僕が見たかった世界
トレースの力によって視力が上がった僕には、その部屋の光景全てを見ることができた。見ることができてしまった。
「……」
「主人……! なぜ出てきた!?」
トレースが何かを叫んでる。何を? 僕は、トレース、ルオ、オリジンの三人が戦っているそう広くない部屋の前で、棒立ちになっていた。その部屋の光景が、信じられなくて。信じたくなくて。
「お子ちゃまには刺激が強すぎたかな?」
「この……! 減らず口を!」
僕は、信じたくなかった。僕の視線を釘付けにしているのは、部屋に散乱している赤い錆がこびりついた道具ではなくて、床一面にぶちまけられた血液でも臓物でもなくて。
両手と両足がなくて、お腹は切り裂かれて、何も入っていなくて、目からは赤い涙を流している、まだ生きている小さな女の子だった。その子は乱雑に横たえられていて、胸が小さく上下していた。
「……世界さんの、妹さん?」
まさか、まだ生きているの? 僕は思わず駆け出した。
「ルウ! まだ近づかないで。もうちょっと苦しんでもらいたいんだ」
「させるか、ルオ!」
僕の後ろで、鉄と鉄がぶつかる激しい音がした。そんなものに構わず、僕は女の子のそばまで行って、腰を下ろす。今、僕の視界にはボロボロになった女の子しか映っていない。長い髪は血の色に染め上げられていて、もとの
黒が少し見えているくらいだった。かわいらしいはずの顔は無残に傷つけられ、もはや見る影もなかった。視界が少し潤む。この子のことがかわいそうで、かわいそうで見ていられなかった。目を背けたくなるけど、しっかりと見つめる。
「……世界さんの、妹さん?」
「……あ、あう……」
返事は聞こえない。何かを言っているのだろうけど、小さすぎて聞き取れない。でも、きっと、この子が妹さんなはずだ。
「お姉ちゃんに会いたい?」
「……う、ううう」
二、三ミリだけど、その子は首を縦に振った。僕は彼女の背中に手を回すと、抱きかかえる。右手一本で抱えることができる。彼女はこれが人の重さなのかというくらい、軽かった。本来人にあるはずのものが全部抜き取られているから、こんな重さなのだろう。……なんでこんな状態で生きていられるのだろう。
「主人何をしている!? まさかそれを世界に見せるつもりではあるまいな!?」
「この子が、会いたいって言ってるんだ。会わせてあげなきゃ……」
もしかしたら、死んじゃうかもしれないんだ。最期の望みくらい、かなえてあげなきゃ。僕は世界さんの元へと歩き出す。
「待て、主人! 何をしようとしているのかわかっているのか!? 彼女が受け止められるとでも思っているのか!? 先ほどまでの反応を忘れたのか! 主人、やめろ!」
トレースの声は、聞こえない。この子を、本当に助けれる? わからない。わからないから、望みをかなえてあげなきゃ。死んでしまってからでは、遅いんだから。
「じゃあ、やめさせてあげるよ。オリジン!」
「了解」
僕の目の前に、トレースそっくりの人が降り立った。
「どいて」
オリジンは僕が抱えている女の子に右の掌を向けた。かばうようにして、左半身を前に出す。左手のコンシャンスを正眼に構える。
「申し訳ございません。命令ゆえに」
そういうと、オリジンの掌に光が集まっていく。僕ごと貫くつもりだろう。そうはさせない。
「ごめん!」
思い切り振りかぶって、横に一閃。オリジンの手を、真っ二つに切った。
「……!」
痛みにうめいてよろけた横を、僕は走って通り抜けた。
「……オリジン。役立たず」
「も、申し訳ございません、ご主人様」
「トレースと戦ってて。面白いものが見れそうだ」
「了解」
そんな会話が聞こえたけど、僕は気にせず世界さんの元へ走る。
「世界さん!」
「……! る、ルウ君!」
部屋の外で小さくうずくまって震えていた世界さんは、僕の声に反応して嬉しそうに顔を上げた。
「世界さん、君の妹さん、見つかったよ」
僕はその時、どんな顔をしていたのだろう。世界さんは何か恐ろしいものを見たかのように眉を顰め、力なく首を振った。
「ま、まさか、その、それ、いや、その子、が?」
「……うん」
ふらふらと、まるで幽霊か何かのような足取りで、世界さんは僕のほうに来た。僕は世界さんの妹さんを両手で丁寧に抱えなおし、世界さんに見えるようにした。
「……さ、皐?」
「あ、ああ……お……ん」
世界さんは涙を流しながら、世界さんの妹さんの頬に触れる。
「……痛い、の?」
「う、うう……」
世界さんは僕の手から妹さんをやさしい手つきで抱え上げた。慈しむように、抱え込む。
「ごめんね、ごめんね。私、本当にダメなお姉ちゃんだったね。ごめんね」
涙を流し、しっかりと妹さんを抱きしめるさまは、美しくもあった。けれど、僕は彼女たちの姿を正視できなかった。あまりに、痛ましすぎて。
「こんな方法でしか皐を救えない私を、赦して。ごめんね、ごめんね」
世界さんは、謝りながら、黒の翼を背中から生やし、その翼で妹さんを包み込んだ。
「……あ……う」
「ごめんね、ごめんね。絶対、仇はとるからね。天国で見守っててね」
それきり、世界さんの妹さんは動かなくなって、世界さんも妹さんを抱きしめたままじっとしていた。
「……なんだ。つまらない。もっと錯乱するかと思ってたのに」
「君は、最低だ」
僕はコンシャンスを構えて、ルオに向き直る。
「その子が悪いんだよ。仲間になれば、妹さんを助けてあげるって言ってたのに」
「言ってるだけでしょ、君の場合」
僕は精一杯言葉に棘を含ませて言った。
「よくわかったね。で、どうする? 俺と戦う?」
「もちろん。君だけは、許さない」
僕はルオに切りかかろうと、一歩踏み込んだ。
「待って」
その時、世界さんが僕を止めた。僕はとりあえず威嚇のために剣を振るだけ振って、一歩下がる。世界さんのほうを見ると、彼女は漆黒の翼を廊下いっぱいに伸ばし、濡れた瞳をルオに向けていた。その形相はまるで……。
「ルウ君は、手を出さないで」
「で、でも、僕は」
「こいつは、私が殺す」
そう言うと世界さんは背中の翼に手を伸ばし、羽を一枚引きちぎるようにして抜いた。その羽は大きく、僕のコンシャンスぐらいの長さがあった。彼女はそれを剣のように持つと、ルオにとびかかっていった。彼は後ろに跳んで、オリジンとトレースが激戦を繰り広げている部屋に入った。当然のように世界さんもルオを追いかけた。血と臓物にあふれた部屋を見ても、世界さんはひるむことなく、ルオに向って行き、羽を振り続けていた。
「致死の剣か。いい考えだ」
「……!」
何も言わず、必死で攻撃を続けても、全てルオに躱されてしまう。
「世界さん、僕も手伝う!」
「下がってて! 巻き込んじゃう!」
威嚇するように、世界さんは翼をはためかせた。僕の三歩先の空間を、致死の翼が通り抜けた。
「……剣と翼、二つを同時に相手どるのは辛いね。オリジン、この廃屋を潰して広くしろ」
「了解」
オリジンが頷くと、僕たちがいる廃屋全体が揺れた。……崩れるの?
「世界さん! 翼、しまって!」
「イヤ! あいつを、ルオを殺すんだ、絶対に!」
「世界さん! 崩れるよ!」
それでも翼をしまおうとしない世界さん。揺れはどんどんひどくなり、天井やら壁やら、あちこちにひびが入っていく。
僕はダメ元で、世界さんに向かって走り出した。
「ルウ君!?」
「主人!?」
僕は世界さんにとびかかり、上にかぶさった。
その数秒後、天井が崩れて、僕の背中に痛みが走った。