【2話】慰謝料としての奴隷
マルーファス王国郊外にあるレルフィール家より、馬車に揺られて三時間ほど。
夕焼けの赤が辺りを照らす頃。
王都の中心地にそびえ立つ巨大な屋敷――デルドロア公爵邸に到着したエレインは、さっそくゲストルームへと通された。
「し、失礼しま――ヒッ!」
入室するなり、エレインは短い悲鳴を上げる。
エレインを迎えたのは、とんでもなく鋭くて冷たい視線。
殺意がこもっているかのようだ。
そんなものを向けられては、まともな挨拶などできはしなかった。
あまりの迫力に気圧され、腰を抜かしそうになってしまう。
敵意むき出しの殺人的な視線をエレインへ送っているのは、横長のソファーにかけている男性だった。
歳は二十代半ばくらいだろうか。
金色の髪に青い瞳をした、反則的なまでに整った顔をしている美丈夫だ。
そんな美丈夫のすぐ隣には、八歳くらいの少女がちょこんと座っている。
肩の上で切り揃えられた銀髪にくりくりとした青色の瞳をした、人形のように可愛いらしい美少女だ。
「俺はデルドロア公爵家当主のリファルト。隣にいるのは、娘のフィオだ」
自分と娘の紹介をしたリファルトの声は淡々としており、いっさい抑揚がない。
人に聞かせる気のないその声は、紹介というよりもひとりごとに近かった。
「エレイン・レルフィール――あの忌々しい女の姉である貴様が、いったい何の用でここへ来たんだ?」
リファルトの青い瞳が、ギリリと細められる。
眼光の鋭さが増したことで、威圧感は急上昇。
ただでさえ恐ろしかったというのに、さらに研ぎ澄まされたものへとなっていく。
尋問でも受けているかのような気分だ。
「…………謝罪をするために参りました」
今すぐにでも逃げ出したいエレインだったが、なんとか勇気を振り絞る。
かすれたか細い声は、風が吹けば飛んでしまいそうなほどに弱々しい。
しかし、これが精いっぱいだった。
恐怖に押しつぶされそうになっている以上は、こうなってしまうのも仕方なかった。
「こちらをお納めください」
持参してきたカバンを開けたエレインは、布袋と封筒をリファルトへ差し出す。
差し出している手は、恐怖でプルプルと震えていた。
「慰謝料と謝罪文です」
「ふん……」
震えている手の上から、布袋と封筒がぶっきらぼうに取り上げられた。
布袋を床に置いたリファルトは、まずは封筒を開けた。
そして、中に入っている謝罪の手紙を広げて目を通していく。
「なんだこれは……ふざけているのか!」
怒声を上げたリファルトは、読んでいた手紙をぐしゃっと丸めた。
「誠意がまったく感じられん!」
「あの……どうかお気を静めてください」
エレインの役目は、ひたすら許しを請うことにある。
怒りをあらわにしている彼に話しかけるのは怖かったが、役目を全うするためにはそうも言ってられなかった。
「奴隷として売られたというのに、まだレルフィール家の肩を持つというのか! おめでたい女だな!!」
「奴隷? 売られた? どういうことですか、それは?」
リファルトの口から飛び出してきた不穏なワードの意味が、よく分からない。
大きな疑問符が、頭の中を埋め尽くした。
「……まさか、知らされていないのか? それならば、自分の目で確かめてみるといい」
丸められた謝罪文を投げつけられる。
床に落ちたそれを拾ったエレインは、両手で広げて中を見る。
前半に記載されているのは、『ノルンには悪気がなかった。どうか許してあげてほしい』といったこと。
並べられているのは言い訳ばかりで、フィオに手をあげたことへの謝罪はほとんど見受けられない。
誠意を感じない、と言われてしまうのも納得の内容だった。
そして、問題は後半の文章。
そこには、こんなことが記載されていた。
”慰謝料として納めさせていただくのは、大量の宝石と貴金属類、そしてノルンの姉であるエレインです。
エレインをどう扱うも、デルドロア家の自由です。使用人としてこき使うもよし、奴隷として使い捨てるもよし、もちろん殺してしまっても構いません。
ですからどうか、レルフィール伯爵家への怒りをお静めください”
手紙の最後には、ラントニオのサインとレルフィール家の家印が箔押しされている。
それは、この手紙が法的に有効ということを示している証拠。
つまりエレインは、正式に家族から売れ払われてしまったのだ。
「……ははは」
乾いた笑い声、そして、涙が流れ出る。
暴力こそ振るわれなかったものの、無視や罵倒は当たり前。
そんな毎日を十八年もの間送って来たエレインは、家族からの冷ややかな仕打ちには慣れていたつもりでいた。何をされても動じない自信もあった。
しかしまさか、奴隷として売り払われるとは思ってもみなかった。
(こんなのってない。あんまりよ……!)
いったい自分が何をしたというのだ。
惨たらしいこの仕打ちは、あまりにも酷すぎるではないか。
床に両手をついたエレインは、わんわんと泣いてしまう。
情緒がぐちゃぐちゃになって、もう訳が分からない。
ともかく、涙が止まらなかった。
「あ、あの」
フィオがソファから立ち上がった。
心配そうな顔をして、エレインの所へと向かっていこうとする。
しかしそれを、リファルトの手が遮った。
「やめろフィオ」
「ですが……」
「この女はレルフィール家の人間。意味不明な理由でお前に手をあげた、あの女の姉だぞ。同じ血が流れている以上、ロクな人間ではないに決まっている。同情する必要などどこにもない。放っておけ」
ソファーから立ち上がったリファルトはフィオの手を握り、崩れているエレインを見下ろす。
同情や憐みなどは皆無の、どこまでも冷えきった瞳だ。
「貴様の処分は追って伝える。部屋を与えてやるから、そこでおとなしくしていろ」
フィオの手を引っ張りながら、リファルトはゲストルームを出て行った。
一人取り残されたエレインは、床にうずくまったままだ。
物悲しい感情がひたすらに溢れてくる。
それを吐き出すかのように、大粒の涙を流し続けていた。