✿ 第19話(後編):咲き誇る未来
「……もしかして、昼間の謝罪?」
そう質問すると、彼女の声は若干困惑したように変わる。
『う゛っ、なんでバレてるの』
「他にかけてくる理由が無いから」
私が冷静に返すと、彼女は少し間を置いてから『それはごめんだけど……でもそれだけが理由じゃないから!』と、慌てて言い訳を始めた。私が「そうなの?」と呟くと、彼女は『そうだよ!』と怒ったようにプンスカ話し始める。
『全く、失礼しちゃうなぁ』
その反応に、思わず笑いがこみ上げてくる。彼女の声を聞いているうちに、先ほどまで感じていたやるせなさも、気にならなくなってきた。
『ねぇ花柳、今って窓開けられる?』
笑いをこらえていると、春風が明るい声で尋ねてきた。
「うん、開けられるけど」
『じゃあちょっとさ、窓開けて外見てみてよ!』
その言葉に素直に従い、私は閉めていたカーテンを引き、窓を開ける。冷たい風が少し頬を撫でると、私は思わず息を飲む。
そこには、先程までの雨粒を忘れてしまいそうなほど、とても美しい夜空が広がっていた。無数の星々は瞬き、月は静かに輝いている。
「綺麗……」
思わずそう呟くと、彼女はその声に嬉しそうに『そうだよね!』と反応をした。
『さっきまで降ってたのに静かになったな~と思って見たら、すっごく綺麗で! それで花柳に教えたくなっちゃって』
「そうなんだ……」
雨が止んでいたのも、全然気づかなかった。本を読んで魔法の事をずっと考えていたからか、外の音もいつの間にか耳に入らなくなっていたのだろう。
静かな夜の中で星々に見とれていると、耳元から彼女の声がポツリと響く。
『私、学校で君と普通に話せたの、ちょっと嬉しかったんだ……ごめんね、ちゃんとダメだって分かってるんだけどさ』
その言葉に、私は一瞬言葉を失った。彼女が感じていたこと、そして私に向けての気遣いが、胸にじんわりと染み込んでいく。
「……もういいよ、気にしなくて」
『ほんと?』
「本当」
そう、本当なら春風はこんなことを気にしなくて良い。誰の行動も制限する権利は、私なんかにない。なのに、私はこうして無理をさせている。彼女がしたい振る舞いすらできない状況を作り出してしまっている。
それでも、そうした方が彼女が安全だと信じていた。私と無駄に関わることは、彼女にとって一番良くない事なんだ。だって、私がいつ彼女を傷つけてしまうのかなんて、私にも分からないのだから。
『この前さー、自分の名前を調べるやつあったじゃん?』
「あぁ、あったね」
突然そう投げかけられて、私は適当に言葉を返す。
その授業は、自分の名前の由来や漢字の意味を語り合うものだ。親から由来聞く人もいれば、自分でその漢字の意味を調べるなど、方法はなんでもいい。とにかく漢字に触れて慣れさせる為の授業……という感じだった。
『それで輝が〝星が綺麗な夜に産まれたから〟って言ってたの』
輝は私と同じ日に産まれた。その日は、家族みんながハラハラドキドキしていたと母から聞いている。うち親戚には双子が居なくて、不仲気味な親戚ですらもその日はソワソワしてたとか。私たちが産まれた時、家族は涙を流しながら感動し、その場は喜びに満ちていたらしい。
その夜に輝く星から、輝は名づけられた。
『それでさ、輝が星なら、君は月みたいだなって思ったんだ』
「月?」
『うん!』
私が疑問に思っていると、彼女は言葉を続けてく。
『月って太陽の光を反射して、優しくて柔らかくて、暖かく光るでしょ? 私、初めて君と森で話した時、君に同じようなことを思ったの』
彼女が思い描く私のイメージは、私にとって思いもよらないものだった。
てっきり極悪人とか意地悪とか怖いとか、そんな感じに思われていると思っていた。そう言えば初対面で「天使様」とか言われたっけ。あれは流石に冗談だと思うけど。
『花柳って言葉強いけど、内容が全部私の為な感じがするって言うか、突き放さないで包み込まれてる感じがするの。だから、何かそれが好きというか……そんな君に救われたと言うか……うーん、言葉が難しい!』
そんな言葉を聞いているうちに、段々と顔が暑くなってきた。全く、変なところでド直球なのだ、この聖女様は。
「……よくそんな恥ずかしげもなくポンポンと照れくさいこと言えるね」
『え、照れくさい?』
「うん。今すぐ切りたくなるぐらい照れくさい」
『まだ切らないでよ!?』
「切らないけど」
私が本当に月だったら……きっと、すごく困ってしまうんだろうな。
だって、月の光は、太陽の光を反射したもの。貴女がいるからこそ、私の光も生まれる。彼女を救ったその光だって、貴女がいなければ始まらない。
私は、貴女から離れなきゃいけない存在なのに。そんな事を言われてしまったら、離れたくても離れられなくなる。離れた時に悲しむ貴女を想像しただけで、胸が痛くなる。
私は貴女と友達じゃない。ただの、相棒なのに……きっともう、友達と同じくらい、貴女に心を許してしまっているのだろう。
ダメだとわかっていながらも、貴女と過ごす時間を手放せなくなって行く。
『え、えっと……それでね、今日って満月らしくて……さっき調べたら、6月の月はストロベリームーンって言うらしいの!』
「へぇ~、美味しそうな名前」
『でしょ? だから余計に君みたいだと思って。甘いの大好きで目も薄いピンクだし! 綺麗だけど今から会うのも大変だし……でも、君と一緒にお話しながら見たくなっちゃったんだ~』
そう言って彼女は嬉しそうに笑う。こうして耳元にスマホを当てていると、なんだか本当に、隣に彼女がいるような気持ちになってしまう。彼女の声が、まるで温かい風のように私の心を包み込んでくれた。
私の世界は真っ暗闇で、前も後ろも分からないような場所をずっと彷徨うみたいだった。今もそれは変わらない。どこに進めばいいのかすら見えなくて、心の奥には不安が渦巻いている。
それなのに、彼女といるだけで世界が明るくなる。直視できないほどに眩しい光が、私の暗闇を簡単に晴らしてしまう。その光は、彼女の笑顔や言葉、優しさそのもの。彼女と一緒にいると、そんな暗闇も忘れそうになる。
私は暗いのも、夜も、今までずっと怖かった。闇魔法師という立場で暗闇にも強いはずなのに、何とも滑稽だ……と、何度も思ったものだ。夜が怖いから、私と輝が産まれた時のような美しい夜空も、感じる余裕なんて無かった。
ただ暗くて嫌で、悪夢を見るのが恐ろしくて、上手く眠れない……そんな時間が続くだけで。
だけど、今こうして夜空を見上げると、その美しさに心が震える。星々が瞬き、月が静かに輝く様子は、私の心を簡単に動かすんだ。両親や兄も、私たちが産まれた時はこんな景色を見上げていたのだろうか。
そういえば、彼女と校則違反をして夜に帰った時も、不思議と夜の怖さが無かった。彼女の存在が、暗闇の中で私を支えてくれていたのだろうか。春風と会うようになってから、悪夢を見る日も減った気がする。
こんなの……私の方が、春風菜乃花に救われているじゃないか。
『ねぇ、私の名前は〝菜の花が咲いてる晴れの日に産まれたから〟って親に言われたんだけど……君は何?』
「何って、輝と同じで夜の桜だけど」
『そーじゃなくて、漢字だよ! 君の名前は普通の桜って文字使わないじゃん。どういう意味なのかなって』
「あぁ……」
そう言われて、私はこの前、両親に同じことを聞いたのを思い出す。星が〝輝く〟で輝は分かるけど、桜で咲来は、正直よく分からなかったから。
私は両親に教えられたその由来を、そのまま口に出した。
「……〝花が咲く様に素晴らしい未来が訪れますように〟って意味」
『えぇ、素敵すぎる! 花柳のパパとママ、すっごい天才じゃない?!』
「良く思いつくよね」
こんな名前、私には不相応だ。
私はそんな未来を思い描く資格がない。
『きっと素晴らしい未来になるよ、私が保証しよう!』
「その保証、ご利益でもあるの?」
『え~っと……ひ、光魔法のパワーです!』
「それは、特大の祝福ですね」
『ハッハッハ! 私に存分にひれ伏すと良いぞ~!』
「私も光魔法使えるんだけど」
『あぁ、そうだった……スイマセン』
「……ふふ」
『あー、笑われたー!!』
なのに、彼女と話していると……そんな未来を簡単に想像してしまう。ずっとこうできたら良いのにと願ってしまう。
私も本当は、貴女と普通に話せて嬉しい気持ちがあったんだって……その思いを口にしたら、貴女はどんな反応をするのだろう。私が昼間のように口喧嘩出来る人なんて、この世でたった貴女だけ。私が相棒契約をするのも、この人生で貴女だけだなんて言ったら、どんな顔をするんだろうか。
もし、私が名前の通りに素晴らしい未来を思い描いて良いのなら……それは、私の友人も家族も、相棒も……皆が幸せに笑って生きられる未来だ。闇魔法師という恐怖が無い世界で、何の心配もなく過ごせる平和な日々。それが、私の望む未来。
だから、私は……みんなを傷つけないために、早くこの魔法を消し去りたい。悪夢で広がる、私がみんなや相棒を傷つけて殺める光景。そんな未来の可能性も、この世から全部無くすんだ。私の存在が春風の未来に影を落とすことは、決して許されない。きっとこの世界の誰よりも、私が私を許せない。
やっと自分の思いを見つけられた相棒が、これからも笑って幸せに生きられるように……彼女の明るい未来を叶えるためにも、史実の聖女様のような結末を、彼女には絶対に迎えさせない。
だから、今だけ、今だけは……この瞬間を大切にしても許されるだろうか。
今だけはそれも全部忘れて、ただこのひとときを抱きしめさせて欲しい。聖女様と闇魔法師ではなくて、ただの相棒同士で居られる、この時間を。
彼女のおかげで久しぶりに感じる事が出来た、この美しく広がる夜空を……もう少しだけ、一緒に眺めさせて欲しい。
「やっぱり、今日の月はすごく綺麗」
私は、先程の本に書かれていた言葉を繰り返し頭でなぞっていた。信じられないような、当たり前のような知識を。
〝魔法使いは、魔力の枯渇が起こると体力が落ちる。しかし魔力の器を壊す事は不可能。それを失った場合は――その存在は理から外れるだろう〟
相棒契約は〝命をかけるほど大切な関係を築く〟と言うこと。それなら私は命をかけて、春風の未来を花の咲く様な素晴らしい世界にしてみせるって、あの日誓ったの。
例え、自分の魔法を消すという事が……魔法使いにとって、命を絶つのと同じ事だったとしても。




