9話
「ピシリア王家へ要求したとは……どういうことですか?」
レイエルは父が告げた内容を理解できなかった。
百年前、ひとつの夫婦が辿った悲劇はピシリアに伝わるものとは反対のものだった。
人間の夫婦ではなく、獣人の夫婦に起こったものだった。
本当ならば戦争をしてもおかしくない。いや、すべき事態だった。人など皆殺しにするべきだった。
いま現在、ヨアナという人の番がいる立場でさえレイエルはそう思う。
それだけ獣人が番に向ける愛情は深く厄介なものだ。
もちろん個体差はあるが、いくら浮気するものでもたったひとりの番に──伴侶と定めたものには他とは比べ物にならないほどの愛情を抱いている。
なのに、だ。件の悲劇の夫はその憎い相手を殺すことができなかった。最愛の妻が自分だと思っているから。錯覚しているから。だから手を下せず生かすこととなった。
そして連れ帰った妻は最初の子のせいで狂っているのにまた、それを害することはできなかった。
どうしてこんな状況で夫は狂わなかったか。それがレイエルは知りたい。
自分であればとうに発狂して人族など滅ぼすのはもちろんのこと、愛した番さえも手にかけ己も……と。迷いなくそうしていたと断言できる。
できるからこそ、その夫の苦悩……いや、地獄を想像するだけで全身の血が引くのを感じる。呼吸が浅くなる。
────こんな、こんな地獄を……生き抜いたのか。
「ッ…………!」
膝の上で強く握り締める拳がギシギシと軋む。
その沈痛なレイエルを横目にレシェールは父に続きを促す。
「……確かにその夫婦の片割れは──夫は王家のものだった。それも始まりの血を濃く継いだライオンの獣人であり、そして一夫一妻を貫く珍しいタイプだった」
話によると彼はとても破茶滅茶だった。
なんと皇太子だったというのに忍んで街に行った際に出会った娘に恋をし、何度も逢瀬を重ねて仲を深めた。
そしてついに彼はその立場を捨てたのだ。たったひとつの大事な恋を守るために。愛を貫くために。
「へぇー……すっごいじゃん! 俺も見習おっ!」
「見習うな。お前は馬鹿なのか」
レシェールの称賛と安易な考えをシシェールが一刀両断する。
「コイツが立場を捨てたからややこしくなった。……いや、当時の帝王が誤ったのだ。愚かしい……」
父が眉間に深いシワを刻んで忌々しそうに呟く。
それもそのはずで、その夫の父親である帝王は息子に立場を思い出せと。その妻には自分の身分を弁えろと、そう考えてピシリアのパーティーへ妻だけを送ったそうだ。
────それも、発情期を控えた状態で。
「なッ…………!?」
「クソ野郎ですねッ!! 今すぐそいつの墓ぶっ壊しにいきましょう!!」
目を見開くレイエルが声を出したと同時にレシェールが机へ両手を勢いよく叩きつけ立ち上がり叫ぶ。
……気持ちはすごくわかるが、もう少し言い方ややり方はないものか。
「もうやった。系譜からも消してやった。肖像画も焼いた」
「さっすが父上ッ! やることはなんでも早いですね!」
(やったのか……。王家のものにしかできない最悪で最大の刑罰を……)
王家のものとしてなによりも重要なことは自らの名前と姿と功績を後世へ残し伝えること。
……それを父は許さなかった。
しかも墓まで壊したとなると……その存在は口伝されるほかないが現在の王がこれほどのことをしたのだ。伝えるものなどいないだろう。
つまり、父は百年前の帝王を処刑した。
それも、最も相手が嫌がり絶望するやり方を選んで。存在そのものを無かったことにした。
──そこで疑問が生じる。
「……ならばその夫は…………今はどういう風に伝わっているのですか?」
父親の存在が消されたその息子は……どういう位置にいるのだろう。
まさかとは思うが彼も無かったものにされたのでは……。
そう考えると胸が痛む。
妻は奪われ地獄の生活を強いられ、果てにはそんな環境に身を置いてでも愛していた相手に死なれ、そして自ら……。
──死してなお、彼が苦しめられるのは同意できない。
「……勘違いするな。件の男は既に王席を離れている。ゆえにその父親を裁いたからといって類は及ばん」
馬鹿にしたように見てくるシシェールに安堵した。
息を吐くレイエルに兄が話し聞いてたのか? と呆れたように言ってくる。
「ピシリアとの話を合わせるとその皇太子は身分を捨てて妻の元へ行って、夫婦になっているだろう。だから既に王席ではないうえ、そのパーティーにも行く必要はなかった。だが妻だけが行かされた。……この意味がわかるか?」
真剣な眼差しを向けてくる兄にレイエルが口を開こうとしたその時。
「王が息子の嫁気に入らねぇーとわざと襲われるよう仕向けた」
「はい、せいかーいっ! セレディシェアおはようっ!」
「うるせぇ……」
突然声がしたかと思えばずっと一脚空いていたイスから顔を出す生物がいた。イタチだ。
「ニの兄上ッ!? どうしてここに……留学中ではないのですか!?」
レイエルが驚くとその黒いイタチはこちらをギロッと睨み次いで長兄へ威嚇するよう牙を剥いた。
「そうだったんだが……このアホが突然オレを拉致りやがったんだ!」
「だってー……セレディシェアも隣国でこの噂調べてくれてたじゃん。だから情報共有したほうがいいかなと思ってさ」
なんでもレイエルがヨアナを番だと決めたことで変にいざこざが起こらないよう対処しようとして、兄二人はそれぞれ独自に調べてくれていたというのだ。
「兄上……」
二人の兄へ感謝を抱くと同時、自分の勝手な行動がどれほど迷惑をかけたかを思えば視線が下がる。
父にも叱られたが本能を抑える薬を服用してあれでは……やはり動物の特性には敵わないのだろうか。
「手紙で済むだろうがッ! しかもオレをあんな場所へ投げ捨てやがって……ッ!」
「あんな場所? ……というより投げ捨てられたんですか。空から?」
「そうだッ! この怪力バケモノ小鳥がッ!」
どうやらセレディシェアは学園で剣術稽古の真っ最中だったらしく、そこへ一羽の鳥が猛スピードで顔面に突っ込んできたかと思えば倒れた彼の真上で弧を描きうるさく囀ったようだ。
それで犯人(鳥)の正体に気付いたセレディシェアが獣化してレシェールを咥え捕まえようと飛び上がったところを逆に捕獲され、そのまま超特急の空の旅を味わうこととなったものの更に城の上空へ来たと安心したところで突然庭園の奥地へと投げられたらしい。
「いくらオレの昼の寝床だからってな、空から落とされたら普通のやつなら死ぬんだぞ!? お前わかってんのかッ!?」
「うるさいなー、お前だからしたんだよ。そんな非常識なこと普通はしないよ。それに、お前の縄張りに勝手な侵入者がいたんだから良かったでしょ?」
次兄からの抗議をひらりと躱してほくそ笑むレシェールにレイエルは背筋が冷たくなった。
……長兄はこういうところがある。
陽気で騒がしいのにその実、内側はとても冷たい。
きっと皇太子として振る舞っている時が本当の彼なのだろうと思うのだが、それを確かめる勇気はない。
──無闇に藪に突っ込むものではないから。
「居たからなんだ。女二人と数人の男がどうした」
その空気をレイエル同様感じただろうにセレディシェアはハッ……と鼻で笑い飛ばし、テーブルの上に置かれていた鶏の脚焼きへかぶりつく。
刹那、その姿は上半身裸の逞しい肉体をした美丈夫へと変貌する。
襟足長めの黒の短髪に鋭い緑の目をした青年はそのまま机に座って肉を引き裂く。
「あんまり調子に乗ってると、お前もこうするぞ」
「へぇー……俺をその辺の鶏と一緒にするんだ? 空も飛べないイタチくんの分際で」
「オレはイタチじゃねぇッ! イイズナだッ!!」
そのまま睨み合う二人の隙間から見える父の額には怒りの血管が浮かんでいるので自分が止めねばならないだろう。
「二人共おやめください! ニの兄上も机から降りてくださいっ!」
レイエルがそう言うとしぶしぶイスに座り直すも納得がいかない顔をしているセレディシェアと優雅に紅茶を飲むレシェール。そしてイライラしているのか母と離れた禁断症状か、人差し指でテーブルを叩く父の姿に息を吐く。
先程までの息もできない重苦しい空気からは解放されたが、今度は家族間の息苦しい状況にレイエルは頭が痛くなるのを感じた。
ヨアナは猫のカルンに頼んだレイエルへの訪問の許可を問う手紙の返答に胸の奥が痛むのを感じていた。
(断られるなんて……やっぱり、もう嫌われたの……?)
そう思うと幼い自分が心の奥底で泣き叫ぶ。
嫌だ嫌だと駄々をこねる泣き方に思わず叱りつけたい衝動に駆られるがひとりでそんなことをしたら異常者だと思われてしまう。
「大変申し訳ありません……。レイエル様は只今ご家族で会議中でして、どうしてもヨアナ様との謁見は出来ないのです」
そう頭を下げるヨガンにヨアナは両手でドレスを握り締める。
紙一枚、もしくはカルンに言伝するだけで事足りたのに彼はわざわざヨアナの自室まで来てくれた。
そのうえで主人の事情と謝罪をしてくれたのにそれでも会いたいなどと我儘は言えない……。
────その理由がもし、嘘だとしても。
レイエルの家族はいま帝王とその妃、そして先程会った皇太子が城にいるが……果たして。
“家族会議”をしている余裕など、あるだろうか……。
先程の件で大臣などを緊急招集して大規模な会議を開かなければいけない状況だ。
──そんなときに家族会議などできるわけがない。
もし本当にそうだとするなら、きっと内容は自分の処遇についてだろう……。
第三皇子とはいえその婚約者があんな軽率な行動を取ったのだ。
呆れられても。愛想を尽かされていても……仕方がない。
きっと自分を傷つけないよう優しさからそう言ってくれたのだろうが……逆効果だ。
(……そんな優しさは不要だわ。私に会いたくないのならそうハッキリ言ってくれるほうが身の振り方も早く決められていいのに……)
残酷な優しさ……。
でも自分が救われたのも、惹かれたのも……すべて、その優しさになのだから仕方ないのかもしれない。
その優しさを好きになったのなら、振られる時はそれに傷つけられるのもまた道理なのだろう。
ヨアナはそっと静かに息を吐くとヨガンに笑みを向けた。
「承知いたしました。急な申し出にもかかわらず、部屋まで訪ねてくださったこと感謝しております。レイエル様にもその旨お伝えくださいませ」
淑女の面とはこういうときとても便利だ。
本心を知られたくない。弱い心に気づかれたくない。
そんなときはこの仮面が活躍する。
(会いたくないと思っている相手に無理に会おうとするものではないわ。離れた心は……もう、戻っては来ないのだから)
自分でわかっていると思っていたのに、こうして面と向かって拒絶されるとやはり傷ついてしまう。
一礼して去っていくヨガンの姿を見送り、ヨアナはソファーに腰掛けた。
こういうときは甘味をとるに限る。
口内に溶ける甘みは優しさに似ている。
それが身体に巡るのを感じると優しさに包まれているようで…………。
「ダメじゃないッ!! いまは優しさなんていらないのよっ! カルンッ! 辛いもの持ってきて! 塩辛いものをお願いッ!!」
「えええッ!? か、辛いものですか……? 辛いのは……その、お酒のおつまみにあるナッツの塩漬けしかないと思いますが……」
「それでいいわっ! 甘いのは下げて! 優しさなんて見たくもないのッ!!」
「ど、どうしたんですかぁーッ!? ヨアナ様がおかしくなっちゃったにゃぁぁ……」
突然のヨアナの荒ぶりように猫耳をペタンとしならせ、カルンが嘆きながら慌てて言われた通り菓子を片付け部屋を急ぎ出ていった。
さすが初日にヨアナが最大限の笑顔で圧をかけただけある。
部屋にひとり残されたヨアナはもう冷めてしまった紅茶の入ったカップを掴むとそのまま勢いよく喉に流し込む。
「ッはぁぁ……っ!! もうっ! くよくよしないの馬鹿ヨアナッ!」
それに自分はよく考えるべきだ。
いくら想いを自覚した途端の失恋だからといって相手はあのレイエルだ。変態だ。匂いフェチの変態だ。
このまま傍にいたら自分もいつかあの変態に染まっていたかもしれない。
そう考えたらむしろ振られてよかったのでは? 恋は失ってもまともな人間でいられるのだから。
「そうよね……そうよ! 私は変態にならずに済んだんだわっ!!」
しかしもう一方のヨアナは叫ぶ。
たとえ変態になったとしても、それでもレイエルの傍にいたいと。あの人の傍でずっと見ていたいと。
そんな健気で恋する乙女全開の幼いヨアナに対し、当の彼女は叫ぶ。
「黙らっしゃいッ!! 嫌われているのに傍にいるほうが辛いでしょ!? バカ言うんじゃないわよッ!」
そうよ。嫌われているのに、もう想われてもいないのに傍にいて幸せなものですか……。
そう考えるとじわっ……と視界が歪み、雫が流れそうになる。
なのにヨアナはそれを腕で乱暴に拭い唇を噛み締めた。
「絶対……っ、絶対あんな変態のために泣いてやるもんですかッ!!!!」
そんなの私の負けじゃない! 絶対認めないわッ!!
振られて泣くということは自分のほうが相手に惚れているということ。
つまりヨアナはあの変態なレイエルをとっても好きだということになる。が、それだけは決して認めたくない。
ヨアナはそのプライドだけで泣くのを堪えた。
ピシリア王国の都より辺境に近い場所にロードヴァーグ領はあった。
そこでは庶民が朝から夜遅くまで働いても一向に生活が楽にならない悪政が敷かれている。
そんな廃れた街の中心部に建つ大きな屋敷。ロードヴァーグ伯爵の屋敷の中で男が苛立ったようにウイスキーの入ったグラスを壁に投げつけていた。
「クソッ!! 報告はまだか! もうすでに王への書簡は送っているというのに……ッ!」
養女に迎えた小賢しい獣人が産んだ娘。人との間の子。
「気色悪い小娘を育ててやったというのに恩を仇で返しよって……ッ!」
あの娘の母親は本当にイイ女だった。
豊満な身体付きでどことなく家宝となっている肖像画の女に似ていた。男を狂わす魔性の空気というのか、そういうものを持った女だった。
代々肖像画の女の子孫を探して囚えろという頭のおかしな使命があったせいで自分はまともに恋愛もできなかった。
いくら好きな女ができても恋愛で結ばれることは許されず、婚姻は愛のない政略結婚。
そんな乾いた心に彼女は水を与えてくれた。愛を教えてくれた。
いつになるかわからないがうるさい父親が死んだら爵位は自分のもの。
そうなれば政略結婚の妻などとっとと捨てて彼女を妻に迎えよう。幸せな家庭を築こうと、そう思っていた矢先──あの女が獣人だと知った。
幸せそうに笑いながら妊娠を告げられ、自分も本当に喜んだ。嬉しかった。妻子を全力で自らの親から守ろうと思った。
なのにあの女は裏切った。
仕事の合間にできた時間で会いに行ったらあの女の頭に……獣の耳がついていた。
呆然とする俺にあの女は慌てたのも束の間、恥ずかしそうにその耳を布で隠して言ったのだ。
『ごめんね……。この国では獣人は嫌われてるから怖くて。でも子供も産まれるし隠してられないよね……』
そうして自分がライオンの獣人だと告げたのだ。
頭に血が昇った。
我が祖先はライオンの獣人に弟を瀕死の状態にされ、その仇にと奪われた最愛の女性を取り戻そうと何十年もずっと固執して……そして、俺は普通に生きることも許されなかった。
────全てはお前たちのせいだッ!!!!
そう思った時には女を殴り飛ばしていた。
拳に残る痛みと驚愕の眼差しを向けてくる女にハッと我に返るも、どうするというのだ。
ただでさえ許されない関係だったのに、それが獣人……よりにもよってライオンだなんてッ!
気づけば走り出していた。
そしてもう二度と、彼女と会うことはなかった。
腹の子がどうなったかなんて、そんなもの……気にする余裕もなかった。
あれから幾年過ぎたのか。妻との間にできた子を失っても特に感じることはなく、ただただ早く一族の悲願を叶えなければとそれだけが頭を占めていた。
……彼女がうさぎの獣人ならば。肖像画の女と同じ、うさぎだったならば……まだ……。
そうした思いが頭を過るたび、ますます獣人が憎くて堪らなくなった。
俺と彼女を引き裂いたのは愚かなことを仕出かした獣人とおかしな役目を継がせてくるこの家のせいだ。
……しかし私の代でこの使命を絶やすわけにはいかない。だから子が必要だった。この役目を押しつけ家を継がせる道具が必要だった。
────すると、どうだ。丁度良く使い勝手のいい道具が舞い込んだではないか。
もし王や他の貴族にバレても獣人の血の入った穢らわしい子供のことなど気にもしないだろう。
『あたしは貴方の子です。母は金髪に丸い耳……こう言えば、わかりますよね? あたしはお役に立てますよ。使い勝手のいい道具は、いりませんか?』
大雨の中、突然馬車の前に現れた少女はそう言った。
わざわざ獣人嫌いとして知られているこの、ロードヴァーグ伯爵にそう言ったのだ。実の娘だと主張するためだけに。
なぜあの女の子が今更……と思ったが好都合だった。丁度ヨアナ・ハークライトがバヤーシアの第三皇子に求婚され国中が大騒ぎだったから。
それに髪の色が肖像画の女の青みがかった銀髪に似ていたこともあり、その点でも利用できるかと思ったのだが……。
「クソッ!! あの小娘……しくじったか!」
これほどまで連絡がないということはバヤーシア側に見つかったのだろう。
ということはもう、ヨアナ・ハークライトを人質にはできないということだ。
「獣人の血が入った女が行けば鞍替えするかと思ったが……忌々しいッ!」
どこまでも俺の邪魔をする獣人──バヤーシア帝国は目障りだ。
どうにかして辛苦を舐めさせてやりたい。我が祖先に謝罪もしなかった憎き王の子孫が継ぐバヤーシア帝国。
……そうだ。戦だ。戦になればバヤーシアは滅ぶ。そのためにはやはり、ヨアナが必要だ。
「バヤーシアの皇子に対する人質にはならずとも、戦の火種には利用できそうだ……」
向こうで非道な扱いを受けていると聞けば姪を可愛がっている国王は黙ってはいないだろう。
どのみち送った書簡に似たようなことは記した。
そして戦になればバヤーシア城内にいるヨアナを潜り込ませた間者に探させ、捕え連れてくればいいのだ。
──そうすれば番に優しいだろう獣人はもう、自分の言いなりだ。
「ハハハッ!! これでやっと……やっと、百年続く因縁にケリをつけられる……ッ!」
そうしてやっと、自分はこの狂った運命から解放される。
それを思えば犠牲など、大したことではない。
俺の半分以上を潰された人生に比べれば、犠牲になる奴らなど辛くも苦しくもないだろう。
男は身体全体で哄笑した。
自分だけが。自分が世界の被害者だと。自分だけが辛く苦しいのだと、そう信じて疑わず。
まさか一族の悲願を叶える大切な存在を捨て駒にしたとも知らず。
少し一族に立ち向かう勇気さえあれば、百年の役目を果たした立役者になれたとも知らず。
…………その自らの愚かしさゆえに、たったひとつの愛さえも失ったと気づかずに。
罪を重ね、その重さを増し、果てには身内だけでなく今度は他人のヨアナまで巻き込んで。
まさか自分が理由は違えど、百年前の祖先と同じことをしようとしているなど……この愚かな人間は知る由もなかった。
「隣国のシールーに伝わってる話はウサギ獣人の女が発情期で苦しんでるとこを男が介抱した。で、二人は愛し合い子が出来たところでバヤーシアの獣人がその女に惚れて拐った……だったな」
次兄のセレディシェアが上着を着てパンを食い千切りながらそう言った。
着るならちゃんと着ればいいのに前を肌蹴させたままだ。だらしない。
「ふーん……シールーに伝わるのはピシリアと似たような話なんだね。違うのは片方が獣人なところか……」
長兄のシシェールが肉をナイフで切り分け優雅に口に運びながら告げる。
「……どうしてこの三国、ここを入れると四カ国でこんなに話が違うのでしょうか」
話が似ているのは二国と二国。
しかしこのバヤーシアでさえもなぜか平民の間ではライオン獣人であり、元は皇太子だった彼への評価は低い。
これも父によるとわざとそうしているらしい。
「相互性を取るためだ。ピシリアに命じた手前、それに違和を感じるものがいないようにしなければならない。よって、元皇太子……いや、民のひとりを愚かな横恋慕ものとして扱った」
それはあまりに……あまりに勝手で残酷な仕打ちだ。
大切な妻。皇太子という高い身分を捨ててまで共に生きたいと願った女性を実の父に陥れられ、それを取り戻したら今度は自分の名誉を傷つけられ……。
「その王は……愚か者は、そんなにも実の息子が憎かったのですか。その妻がそれほどまでに……っ、気に食わなかったのか……ッ!!」
ガシャンッ!! と音を立ててナイフとフォークを持った手をテーブルに叩きつけ抑えきれない憤りを顕にするレイエルをレシェールが見た。
その顔は嘲笑うように酷薄に口端をつり上げている。
「当たり前だろ。大切な跡取りが突然どこの誰ともしれない女と好いた惚れたの関係になったうえに火遊びでなく本気で、更に妾にするでもなく妃にと望みそれが無理なら王の系譜から抜けるなど……愚かなのはどっちだ」
あまりに温度のない声にハッとして長兄を見ればこちらをバカにする瞳と交わる。
現に皇太子としての責務や役目を果たしているレシェールからすると悲劇の夫はあまりに責任感がなく腹立たしいのかもしれない。
更に自らの過ちでその最愛の存在を危険に晒し最悪な状況にしたうえ、迎えた結末はあまりに惨い。この一連の出来事はすべて男の無責任さが起因だと考えているのだろう。
────少し考えれば。少し気をつけていれば。すべては未然に防げ妻を守れる道があったのだから。
「……………………」
そのことを、この場にいるバヤーシア帝国の王家の男たちはみな気づいている。
そして父は実行した。だから自分たちがいて、母は無事でいるのだ。
──その、負うべき責任すべて。いやそれ以上のことを全力で行い、そして果たしたからこその幸福……。
彼らはみな、それを実行できず恋に溺れた男が口惜しくてならない。悲しくて堪らない。
だからこそ、許せないのだ。
当時の王は当然、その息子のことも……。
明日は我が身と、捉えているから。
彼はもうひとりの自分だと、本能が告げているから。
だからこそ、彼らが悲劇の夫を許す日は決して来ない。