【3話】一人娘に魔法を教える
ゲストルームに一人取り残されてから、どれくらいの時間が経っただろうか。
泣きはらしたエレインは、先ほどまでとは打って変わって落ち着いていた。
いっぱい涙を流したからか、自分でも意外なほどにスッキリした気分になっていた。
そんな気分に浸っていると、扉をノックする音が聞こえてきた。
ゲストルームに、メイドが入ってくる。
床に手をつけていたエレインは、急いで立ち上がった。
「エレイン様。お部屋までご案内いたします」
「……はい。お願いします」
メイドの後ろについて、ゲストルームを出たエレイン。
絵画、彫刻、タペストリー。
高級そうな美術品がいくつも飾られている幅広の通路を歩いていく。
「こちらがエレイン様のお部屋になります」
案内されたのは屋敷の一階にある、エントランスにほど近い一室だった。
「案内してくださってありがとうございました」
「お気になさらず。それでは、ごゆっくりとお休みください」
綺麗なお辞儀をして、メイドは去っていった。
ドアノブに手をかけたエレインは、部屋の中へと入る。
部屋は広かったが、殺風景でがらんとしていた。
置かれているのは、ベッドと、それから、机が一つだけ。
最低限のものしか用意されていないのだろう。
そんな部屋ではあるのだが、綺麗に清掃されている。
手入れは十分に行き届いているように思えた。
部屋をくれるといっても地下牢のような劣悪な場所だと思っていたので、これはありがたい。
(泣きすぎたせいで疲れちゃったわ。特にやることもないし、もう寝てしまいましょう)
ベッドまでのそのそと近づいていったエレインは、糸が切れたようにボフンと仰向けで倒れ込む。
「おやすみなさい」
広い天井に向け、あくび混じりに呟いた。
それから二時間ほど。
寝てしまおうと意気込んでベッドに入ったエレインの瞳は、未だにパッチリと開いていた。
理由は色々とある。
ベッドが変わったからだとか、これからのことを考えて不安になるとか――ともかく色々な理由が重なって、眠れていなかった。
眠気はあるのに眠れない。
エレインは、そんな不快な状況を迎えていた。
「こういうときには、気分転換が必要よね」
ベッドから降りたエレインは、ドアの方へ向けて歩いていく。
このままでは、朝まで眠れないような気がする。
明日一日を寝不足で過ごさないために、エレインは外の空気を吸いに行こうと考えた。
屋敷のエントランスを出たエレインは、少し離れた場所にある大きな庭園を発見する。
(お花がいっぱいで素敵な場所ね。リラックスするのにちょうどいいかも)
気分転換にはもってこいの場所を見つけられて、小さくガッツポーズ。
さっそく、色とりどりの草花が広がる庭園へと向かう。
庭園には、先客がいた。
可憐な銀髪美少女、デルドロア公爵令嬢のフィオだ。
フィオは瞳を閉じて、ゆっくりと息を吐き出している。
体の中心部からゆらゆらと体から上がった立ち上がった黒い光――魔力が、全身を包んでいく。
彼女がやっているのは、魔法を発動するための準備だ。
魔力を全身に均一に行き渡らせる行為――魔力の均一化。
それが魔法発動の基本だ。
初心者は例外なく、この動作を習得するところから始まる。
しかし、これがなかなか難しい。
魔力に偏りができてしまい、なかなか均一になってくれないのだ。
そして、フィオが全身に纏っている黒い光にも偏りが見られる。
魔力の均一化に苦戦しているようだ。
(私も最初はうまくできなかったな)
かつての自分の面影を重ね、懐かしい気持ちになるエレイン。
ゆっくりと瞳を閉じて、フィオと同じように魔力の均一化を行う。
体の中心から立ち上がった黒い光が、あっという間に全身を包んだ。
光の強さはピタリと揃っていて、いっさいの偏りは見られない。
お手本のような均一さになっている。
「すごーい!!」
突然、そんな声が聞こえてきた。
仰天しながら目を開けてみれば、フィオがいつの間にか目の前まで近づいてきていた。
前屈みに身を乗り出し、キラキラと輝く瞳をこちらに向けている。
「ピッタリでとっても綺麗でした!」
「…………うん。ありがとうね」
「私、均一化がうまくできなくて……そうだ! やり方を教えてくださいませんか!」
「えっと、それはちょっと……」
困惑したエレインは、すらすらと言葉が出てこない。
やり方を教えるのは構わないし、むしろ悩んでいる少女の助けになれるのなら、積極的に教えてあげたい。
しかし勝手なことをすれば、リファルトの怒りを買うことになるだろう。
生殺与奪の権利を握られているという今の状況を考えると、どうにも首を縦に振れなかった。
「……そうですよね。いきなり迷惑でしたよね。変なことを言ってしまって、ごめんなさい」
瞳を輝かせていたフィオは、一転。
しゅんと落ち込んでしまう。
気にしないで良いわよ。おやすみなさい――きっと、そう言って私室に戻るのが正解なのだろう。
しかしエレインは、
「迷惑なんてとんでもない。私で良ければ、コツを教えるわ」
正解を選ばない。
しゅんとしている少女を放って帰るなんて真似、エレインにはとてもできなかった。
もしここで逃げ帰るような真似をしたなら、その選択をした自分を許せなくなるだろう。
きっと一生後悔することになるはずだ。
そんなのは、絶対に願い下げだった。
コツを教えてからしばらく。
驚くべきスピードで、フィオは上達を見せていた。
完全に均一とまではいっていないが、かなり偏りが少なくなっている。
コツを教える前と後では、見違えるほどの大きな違いがあった。
フィオの学習能力の高さには、目を見張るものがある。
ものすごい才能を秘めている子だ。
「どうでしょうか!」
「うん、とてもいい感じよ。こんなにも早く上達するなんて、フィオはすごい子ね」
「すごいのは私じゃありません。エレイン様の教え方がうまかったんです!」
無邪気な笑顔には、真実しか映っていない。
本心からそう言ってくれていた。
(なんていい子なのかしら……!)
生意気な子――フィオのことをノルンはそう言っていたが、まったくもって違う。
他人を気遣うことのできる、とても優しい心を持っている子だ。こうして接点を持ったことで、それがよく分かった。
「ありがとうね。でもここは、自信を持っていい場面よ。よくできたわね」
手を伸ばして、フィオの頭をそっと撫でる。
そうすると、フィオはビクッと体を跳ねさせた。
(しまった!)
慌てて手を引っ込める。
妹のノルンに、フィオは手をあげられている。
レルフィール家の人間に手で触れられるという行為が、トラウマになっている可能性は十分にあった。
(少し考えれば分かることなのに!)
考えもなく無意識に行動してしまった自分に腹が立つ。
「いきなり変なことしてごめんね! 嫌だったよね……?」
「違うんです!」
大きめの声を張り上げたフィオは、ぶんぶんと首を横に振った。
「撫でられたのが嬉しくて、温かくて、もっと撫でて欲しくて……。えっと、だからその、全然嫌なんかじゃありません!」
(…………待って。何この反応。可愛いすぎるんだけど!!)
エレインのハートが、一直線に撃ち抜かれる。
小さな両手をグッと握って一生懸命訴えかけてくるフィオの、なんたる可愛いことか。
飛び抜けている可愛さは、破壊力抜群だった。
可愛さの暴力を真正面から受けたエレインは、衝撃のあまり放心状態になってしまう。
「あの、エレイン様?」
「――っ!」
フィオの呼びかけでエレインは我に返った。
頬に熱が集まっていくのを感じる。
放心状態の姿をフィオに晒していたことが、なんとも恥ずかしかった。
「私、そろそろ部屋に戻るわね!」
「待ってください!」
恥ずかしさのあまり、これ以上ここにはいられない。
そそくさと逃げ去ろうとしたのだが、フィオに呼び止められてしまう。
「これからお話ししませんか? 私、まだまだエレイン様と一緒にいたいんです」
エレインの手を、フィオがぎゅっと握る。
うるうるとしている瞳に、上目遣いで見つめられる。
(あーもう……! 可愛すぎ!!)
「ぜひしましょ!!」
これ以上フィオと関われば、リファルトの反感を買うことは確実だろう。
であれば、ここは手を振り払う場面だ。
そんなことは分かってはいる――分かってはいるのだが、それでもエレインは大きく頷いた。
最高に可愛いお願いをされては、手を振り払うという選択肢が彼方へ吹き飛んでしまうのも仕方がない。可愛いには逆らえなかった。