断片的な記憶
「お兄さんは、おとぎ話のような世界観は好きですか」
妹のミヤビが、いつだったか、僕に言ってきたことがあった。
どういった会話の流れから転じたものかは思い出せないけれど、夕食の時間に彼女がふと、言い出したような気もする。
おとぎ話のような世界観とは、たとえば、どんなものだろう。僕はなんと答えようものかと悩み、訊き返した覚えがある。曖昧な返答をして、彼女を悲しませるようなことはしたくなかった。
ミヤビが言うには、それは日常とは異なる、非日常が溢れる世界観であるらしい。
そこでは自分たちの常識は通じないかもしれないし、おかしな言動をする人がいるかもしれない。
けれど、あらゆる不思議と発見がいっぱいの愉快な場所なのだ。
ミヤビは、嬉しそうに説明してくれた。
僕は少し想像してみてから、あまり好みじゃないかも、と口にしてしまった。
すると、ミヤビは悲しそうな顔をした。
失敗だったなと、僕は反省したはずだ。ミヤビを困らせたり悲しませたりすることは本意ではない。どんな理由があれ、彼女が落ち込む姿は見たくないのだ。
だから、すぐに訂正して彼女の望むところに同意し、つまり、おとぎ話のような世界観が好きな兄として、振る舞った。
ミヤビは、いつかそんな世界に行ってみたいと言った。そうだね、面白そうだねと僕は頷いた。
しかし、正直なところ、やはり無秩序で混沌としたものは、心の底から好きにはなれない。
何にしても、規律があって、秩序があって、それが存在するための正当性がなければ、それは何か、やましい気持ちにさせるというか、背徳的な悪事を働いているような気になって、想像するだけで胸のあたりが痛くなる。
おとぎ話の物語を読むのは好きだ。それは無秩序で混沌とした世界観を前提として、その物語の世界が成り立っているからだ。無秩序という秩序があるからだ。
けれど、そんな世界に行ってみたいとは、つゆほども思わない。おとぎ話は、あくまで外から見ているから楽しめるのだ。聞いているから面白いのだ。