始まりの空間
この小説は異世界モノです。
………ん。……んん。
………………ここは……どこ?
暗い世界だった。
僕は目覚めた。
僕は、意識があった。
生まれながらに、言葉がわかった。
目を……あけて。……世界を……見なきゃ。
腕が動いた。足も動いた。まぶたも唇も、自由に動く。
……きれいだなぁ……。
目を開けて最初に見たのは、世界。……だと、なぜか理解できた。
どうしてだろう?どうしてだろう?
疑問は僕のことだけでなく、周りの世界にも当たり前のようにおよんだ。
ここは……どこだろう……?
黒と白のチェック模様の床。壁はない。ずっとずうっと遠くまで黒白の床が続いている。
灯りはないはずなのに、見えないところはない。暗いと思えば明るくなって、まぶしいと思えば暗くなる。そんな不思議な空間だった。
その空間には扉があった。
ひとつ、じゃない。二つ、なんかでもない。
十?二十?そんな数じゃ全然数えきれない。
百?千?万?億?兆?
もしかしたらそれ以上あるのかもしれない。
壁のない白黒の空間に、無数の、本当に数えきれないぐらいの扉が無造作に等間隔で立っている。
ここは、本当にどこなんだろう……?
いろいろと扉を調べてみる。特におかしなところはなさそうだ。
扉は一つ一つ大きさや模様が違い、ドアノブの装飾に至るまで、同じものは一つとなかった。
ただひたすらに大きくて豪華そうな扉もあれば、とことんまで小さくて貧乏そうな扉もあった。
どちらもどうやってあければいいのか分からなくて、僕は調べることすらもあきらめた。
中ぐらいの。少し大き目。心なしか小さめ。
きれいな扉、美しい装飾が施された扉。金色の扉、青い扉、紅い扉、緑色の扉、黒の扉、白の扉。
見渡せど見渡せど、扉ばかり。嫌になる。まるで絡みつくみたいに視界に入って、侵食してくるように目の端々に見えてくる。まるで開けろ、と扉が恫喝しているように。そんなわけない。扉だ。ただの物だ。口を利くはずがない。……そう思うけれど、扉が放つ無言の圧力は今もなお、僕に襲いかかってくる。
扉。どこを見ても扉ばかり。もう嫌になってくる。扉が、多い。この場所には扉が多すぎる。さっきからずっと扉、扉、本当に扉ばかり。
……一体、ここは本当にどこなんだろう?
「……疲れた」
今起きたところなのに、いきなりこんなところに来るから嫌になるんだ。ここから出れば少しはましに……。
そこで、ふと気付く。
……どうやって、外に出ればいい?
したいこと、するべきことはわかった。……でも、一体どうやって?
ここには壁はない。出口らしいところも一切ない。じゃあ、一体どうやったらこの扉だらけのおかしな空間から出られるんだ?
――――『そんなの……決まっている』
そんな風な声が、聞こえて来た。
僕が悩んでいたのを見越したようなタイミングで、声は話しかけて来た。
――――『そんなものは簡単だ……出口?存在しないよ、ここには』
「な、なんだって……?」
声は僕にとって絶望的なことを知らせてくる。出口が、ない?じゃ、じゃあ僕はずっとこの空間で生き続ける?そんなのは、嫌だ。嫌だ!
――――『あせることはない……。出口はないが、入口ならある』
「入口?なんの?どこに?そんなもの、どこにだってないじゃないか!」
僕は周りを指さして叫ぶ。どこに声の主がいるのかわからないけれど、空から声が降ってくるような感じがしたので、天を見上げて叫ぶ。例にもれず天井には何もないけれど。
――――『君の周りにいくらでも、そう、まさに掃いて捨てるほどあるのだろう?』
「そんなものどこにも…………はっ、まさか……」
周りを見渡す。この空間でいくらでもあるものと言えば、一つしかない。
……扉?
――――『ふふふ。よくわかったな。君はこの空間から出たい、そうだろう?』
「……うん」
僕は応える。出たい。何がなんでも。
――――『そうだよ。それで正しいんだよ。君は正しい選択をした。これからも正しい選択を心がけるようにね』
「……うん」
なぜだか……急に、声が優しくなったような気がした。まるで、……そう、親が旅立つ前の我が子を見送るときのような、そんな声色。
――――『君は自由だ。何よりも強く、誰よりも永く、どんな物よりも自由だ。さあ、自由の君には何か名前がいるだろう。君はこれから永い永い人生を旅をしながら歩むのだろう。……いいかい、まず、ここで名前を決めるといい。自分の名前だ。決めて御覧?』
「……うん」
なんで、素直に入口を教えてくれないんだろう。そうは思わなかった。絶対に最後には教えてくれる。そんな信頼が、なぜか心の奥底からできていた。でも、同時に戸惑いもあった。
僕が、永い?僕は、旅人?
意味のわからない単語もいくつかあった。けれど僕は……。ここを離れられて、自由に生きていけるのだろう。自由気ままに風の向くまま、水の流れるまま。流れるときと共に、ずっと、ずっと。
……僕は何者なのだろう?
ふとそんな疑問がわいた。
空を見上げて、いぶかしげな顔を向けてみる。
――――『どうしたのだい?名前をどう決めればいいのか、迷っているのかい?……じゃあ、自分の在り方を名にしてみると言うのはどうかな?君は一体、どんなものになりたいんだい?』
「……僕は」
僕は、何になりたいんだろう?
そんな疑問、起きたばかりの……生まれたばかりの僕に、わかるわけがなかった。
「……これから、見つけます。……だから、それまで僕は、身を流れに任せて、進んでみます」
怒られるだろうか。そんなかすかな恐怖があった。
――――『そうか。それもいい。……ならば君は流だ。君は流れに身を任せる流浪人……流だ。これからはルウと名乗りなさい。いいね?』
「……はい」
いつの間にか僕は敬語を話していたけれど……。嫌な気持ちには全然ならなかった。
――――『いいかい、ルウ。君は自由だ。自分の意思で、自由に、気の向くままに、扉を選びなさい』
「選んで、どうするのですか」
――――『いいかい、よく聞くんだよ。扉は『世界』につながっている』
「……世界?」
――――『そう。いろんな『人間』やそれ以外がたくさんたくさん暮らして過ごして生きて死んでいく『世界』だよ。君はその『世界』に興味本位に入ってもいいし、真剣に介入するのも自由。何をするのにも自由。人を殺そうが誰か好みの女を手篭めにしようが自由。……だからこそ』
「……だからこそ?」
手篭め、ってなんだろう。そんな他愛もないことを考えながら、返事をする。
――――『だからこそ、だよ。だからこそ、君は慎重にならなければいけない。自由の責任は全て君にある。入った『世界』で自分勝手にしすぎたら……『世界』が怒って君を閉じ込めてしまうかもしれない。自由と自分勝手にできるのとはけして同じではないのだよ。肝に銘じておくんだ、ルウ』
「……はい」
結局僕はどうすればいいのだろう?自分勝手に生きるつもりなんて毛頭ないし、何が『世界』を怒らせてしまうのかもわからないのに。
――――『いいかい、ルウ。好きな扉を選んで、入ってご覧?きっと、君が嫌うこの空間から抜けだせるさ。……もし、次にこの空間に来ても、私はもういないから、注意するんだよ?』
「……はい」
ああ、もうこの声には会えないんだ。
そう思ったらなぜか、無性に悲しくなった。
――――『さびしがることはない。……いいかい、ルウ。よく聞きなさい。これが、私ができる最後のアドバイスです』
「……はい」
――――『自分の力を、信じなさい。自分は『世界』と共に歩む者だと、思いなさい。けして、折れて曲がることのないよう、私は願っている。……では、お別れだ。……ルウよ』
「……はい」
僕は言われるがまま、僕が選んだ『世界』の扉のノブに手をかける。扉を開けて、『世界』の中に入れば……。晴れて僕は、この空間から出られる。
でも、最後に、最後に何かこの声に言わなきゃいけない言葉があるような気がして。
……少し悩んで。本当にこの言葉であっているのか不安で、怖くて。もしかしたら違うのかも、という疑問がぬぐいきれなくて。でも、僕は言った。だって、最後なんだ。これが、最後なんだから。
「……行ってきます、お母さん」
――――『……………行ってらっしゃい、我が子よ』
ああ、やっぱり合ってたんだ。この声が、僕を生んでくれた、『お母さん』。
……また、きっと僕は帰ってくる。……いや、帰ってきます。あなたに会いに。声はもう届かないのかもしれないけれど。
「……行ってきます」
もう一度、言う。
――――『いってらっしゃい』
もう一度、言ってもらう。
扉を、開けた。
淡い光がこの空間に漏れて、僕は急激にその光に惹かれて、見とれて……。
気が付いたら、一気に扉を開けてその向こう側へと向かって行った。
そして、この日から僕は。
『世界』と『世界』を渡り歩いて、流浪する、旅人になったのだった。