しようか。なぜボクたちを狙うのか……興味がある」
「そうだね。どこから僕たちのことを聞いたのかも、訊きたいな」
トレースは大きな王宮に向けて足を進めた。僕も、彼女について行く。
王様、か。初めてあうけど、どんな人だろう?