✿ 第36話(前編):契約の解消
空気はピリピリと張り詰めていて、先生たちの表情も硬い。でもそれは、第1棟付近で先輩方を怖がらせたり先生に迷惑をかけた罰則を言い渡す為だろう……と、私は呑気にそう思っていた。
「相棒契約は、即刻解除するべきだ」
「……へ?」
春風の口から漏れたのは、いつもより少し掠れた声。その視線は右往左往して、何かを言葉を探すみたい。先生の言葉に、私の体も凍りついた。
相棒契約を、解除する。その言葉は私の胸へじわじわと押し付けられるような、そんな圧を簡単に与えてくる。
「な、え、解除って……何でそんな事しなきゃ行けないんですか」
「2人は契約について、あまりにも軽視しすぎているとおもう。メリットばかり見ていては、デメリットに目がいかないだろう」
「それって、命をかけるほど大切な関係を築くって魔力に誓う事ですか? だったらそんなの知ってます、分かった上で契約したんです!」
「仮におまじないだとしても、簡単に命をかける約束なんてする物じゃないと思わないか?」
「そんなの……そんなの、私たちが決めることですもん!」
隣に立っている春風は、見た事ない様な剣幕で先生に吠えている。あんなに懐いている相手に、ここまで怒りを露わにするなんて。
でも、先生が言うことは正しい。魔法使いにとって、このおまじないは言葉以上に大きな意味を持つ物。それに、私と春風が一緒に居るのを魔法省は危険視するに決まっている。先代の事があるんだから。
「春風、ちょっと落ち着いて」
「だって……」
「まず深呼吸しよう、ほら」
私は彼女の背中をポンっと撫でる。すると、少し熱が治まったのか深呼吸をして先生に向き直った。
先生がそう言うには、何か理由があるはずだ。余りに唐突な話題だから、まずはその理由を聞いてみないと。
「先生、その考えに至った理由を教えて頂けませんか。説明も無しに突然そう言われても、納得する事が出来ません」
その言葉に、春風も大きく頷く。
「……」
しばらく沈黙が流れた。
八雲先生は、ゆっくりと視線を下に落とす。机の上に置かれたマグカップをじっと見つめ、何かを言いかけては唇を閉じた。和泉先生は少し心配そうな表情をしている。つまりこれは、八雲先生が主体となった意見なんだろう。
一息漏れた音が響くと、先生はようやく口を開いた。
「相棒契約は、魔力による〝本質的な同一化〟をもたらす場合がある。2本の糸は重ね合わせたら強く結べるけれど、片方が切れれてしまえばもう一方も一緒に解けてしまうだろう。2人の場合は色々なリスクがあるし、成長中の魔力においてそれは避けるべきだ」
そんな話、聞いた事ない。つまりそれは、魔法省でのみ広まっているか、最近知られた情報・確定してない少ない事象のどれかだろう。
確かに、私や春風はまだ1年生。中高生ならともかく、小学生のうちに魔力が安定したと自信を持って言える程、私たちは成長していない。魔法の杖の変なも無いぐらい、まだ成長の真っ只中だ。
「私も本当は応援をしたい。でも、教師として……大人として、お前たちが危ない可能性があるものを、黙って見ている訳にはいかないと思ったんだ」
その声はいつもの落ち着いた語り口ではなく、どこか奥歯に何かを噛みしめるような……そんな重たさがあって。私たちが気に入らないからってだけで言ってる様には、微塵も感じられない。口から漏れた言葉は、少しだけ震えていた。
すると、口を閉じていた和泉先生もようやく言葉を投げかけた。
「気持ちは分かるよ。春風さんと花柳さんにとって、この約束がどれだけ大切な事なのか。それは僕たちも理解してるし、永遠に解除しろって言ってる訳じゃないんだ」
「……そう言うデメリットをもう一度よく考えて、2人で答えを出して欲しい。その為に、今日は罰則代わりのミッションを持って来た」
「ミッション……?」
一体どういう事ですか……と、私が言葉を放つ前に先生は紙切れを手渡した。その紙を春風と一緒に覗くと、その中には「魔道遺物リスト」と記されている。
上からずらりとチェックマークが付いているが、1番下には付いてないみたいだ。
「この学園には魔道遺物って言うのが何個か遺されていてね、それを定期的に魔法省で保護回収してるんだけど……その1個だけ、誰も動かせなくってね」
「契約がもたらす危険性を、2人はまだ完全に理解していない。だから、2人が本当に本気で契約を続けるつもりなのか……その証明を私たちに見せてほしい」
魔道遺物と言うのは、歴史的な魔道具なんかに付けられる名称だ。数年前からは魔法省で保護するようになった……という話を、以前父から聞いた事がある。でも、それで証明して欲しいなんて……。
すると、先生は他にも何を手渡しながら言葉を続けた。
「それは小学棟の倉庫室にあるんだ。良ければ試してくれないかな?」
真剣な表情の先生たちに、少し睨みつける春風。昨日とは全然違う雰囲気に、私まで緊張してしまう。張り詰めた空気感の中で平常心を保ちながら、私は口を開く。
「……分かりました。私が証明してみせます」
*
「まさか、捜査部用の変装具を使わせて貰えるなんて思わなかった」
「……」
「えっと……気持ちは分かるけど、とりあえず魔道遺物の事に集中しよう」
いつも賑やかなその声も、今は口を固く閉じて指先をぎゅっと握っている。私の少し前を歩く彼女の背中から、その感情は分かりやすく滲み出ていた。
互いに着けたブレスレットはペアになっていて、捜査部用に数個用意されてる特別な魔道具だ。だから〝闇の目眩し〟をしなくても他人には違う人物に見えるし、お互いの姿はそのままで見える。
こんな貴重な物を渡してまでこの罰則を与えると言う事は、先生たちは本気で相棒契約を辞めさせたいんだろう。そして、目の前に居る聖女様はそれが心底気に入らないのだ。
「……何で、花柳は怒らないの? 相棒契約を辞めろって言われたのに」
「だって、先生の言ってる事は全部その通りだよ。先生は私たちの事を思って……」
「それでも、私は君との関係を誰にも壊されたくない!」
誰も居ない休日の廊下で、彼女の声は嫌に響く。その言葉には、私の頭まで突き刺さるくらいの真っ直ぐで強い感情が乗っていた。
「学校で喋れなくたって、放課後だけだって、ぜんっぜん良くて……楽しくて嬉しくて……っ、でも、最初に駅で出逢ったときも、入学してからずっと悩んで居た時も、あの時繋いでくれた手があるから……君が居たから今の私が居るの! だから、君にもこの関係辞めるとか絶対に言われたくない! じゃなきゃ、私は……」
闇魔法師は聖女様の命を落とすと揶揄されても、盲信者から近づかない方が良いと言われ続けても。
魔法駅で出逢ったあの時から変わらず天真爛漫な笑顔を向けてくれた彼女は、初めて私に怒号を浴びせた。目元の端を少し濡らして、酷く歪んだ表情で。
「春風……」
私は、みんなが幸せに生きていけるならそれで良いと思ってしまう。それに、正しい方と間違った方なら、きっと正しい方を選び取る。それなら先生の指示へ素直に従うべきだ。
でも……本当に、それで良いのかな。
先生の言葉が正論だと、頭ではちゃんと理解している。でも、春風の声も表情も頭に焼き付いて離れない。それだけで、正論の方が間違っている気がしてしまう。
「……急に怒鳴ってごめんなさい。早く、倉庫に行かないとね」
この関係を壊す事は、本当に正しいのだろうか。本当の私は……いつも、何を考えていたっけ……本来の私なら正しい方を選ぶはずなのに、彼女を前にするとそれすらも揺らいでしまう。
外の風は空気が冷たくて、渡り廊下を進む足が遅くなる。何だか自分の思考でさえも、上手く働かないような気がした。




