ノァ
ノァ
「私を娶るなんて貴方はどうかしてるわ。」
私は目の前にいる、騎士の紋章を胸に掲げた青年に言った。
「私はこの通り、金の髪を持つ汚れた女よ。」
彼は不思議そうににっこり笑って私に言った。
「それがどうしたと言うんだい。その髪は美しいじゃないか。」
昔々、どこかの国の王様が自分の国を追い出され他国へ逃亡したそうです。そうしてたどり着いたこの地で、彼らは慎ましくだが幸せに暮らしました。
「つまらない話だわ。」
マーシャが馬を引きながら溜息をつく。私もそう思う。
「現にそんな王様がいたとしたら、もっとこう。そうよ。お金があってもいいと思うのよ。ひっそり暮らす必要はないわ。」
目の前には枯れた土地。耳にするのはつまらない王様の話。私たち姉妹は畑を耕し、羊を飼って暮らす。それこそ毎日食べていくのがやっとの生活で、だから母が話す昔話にうんざりしていた。
「むかしむかし 金のライオン、月を食べ。」
草をむしり、田畑を耕し、山羊の世話をする
「すべてを照らし輝いた。」
教えて貰った歌はもう私たちの体に染みついて、自然と口からこぼれ落ちる。
「むかしむかし 金のライオン闇を食べ。」
遠くの山々に大きなオレンジ色の夕日が落ちる。今日も又一日が終わる。
「すべてをおさめ、輝いた。」
「マーシャ。ノァ」
母の呼ぶ声が遠くから聞こえる。今日も小さな暖炉の火を囲み、貧しい食事と父や母が話す昔話に耳を傾けて終わる。きっとこれが幸せだったんだと気づくのに、私はかなりの時間を費やしてしまった。
「ある日、漆黒の男がやってきて、母が逃げなさいと言ったの。ただそれだけ。」
ノァは遠い目をして足のつま先をいじる。父母の安否はしれない。一緒に旅立ったはずの姉は嬉々として船に乗り、自由を求めて行ってしまった。母が気になり足踏みをしていたノァは姉を追いかけこの港に着いた。
「そうか。」
青年は頷いてそれからノァに手を差し伸べた。
「寂しい思いをしたんだね。」
絡まれていた時に助けてくれたのが彼だった。騎士だと言った。仕事をくれた。
「この町の城主様は、とても立派な方なんだ。差別や偏見がお嫌いで、こうして仕事を下さるんだ。」
「それなら、マーシャもどこかで仕事を貰っているかもしれないのね。」
「この町に来ていれば。あるいは。」
「あるいは、何。」
「他の町へ運ばれていなければ。」
ここに来て分かったことがある。金の髪は差別される。そして差別や偏見がお嫌いな城主様のいるこの町は、差別や偏見でお腹一杯だった。
「皆私の髪をじろじろ見るの。金の髪は汚れているって。」
先日助けてくれた騎士の名前はデルタと言うらしかった。彼は城主の護衛を行うほど高い位の者だと知って驚いた。
「綺麗な髪なのに。」
彼は仕事が終わる頃この酒場に現れ、毎日簡単な食事を済ませていった。大きく口を開けて笑う姿は子供のようで可愛い。
「そんなことを言うのはあなただけ。」
ノァは金の髪を布でぐるりと巻いて見られないようにしている。しかしその容姿はひときわ美しく、青い瞳はどこに居ても目立ってしまう。
「髪は剃ってしまおうと思っているの。それから自分の事を私って言うのはやめる。このスカートも。」
「男の姿で過ごすというのかい。」
「そうよ。何か問題でも。」
ツンと顎を上げ、ノァは強がって見せた。頬に青い痣が残り、手首には捕まれた跡が赤く残る。
「で、これはどう説明するんだい。」
「これは転んだのよ。」
「転んでこんな掴まれた跡が付くのかい。」
ノァは怒りに満ちた大きな目を潤ませ、デルタの手を払った。
「金の髪の女は汚れている、汚れているという割に、ここの殿方は私の髪と容姿がお好きなようで。いかがわしい目で私を見つめ、誘っているのかと汚い手で触れてくる。だから私は、私は女として生きるのをやめるの。男なら襲われない。男ならね。」
「ノァ。客だ。」
店の奥から大声で呼ばれ、彼女を目を擦って店の奥へと消えていく。デルタはワインを飲み干すと溜息をついた。
「汚れた金の女はおやめになった方がいいわよ。」
先ほどから熱い視線を向けていた婦人が近づき、デルタの席に座った。
「彼女、いろんな男を誘惑し関係を結んでいるって。先日もその建物の奥で。」
デルタは婦人に笑顔をむけると、瓶に残ったワインを飲み干し、急いで席を立つ。店主は奥の部屋を隠すようにニヤニヤしながら辺りを見回している。
「ねぇ。店主さん。さっき俺と話していた女の子はどこに行ったのかな。」
デルタは店主の手を握り金貨を渡す。
「俺、彼女がとても気に入ったんだけど。」
「じゃあ次だ。あと一時。」
「ごめん、待てないよ。俺は彼女を愛しているんだ。」
「そんな奴は五万といる。あの汚れた髪は、全ての男を虜にするんだからな。」
「そうか・・。」
呟くとデルタは店主に笑顔を向け、ポケットから取り出した袋を差し出した。
「お分かりのようだ。」
店主が嬉しそうに手を伸ばす。瞬間彼の体は宙を浮き、そのまま背中から地面に倒れ込んだ。
「ごめん、手が滑った。」
デルタは舌を出すと、部屋の奥へ駆けだす。
(私は男になるの。そうすれば襲われない。)
彼女の声が何度も頭の中で繰り返される。
(そうすれば襲われない。)
「ノァ。」
扉を開けると、彼女は破れた服を拾いデルタを睨んだ。
「次はお前か、お楽しみに。」
ベルトを締め、男がデルタの手にタッチして部屋を去って行く。
「やっぱり貴方も。」
ノァが叫ぶ前に、彼は去って行く男の肩を掴み振り返ったところを殴りつけていた。
「やばい、やっちまった。」
驚いたのはデルタの方だったようで、慌ててノァを抱き上げると、わたわたと部屋を走り回る。
「あっちよ。あっちの窓なら逃げられる。」
「頭を伏せていろ。」
声と共に大きな音がして、ガラスの破片がキラキラと飛び散る。デルタは窓を破き風のように駆けだした。
「騎士道第一条。騎士たるもの、弱き者を虐げてはならぬ。走れ。」
「走れっていったって、貴方が放さない限り無理よ。」
「あはははは、そうだった。それじゃあしっかり掴まって。」
布で巻いていた髪がハラハラとほどける。金の髪が月明かりを反射してキラキラと光る。
「やっぱり君は美しい。そうだ。僕と結婚するというのはどうだろうか。そうすれば安全だろう。」
ノァはまん丸の目で彼を見つめると、体を巻いている布をぎゅっと締めた。体が強ばり涙が溢れる。どこに行っても男の人は同じだ。
暫く行くと、デルタは小さな家の前で立ち止まった。ノックをすると、奥から年老いた女性が現れる。
「デルタ様、夜遊びが過ぎるのではありませんか。またこんな遅くに。」
眉間にしわを寄せた女性は、デルタが抱く女性を見てより一層しわを深く刻む。
「デルタ様。まさか女性をこんな酷い姿に。」
「ごめん婆や。とにかく話は部屋で。」
「まぁ、デルタ様。事情も話さず。」
婆やと呼ばれた女性を家に押し込み、デルタは急いでドアを閉めた。生憎追ってはないようだ。ほっと一息ついて振り返ると、ノァと視線があった。
「もう大丈夫だ。」
大きな手が頬を叩き、服で体を隠してノァが立ち上がる。
「おあいにく様、私は誰にでも抱かれる女じゃないわ。結婚してどうするつもり。どんなに強い力だって、私の心まで操れやしない。」
「そんなつもりは、」
言いかけてデルタは、ノァより怖い女性の姿を彼女の後ろに見た。
「デルタ様。騎士道第二条。女性に優しく。ではありませんでしたか。」
「いや、だから、僕は。」
どんなに言い訳したところで敵うわけもなく。デルタはそのままトボトボと部屋を去り外へ出かけていった。
「さぁ、何がありましたの。このばぁや、長 くデルタ様に仕えております。デルタ様の失態は私の失態。罪は償いますわ。」
「そんな。」
ノァは頭を下げる女性に慌てて近寄る。手首の赤い跡や、腕の痣は嫌でも彼女に目に映る。「まずは服を着替えましょう。私の名はバジル。お話を聞かせて下さい。」
優しく手を包まれ、ノァは静かに頷いた。
デルタは夜更けに帰宅した。しっかりと謝ってきたよ、と言われその理由を聞いたバジルはなおさら怒りを隠せない様子だったが、どうにか呼吸を整え、主人に温かいワインを差し出した。
「女性を救うにしても方法がありましょう。」
「分かってくれてありがとう。バジル。」
「明日は叱られましょうね。城主さまに。」
「あぁ。」
困ったように笑うと、デルタは席を立つ。
「殿方が女性の部屋に入るなど、不謹慎ですよ。」
「いや、様子だけ覗きたかったんだ。彼女は大丈夫だったかい。」
バジルは窓の外の月を眺め、眉を寄せた。
「酷いものです。金の髪の者は虐げられていると聞きましたがあそこまで酷い仕打ちを受けているなんて。私は人として恥ずかしくなりました。」
「そうか。」
デルタはバジルの手を取ると、ありがとうとお礼を言った。彼女はいつものことでしょうと苦笑すると、挨拶をして部屋を去った。
「金の髪の者か。」
差別は取り締まっていると聞いた。そんなものは、この町にはもう存在しないと思っていた。でも確かにこの町に金の髪の者は少なく、そして強制労働を強いられているのは事実だ。
「差別や偏見はあってはならない。」
デルタはワインを飲み干すと、決意を固め床に就いた。
「お願いがある。僕の妻になってくれないか。」
朝食の準備を整えていたバジルが、思わず運んでいたナイフを落とす。清潔な服を纏った女性は、おずおずと座った席で目を丸くしている。
「僕は君が好きだ。」
「こほん。」
ナイフを拾い、バジルが食卓に並ぶ予定のスープを取りに台所へ消えた。
「私が嫌だと言ったら。」
ノァはデルタを睨んだ。唇を強く噛みフォークを握った手は力強く小刻みに肩が揺れている。
「君に誘惑されたわけじゃない。抱きたいとも思わない・・と言ったら嘘になる。でも。」
「抱きたいんでしょ。他の男達と同じよ。」
ノァは立ち上がり足早に部屋を去ろうとする。
「違う。」
手を取った彼女を抱き寄せることができず、デルタは振り返った彼女に真剣な眼差しを向ける。
「僕の世界に差別はない。僕は君が好きだ。髪の色や目の色なんか関係ない。君が好きなんだ。」
「こほん。」
バジルが部屋の入り口でスープを持って立ち止まる。二人はおずおずと席に着いた。暖かなスープは湯気を立てて美味しそうな匂いを部屋一面に漂わせた。
「お食べ下さい。お話はその後ですわ。」
二人は黙ってスープを飲み、柔らかいパンを食べる。デルタが上目遣いにバジルの様子を伺う。
「さて、我が当主デルタ様のことですが。」
ノァがスプーンを置き、手を膝の上に載せた。
「良い男では決してありませんが、嘘はつかれません。いえ嘘をつく度胸がおありかどうか。」
「それはないよ。婆や。」
バジルが苦笑する姿を見て、ノァの頬が緩む。この国に来てどれほどの間笑うことがなかっただろうか。金の髪を揺らす度、近づいてくる男達に傷付けられてきた。
「あの女、男に色目を使って誘惑してるんだわ。汚い女。」
浴びさせられた罵倒の数々はもう耳に入らぬほどで、聞かぬ振りをしてきた心は信用することを忘れた。私は一人。姉に会うためだけに生きてきた。
「もういいんです。私のことなんか。」
俯いた彼女の手を、デルタは優しく握る。手の甲に温かい涙が落ちた。
「あぁ、でも。姉に。姉にもう一度だけ会いたい。そう思って生きてきたわ。」
バジルは視線を落とし、デルタと目を合わせる。デルタは立ち上がり、彼女の前に跪いた。
「僕が必ず君の姉を連れてくる。約束するよ。」
ノァの顔に安堵の表情が浮かぶ。あぁ私はこの人と結婚するだろう。幸せかはわからない。でも、私の愛する家族が無事ならばそれでいい。それから二人はバジルの見守る中、小さな結婚式をあげた。もっとも、バジルから手紙を貰った城主も参列し、それは密かにと言う形にはならなかったが。
「結婚おめでとう。言ってくれれば駆けつけるんだったのに。」
南の城の城主、ウォルターは残念そうに溜息をついた。
「君はいつも鍬を手にどこかに出かけていて 見つからないじゃないか。」
デルタは肩に小さな男の子を乗せて笑う。彼の髪は金色に光っている。
「子どもができるまで黙っていたら、苦情の一つぐらい言わせて貰ってもいいだろう。」
南の城の城主は、デルタの従騎士(騎士見習い)時代の親友だ。久しぶりに訪れた地は変わらず暖かく、笑顔に溢れている。
「港町も、このように平和なら良いんだけど。」
デルタは息子を肩から降ろすと手を握った。
「サゥスも、港町の城主も平和を望んでいるんだ。」
「あぁ、彼ならそうであろう。」
二人は視線を合わせ、肩を組む。
「何かあってここに来たんだろう。さぁ城へ。妻も友の訪れを待ちわびている。息子もな。」
シノァにウィンクを送ると、ウォルターは二人を城へと導いた。
「ウォーゼン、シノァと遊んでくれないか。」
茶色いくせ毛を揺らし少年が駆けてくる。
「人見知りでね。さぁウォーゼン、挨拶を。」
少年は父の後ろで挨拶をすると、シノァの手を取り中庭へ向かった。
「城を出ないように。」
心配そうなデルタの様子を悟り、ウォルターは二人に声をかける。
「金の髪の者が虐げられていてね。妻はいつも髪を隠して生きている。結婚式を盛大にできなかったのも彼女の意向でね。すまない。」
「何かしら、あるものだよ。」
ウォルターはデルタのグラスにワインを注ぐと、笑顔で答えた。
「シノァもあまり港町を歩けなくてね。金の髪に整った容姿が遺伝したんだ。それらは困ったことに人々を魅了する。まるで魔力のように。」
ウォルターは中庭でシノァと楽しそうに遊ぶウォーゼンを見て納得したように頷いた。
「それならばここに越してくれば良いものを。」
「そういうわけにもいかないよ。確かに、ウォルター・エゥラールに仕えるのは魅力的だけどね。」
「サゥス一筋か。」
「あはは。そうだね。彼は立派な城主になった。僕は守らなければならないんだ。従騎士時代の親友を。」
「彼も、固く結んだ友情は忘れまい。」
「もちろんさ。」
二人は杯を交わすと、昔話に花を咲かせる。デルタとウォルター、そしてサゥスは、従騎士時代を共に歩んだ。親友だった。家族と言えるほどの。
「ところで、君がここを尋ねた理由は、ただ会いに来たから。だけではあるまい。」
エゥラールの言葉にデルタはばれたかというように戯けて見せ、そしてすぐに真顔に戻った。
「あまり良くないことに首を突っ込んでしまったみたいだ。僕たちは、近いうちにこの地を去らなければならないだろう。その前に挨拶に来たくてね。」
デルタは立ち上がり、窓の外を眺めた。眼下に広がる小麦畑は金の穂を揺らして輝いている。
「何があった。」
ウォルターは立ち上がり、友の肩を叩く。
「詳しくは言えない。ただ、僕の妻は追われているようだ。彼女の姉を探していたのだがもうすでに殺されていた。」
小声で伝え、デルタは中庭で手を振るシノァに笑顔で答えた。
「この子達を妻を守りたい。君なら急に消息を絶つことを許してくれるね。」
ウォルターは黙って外を眺めた。
「息子が悲しむだろう。何しろ今しがた、彼は人見知りをやめたのだから。」
昔語り合った友のように肩を組み、二人は変わらぬ友情を堅く誓った。
「王族の生き残りがまだいると聞く。」
冷たい城で彼は呟く。
「姉の方は始末しました。妹の方は早急に。」
「おそい。」
跪く男の姿が歪み、その場ではじけ飛んだ。
「はやくその女を殺せ。」
「はっ。」
黒装束の男達は、背筋を伸ばし列になって足音も立てずに消え去った。眼下には青い花が月の光を反射して小さく青い光を灯す。
「金のライオン 闇を食べ。」
男は細く長い指を唇に当て、尖った八重歯で爪を噛む。青白い肌は死人のようだ。
「全てを奪われ闇の中。」
男の影が伸び、闇に吸い込まれるように姿を消した。
夜が明ける。明るい朝日が部屋一杯に注ぐ。
「バジル、いいの。私が用意するから。」
「いえいえそんな。お嬢様。」
ノァはエプロンを急いでかけ、朝食を運ぶ。
「お母様、私もお手伝いします。」
その後ろを茶色い髪の少女が追いかける。
「ピァ、バジルにあまり動かないように言ってね。朝は膝が痛むのよ。」
「まぁ、年寄り扱いなすって。」
バジルはピァを膝に抱くと、椅子に座ってノァの様子をにこやかに見つめる。
「あぁ、ピァ。この幸せな日々がいつまでも続きますように。」
「続きますように。」
ピァも真似をして手を組み祈る。母の美しい髪は弟のシノァに遺伝した。朝食の席にちょこんと男の子の姿が見える。朝日に照らされ美しい金の髪を輝かせている。
「今日はデルタ様が夜勤で帰られないんです。私が家を守るように言われているんですよ。」
バジルが立ち上がると、部屋の呼び鈴が鳴った。
「ほら、ノァ様。お部屋に入られてください。」
「だめよバジル。二人を見ていてね。大丈夫、いつもの配達よ。」
「ノァ様。」
扉の外には黒装束の男が立っている様だ。
「ノァ様。駄目です。いつもの方ではない。」
「え。バジル。今なんと。」
扉が開き、男はノァの手を取り引き寄せた。
「ノァ様。」
慌てて駆けつけたバジルは、その場に座り込み驚いた表情を見せるノァの肩を抱いた。
「誰が、なにがしがここに。」
「逃げろと言われたわ。」
ピァは慌てて弟の腕をとり、母の近くに身を寄せた。
「彼は赤い目をしていたわ。昔母を尋ねてきた男に似ていた。でも違う。彼は優しい目をしていて。」
「ノァ!」
ドアを大きく開け、デルタが駆け込む。
「ピァ。シノァ。」
デルタは皆を抱きしめると。バジルに視線を送った。
「逃げよう。命の危険が迫っている。」
「おお、デルタ様。」
バジルは大粒の涙を流し、ピァをシノァをそしてノァを抱きしめた。
「城主様が使いの者とそれから王城下に隠れ家を用意してくださった。我らはそこに向かうよ。また手紙を出すから。」
「バジル。」
ノァはバジルの手を握り、涙を流す。
「分かっております。ええ、婆やはあなた様を長く見ておりました。ここは私が守ります。いつか魔の手がさりましたらまたここで過ごしましょう。それまで、婆やは休息を頂くだけです。お掃除は欠かしません。」
「ありがとう。バジル。」
デルタはバジルを抱きしめると、隠していた荷物を持ち裏口から逃げるように馬車に乗った。バジルが遠くで手も振らずに見つめている。悲しくて胸がはじけそうだ。
「まず、一晩ウォルターエゥラール公の城へ避難する。その後王城下へ行こう。」
「ウォルター様にご迷惑をおかけします。そのまま王城下へ。」
「僕もそうしたかった。しかし夜の王城城下町は危険だとサゥス様が。致し方ない。」
ノァは心配そうにデルタの腕を掴む。
「大丈夫だ。昼間に王城下に入ろう。司法と教会。王城も近い。何かあったときは法が助けてくれるよ。」
馬車の音に、ウォルターは急いで駆けつけた。
「我が城下町に住めば良いものを。」
ウォルターは何度も友を説得したが、彼が首を縦に振ることはなかった。
「ウォルターお願いがある。我々がここを尋ねた事を口外しないように。絶対に。」
ウォルターの他に部屋には彼の妻が同席していた。彼女は頷き、疲れ果てたノァと腕の中で眠る二人の子供の為に隠し部屋を用意した。
デルタは心配そうなノァの肩を抱くと、子どもたちの頬に口づけを交わした。
「子どもたちを頼んだよ。」
ノァは大きな瞳に涙を浮かべ、デルタを強く抱きしめる。それは短い時間だったがとても長く、また永遠のように感じた。まもなくデルタの願いを組み、ウォルターの妻は彼女と子どもたちを部屋に案内した。
「ありがとう。」
窓の外をチラチラと覗きながら、デルタはウォルターに近づくなと合図を送る。馬車で待機していた従者達が、二人の部屋を訪れる。彼らの内の一人は彼の妻に似た美しい髪の持ち主だった。
「妻子を隠し、身代わりを立てるつもりか。」
ウォルターはデルタの腕を取る。
「すまないウォルター。これしか方法が見つからなかったんだよ。」
デルタはウォルターの肩を掴んだ。
「妻をそして子どもたちを頼む。必ず、必ず生きて帰る。」
「ここに残るんだデルタ。今夜は我々で迎え撃てばいい。その後法の元で裁いてもらうべきだ。一人で戦う必要はない!」
ウォルターは眉間に皺を寄せ、デルタに迫る。しかし彼は決してそれを受け入れなかった。
「ありがとうウォルター。」
デルタはウォルターの肩を抱くと、従者と共に馬車で来た道を帰った。ウォルターは倒れ込むようにして椅子に腰掛ける。
「一体彼女は何者なんだ。」
「ウォルター様。」
冷静な妻が、慌てて部屋に駆けつける。
「ノァ様が。」
「お静かに。」
ノァはウォルターの前に颯爽と表れた。
「心配なさらず。えぇ、私は大丈夫です。」
跪き顔を上げた彼女を見て、ウォルターは息を呑む。彼女は火傷により酷く爛れた半顔を涼しげに彼の前に見せた。
「我が夫デルタは、全てを投げ打って私たちを救いました。次は私の番。」
彼女は立ち上がり、スカートの裾を上げて凜々しく挨拶をした。
「大変お世話になりました。私たちは夜が明けぬうちに遠くに逃げます。どうかお探しなさらぬよう。」
窓下で馬の蹄の音が聞こえた。先ほどの馬車に繋がれていたうちの一頭。懐かしい友の馬。どこにでもいる茶馬のようだが、ウォルターには一目でそれが分かった。
「ごきげんよう。」
彼女は、小さな少女と無垢な少年を抱え城から逃げるように駆けだした。
「まて、私は、私にできることは。」
どんなに声をかけても彼女は決して振り帰らず、馬を走らせ暗闇に飛び込み消えた。
ウォルターは追っていた足を止め、拳を握り瞳を閉じる。
「我々にできることは、沈黙を通すことのみか。」
妻はただ静かに頷いた。
まだ帰らぬ主を待ち、バジルは窓の前に椅子を置く。目を閉じると小さなピァとシノァ。そして愛しいデルタとノァの姿が思い出される。。
「デルタ様。ノァ様。シノァ・ピァ。」
机を磨き、椅子を整えると美しい花を飾った。
「いつでもお迎えの準備ができていますよ。」
バジルはまた、窓の外を覗いた。部屋を照らす朝日が、彼女の金の髪を思い起こす。
「きっと、元気です。」
トン、トン。
ドアを叩く音が聞こえた。
扉の外には城主サゥスが衛兵を連れて立っていた。
「お待ちください。」
バジルは急いでドアを開けた。
追憶
「君はいつも本を読んでいるね。騎士見習いは剣術で華々しく身を立てるものじゃないのか。」
デルタが怪訝な顔で尋ねる。サゥスは顔を上げた。そうして涼しげな声で答えた。
「剣術なら君の方が上だ。それに僕は政治に長けていると思う。考えてみてごらんよ。僕と君が組んで民を守るんだ。最強だろう。」
デルタは暫く考え込むと。
「悪くない。」
と笑顔で答えた。
それから、二人はそれぞれ、港の城でサゥスは城主として、デルタは護衛として港町の民を守った。
「最強の騎士軍団がこの街を守ってくださる。」
港の民は、海の外からの脅威を恐れることはなかった。
「共に…民を護ると誓ったのに。すまないサゥス。」
デルタは握っている剣を見つめた。起き上がることができず、視界が意識が朦朧としてくる。
従者の金の髪が指先に触れる。
「従者三名死亡。あぁ。ほんとうにすまない。俺を信じてついてきたのに。。」
頬をあたたかい涙が伝う。傷を受けたわけではない。全てを交わし切りつけた相手は決して死ななかった。漆黒を纏った集団は首筋に食らいつき干からびるまで血液を吸い尽くした。まるで吸血鬼のように。
(ノァ。ピァ。シノァ。)
死の瞬間も愛する者の名を呼ばず家族の生存を隠した。生きていてほしい。ただその一念で。
「負けるものか。こんな理不尽に。」
握った剣を支えに立ち上がると、デルタは雄叫びを上げながら漆黒の集団に立ち向かった。
「ピァ、シノァ、生き抜きましょう。父のように勇敢に。」
ノァは王城城下町の裏通り、崩れかけた家の前で、二人を見つめ語りかける。
「大丈夫よ。私は平気。」
姉のピァはシノァの前で強がって見せた。
「ぼくもだいじょうぶ。」
目に涙を浮かべ、シノァは姉の手を取る。三人はここでひっそりと暮らし始める。ピァがシノァの髪を布でしっかりと巻いた。
「王族の生き残りではなかった。」
男は報告に来たものを次々に消し去った。
「違う。あの色ではない。純潔のそれはもっと濃く、もっと輝く忌々しい髪の色だ。」
部屋を隅から隅までウロウロと歩き回ると、男はダークブロンドの髪を揺らす道化師を呼びつけた。
「逃げた王族の娘を見つけろ。国中の金の髪を集めろ。いいな。誰一人逃してはならぬ。」
「承知いたしました。」
ピエロを模った金の仮面をつけた男は、深々と頭を下げると足早に城を去った。
「誰一人許されぬ。穢れた血はすべて抹消せねば。」
噛み締めた唇から血液が伝う。赤い瞳が闇の中で炎のように揺らめいた。
金のライオン月を食べ
全てを照らし輝いた。
金のライオン闇を食べ
全てを奪われ闇の中。




