3話
「殿下の求愛行動は人族からすると変態にしか思えませんので、これからはわたくしが許される範囲でお傍におりますわ。ですから今後はハンカチなどではなく、必要になりましたらわたくしをお呼びくださいませ」
レイエルに面会の許可を求め案内されたサンルームでヨアナは紅茶を一口飲み下してから言った。
「…………え?」
燦々(さんさん)と柔らかな陽光が注がれ室内を明るくさせているというのに、ヨアナの対面に座るレイエルの顔色は一瞬で暗いものとなった。
まさか見られていたとは思ってもいなかったレイエルは大変、それはもう慌てた。
「な、なにを言って……!」
「隠さなくてもよろしいですわ。もう見ていますのでなかったことにも出来ません。……と、いうことですので洗いざらい話していただきましょうか?」
口調こそ穏やかだが笑顔で可愛らしく首を傾げる様はさながら処刑を楽しむ魔王のような凄みがある。
初めて見るヨアナの恐ろしい笑みにレイエルの顔からついに色が消えた。
ダラダラダラダラと冷や汗が背中を伝うのを感じながら、それでもなんとかレイエルは体面を保とうと口を開く。
「…………なん、の、ことを言ってるんだ? 話すとは一体……」
「白々しい。もうバレていることに対して無駄なあがきをすることほど、時間の無駄はございませんわ。ひと思いに楽になられませ」
そんなレイエルの抵抗虚しくピシャリと断罪を言い渡すヨアナは…………笑っていなかった。
淑女の鑑から笑顔を消し去らせるほど怒らせているのか!? と戦々恐々としながら、それでもなお逃れようとレイエルは思考を巡らせる。
(無駄……ではある。確かにそうなのだが、これを言ってはヨアナが逃げるかもしれない……)
この逡巡を悟ったのかヨアナはテーブルにトンッ、と乱暴にならない程度に手を置いて音を立てる。
「……もう一度、わかりやすく言いますわ。さっさと吐いて楽になれ、無駄なことはするな」
「!!!?」
上目遣いで睨みつけ声も低く、どこかドスがきいているように発された言葉にレイエルは文字通り固まった。
あまりの変貌具合にこれが愛しの番なのだろうかと混乱するも匂いは確かにヨアナのもので、そこから伝わる思いも「早く話しなさいよ、往生際が悪いわね!」というもので、目の前にいるのは確かに自分が愛している女性なのだと認めざるを得なかった。
まだ困惑しつつレイエルは咳払いで自分を取り戻し、未だ凄んでいるヨアナと視線を合わせる。
「……なにが聞きたいんだ」
真剣な声音にやっと話す気になったのだと悟ったヨアナは満足そうに息をつくと告げる。
「イヌ科の獣人は番の香りがないと精神が不安定になると聞きました。そして、その反応が出るのは番を愛しているからだと。──あなた様はわたくしを、愛しておられるの?」
探るように目を細め、疑いの込もった声色で聞いた瞬間レイエルはなにかを堪えるように唇を引き結び、顔を悔しさともどかしさに染めた。
これを見てやっと、ヨアナはシャリーテが言っていたことは本当だったのだと信じる気になった。
──まさか、本当に愛されていたなんて……。
内心そう愕然としながらも表情を変えずにヨアナは追求の手を緩めない。
「なら……どうして、輿入れした日の対面の席であんな冷たいことを仰ったの? あれはとても愛する人にする態度でも、口にする言葉でもありませんわ」
「………………」
「まだ諦めておられませんの? ハンカチ、回収いたしますわよ?」
「!?」
性懲りもなく、まただんまりを決め込もうとするレイエルに効果は少ないだろうと口にした言葉は覿面だったようで……周囲を素早く見渡し、やっと言いづらそうではあるが白状してくれた。
「……すまなかった。オレが勝手にお前を番だと言って求めたのに、やっと来てくれた席であんなことを言って……」
「それだけでもご理解してくださっているのであれば安心ですわ。下手をすると国際問題にもなりかねない発言でした。今後、ああいったことは控えてくださいますわね?」
(理由によっては許しませんけどね)
自分でなければ、プライドの高いお嬢様だったなら、あの態度はすぐさま親元に嘆きの手紙として届いただろう。そしてそれは国王のもとへも。
そうしなかったのはヨアナがひとえに、この婚姻を両国の橋渡しだと考えていたからだ。
百年もの国交断絶、そして両国の王による解消。しかし残る遺恨。
それらは争いの種に十分利用できるうえ、パーティーであそこまで大体的にされたプロポーズを断ったと知れ渡ればピシリア国の者は獣人を軽んじ、バヤーシア帝国のこの皇子は自分を拉致しかねないと思った。
そもそもバヤーシア帝国は人間蔑視の国だという情報は得ていたため、どうせなにをしても非難しかされないのであれば淑女としてではなく、ただの個人として生きるのもひとつの手だと考えていたからだ。
正直、最初から人族は差別されますよーとわかっていれば覚悟も決まるし、それを上回られればいっそ面白いとすら感じた。
身近なところから躾をしていき、その懐柔した考えをその者が周りに広めていく。
人族が言っても聞くわけないし、大切なことは同族同士で広め合っていってもらえばいい。
けれど、レイエルは別だ。
自らの発言には責任が伴うし、いくら継承権の低い王子であろうと王族ならばそれは他者より重い。
なのにあの態度。精々、骨の髄まで反省してもらわないと困る。
────たとえ、なにか理由があるのだとしても。
ヨアナがそう考えていることなど知らず、レイエルは最後まで悩んでいたようだがやっと話してくれた。
「まずは、百年前の……こちらの国での悲劇を話そう」
勝手に人様の家庭を壊しておきながら悲劇? と眉根が寄るも無言で促す。
そして語られた出来事に絶句した。もうこれは……言葉もない。
「その子供の行方はわからなかった。けれど……最近になってまた、オレがヨアナに番だとの言っただろ? あれでな……一応子孫がいたことがわかったんだ」
「子孫……? それがいたからだとして、わたくしへの態度となにが関係ありますの?」
むしろ愛を与えられなかった弟が誰かを愛して愛されて、子を繋ぐことができたなら喜ばしいのでは?
言外にそう告げるヨアナにレイエルは弱々しい笑みを浮かべて首を横に振る。
「よく、なかったんだ……。やつは自らの子孫にまで人と獣人の番への恨みを引き継がせた」
「!?」
なんてことだろう。となると、自分とレイエルは……。
「そうだ。やつの子孫を名乗るものから脅迫状が届いた」
ヨアナの緊迫した表情からなにを思ったか察したレイエルは静かに頷き、重々しく告げた。
人間を番にと望む哀れな皇子よ。
貴様らは百年という長い年月で人への恨みを忘れたようだ。
やつらは私達を不当に迫害し、見下し、蔑んだ下等種。
その種族から妻を迎えるとは愚かとしか言いようがない。
考えを改めないのであれば貴様が大事に思う番を害してやろう。
私達は人と獣人の番など決して認めはしない。
ヨアナは語られた脅迫の内容に溜息が出た。
その呆れを向ける先は犯人ではなく────レイエルだ。
「殿下……あなた様は…………バカなのですか?」
最早取り繕うこともなく本音がこぼれる。
怯えるのだと思っていたのだろう。神妙な、沈鬱な表情をしていたレイエルはヨアナのまさかの言葉に固まった。
「……は?」
「ですから、バカなのですか? こんなものが届いているというのに、わたくしを輿入れさせましたの? この件が片付くまでは危ないと考えはしませんでしたの?」
ヨアナからの怒涛の追及にレイエルははの字に開いたままの口が塞がらない。
まさかあれだけ淑やかで上品なヨアナの唇から直接自分を罵倒する言葉が出てくるなど想像もしていなかっただけに、レイエルは混乱していた。
だから声を発することができなかったのだが、ヨアナはその様子にも更に嘆息する。
「……殿下。もし、この脅迫のことがわたくしの国へ知られたらどうなるとお思いですの? 国際問題ですわよ」
こんな不穏な文書が届いていたのに他国の、それも王家の血縁である令嬢を嫁入りさせたなどと知られれば非難は必至。
とてもじゃないが国交を続けることはできなくなるだろう。
たとえ王家が続けようとしても未だ獣人への批判意識の強い貴族、国民は多い。数の力ではとても及ばないし、権力で強硬しても新たな不和を生みどのみち王の負けとなる。
────となると、考えられる最悪の状況は……。
「下手をすれば戦にさえなりかねません。その可能性については……考えられましたか?」
あまりに真剣で強い光の宿る眼差しにレイエルは息を飲む。
これがただの令嬢なのだろうか。
威厳さえ感じさせる凛とした佇まいは、王の貫禄さえある。
そう感じたレイエルは己の愚かさに顔を歪め、絞り出すように声を出す。
「ッ……いや……。正直、お前を国へ迎えることしか考えられなかった……。少し考えればわかっていたことなのに……危険にさらして、……すまない」
頭を下げるレイエルの姿にヨアナは目を細めた。
正直、それだけ自分を想ってくれることは嬉しい。
────だが、それはただの令息がした行動であれば……だ。
レイエルは王族。いくら第三皇子であろうと国や外交を背負っていることを忘れてはならない。
それに、“一番大事”な説明をまだされていない。
もう察してはいるが直接言われるのと言われないのでは認識に若干の違いが出てしまう。
「それについては怒っていません。獣人は番に対しては冷静さを欠くと聞いておりますし、わたくしも害される恐れについては覚悟したうえで輿入れしております」
覚悟はしていたがまさか自分を望んだはずのレイエルからの冷遇発言。まさか、自室に納戸をあてがわれる暴挙が起こるとは思ってもいなかっただけで、これらについては怒ったし解決もした。
だから済んだことはもういいのだが、国を危険に晒したことだけはしっかり反省してもらいたい。
(国王様もお父様も少し親類バカなところがあるのよね……。だからこの話は内密にしてもらわないといけないのだけれど……大丈夫かしら)
レイエルはしっかり自分が見張るとして、他にこの話を知っているのは何人だろう……。
これは一つ間違えれば両国の不和に繋がる機密情報。
しっかり管理しておかなければならない。
────だが、今はそういうことじゃない。
「こんなものがあっても、わたくしの輿入れは問題なく行われました」
通常であれば延期にしなければならないことだが、それでもレイエルはそうしなかった。
(その理由を、直接あなたから聞きたいなんて……女々しすぎるかしら)
まさか自分にこんな感情があるなんて思っていなかった。
まだレイエルに対して親しい感情はないし、恋だなんてまだまだ遠い。
けれど、人がしたら嫌悪しか抱かないあの行為が獣人の最大の愛情表現だというのなら……受け入れたいとは思う。
この結婚が人と獣人の橋渡しになるように。百年続く忌避の感情が薄らぐように。
まずは私から…………。
その一歩を踏み出すための。脅迫犯に立ち向かう覚悟を決めるための。
大きな後押しになるように、ここはレイエルからその言葉を告げてほしい。
「その理由がなぜなのか、殿下の口から語ってはいただけませんか?」
きっとその言葉が、真に私を護るから────。
ヨアナの真剣な眼差しを受けて、レイエルは先程までとは違う理由で言葉を失った。
こちらを追及する強い視線に混じるどこか懇願のような憂いを帯びた思いを感じ取り、レイエルは覚悟を決めるように両手を強く握りしめた。
なぜあんな態度を取ったのか説明すれば、きっと危険が現実となるだろう。
輿入れを取りやめろと制止する周りを黙らせてまで予定通りにさせたのは、このままではいつ他の男に奪われるかわからない彼女をひとりにしたくなかったからだ。
だが番として通常のように輿入れすぐに結婚式を挙げ、帝国の系譜に連ならせ、パーティーのときのように気持ちの赴くままに接しては確実に害が及ぶ。
(……きっと、理解しようとしてくれているんだ)
人であるヨアナには刺激が強く嫌悪しかなかっただろう自らの行動を非難するどころか許容し、更には傍にいてくれるとも言う。
……心の葛藤はすごかっただろうにここまで歩み寄ってくれるなんて。
彼女はそれだけこの婚姻を重要なものと考えているのだろう。
でなければあの光景を見て不快感を顕にせず、自分と話してくれるわけがない。
そう思うとレイエルはひと呼吸置いて、想いを口にする。
「────愛しているからだ。ヨアナを守りたかった」
これを聞いたヨアナの心に、一陣の風が吹いた。
それはとても暖かく、まるで春の風のように柔らかく優しい……。
「………………っ」
なんだろう。なんなのだろう、この気持ちは。
胸がトクンと苦しくなった気がするが、これはなんなのか……。
頬がほんのり熱を持つのを自覚しながら口元に手を当てコホンッ、とヨアナはその感覚を振り払おうと咳払いした。
「……わかりました。殿下の気持ちは……わかりましたわ。でしたら、わたくしも呼び名を変えます」
気に入らないときは第三皇子様。少し歩み寄ってもいいかなと思えたら殿下。
そして、これからは…………。
「レイエル様、と……お呼びしても、よろしいでしょうか」
「!?」
恥ずかしそうに、少し頬を朱に染めて照れた顔でそう言うヨアナにつられるようにして、大きく目を見開いていたレイエルもはにかんで頷く。
「ッ……ああ! 是非、そう呼んでくれ」
初めて見るレイエルの満面の笑みと頬を赤くした顔に、ヨアナの口角も自然と上がる。
その笑みは淑女の鑑でも、相手を威圧するためのものでもなく、ただただ純粋な……十代の娘のものだった。
この微笑ましい光景を遠くから見ていたものがいた。
「あり得ないわ……。人と獣人が笑い合うなんて、そんなことは許されない……ッ!!」
ギリッと歯噛みして陽に口元から伸びた牙を不気味に光らせ、そのものは黒く長いスカート──メイド服を翻させて颯爽と走り去る。
自分の真の主であるあの方にお伝えするために……。