✤ 第2話(前編):家族との別れ
「ねぇねぇ菜乃花、今日の夜3人でゲームしよ」
「やだよ、まーたパパとママに怒られるじゃん! 次こそは春風家のゲーム機が全部消え去ると思うんだけど」
「大丈夫だよ姉ちゃん、パパにはちゃんと交渉したから!」
「そうそう。お姉ちゃん用意周到だからさ」
「え~、うーん……じゃあ、ママも巻き込んで今日は5人でゲームしようよ!」
「ほんと!? やったぁ!」
「菜乃花ってば、天才じゃーん!」
ああ、こんな日がずっと続けばいい。
春なんて、一生来なければいい。
……でも、それは無理なんだ。
『ほら、目を開けて。そこに居たって何も出来ないわ。だってもう、太陽が見える時間なのよ――』
*
「う゛~ん……」
ジリジリと鳴り響く目覚ましは、頭に直接「おきてー!」とさけぶみたいに音を奏でている。まだ太陽が登り始めた5時30分。
普段ならこんな時間に起きるなんて無いけど、私は重い瞼を擦りながら布団から出た。何か夢を見ていた気がするけど、内容は思い出せないみたい。
雲ひとつない空は、朝焼けで綺麗なグラデーションになっている。こんな空の色を見るのも久しぶりだ。
「いてて……早くピアス付けよっと」
親に貰った、ガーネットの小さなピアス。私は出来るだけ一日中、左耳にこれを付けている。
私の体は年々、寝起きから勝手に煌めきが出てくるようになっていた。魔法を使っていなくても、魔力が勝手に溢れてしまう。そのせいなのか知らないけど、最近だとチクチクとした痛みが現れる事も増えた訳で……それを見兼ねたママとパパが、これをプレゼントしてくれた。宝石には、魔力を安定させる効果があるらしい。
困った魔力も、このピアスを付けるとほぼ収まってくれる。これがあるおかげで、魔力が暴走して~みたいな事にはなってないんだから、宝石ピアス様々だ。
「……ついた」
ぐーっと体を伸ばして、ベッドを降りる。
本当なら自分しか起きてないはずの時間なのに、電気のついているリビングと人の声。ハッとした私は、少し肌寒い廊下をドタドタと走った。
「おはよう、菜乃花」
「ママ……皆も、こんな時間に起きてたの?!」
リビングのドアを開けると、中では親と姉弟がくつろいでいた。こんな朝早くから皆が起きているなんて、普段ではありえない。あるとすれば、テーマパークや旅行へ行く時くらいだ。
「何言ってるの、今日は起きるに決まってるじゃ~ん!」
「そう言いながら、凑斗ってば起きなさ過ぎて2回も起こしてあげたんだよ~?」
「ばらさないでよ涼花姉ちゃん!」
笑いながら小突き合っている2人は、早朝とは思えない程元気だ。そんな様子に、思わず私も笑みが溢れる。それと同時に、この光景が暫く見れない事を改めて実感してしまった。
「あはは、皆ありがとねっ! ……さて、じゃあ今日も沢山食べますか。受験前にカツ丼食べる人みたいな感じで!」
「姉ちゃん、お腹がはち切れるくらい食べてたもんね」
「パパが沢山お皿に入れちゃうからよ」
「あれ、そうだったのか? スマンスマン、沢山食べてくれるからつい」
「全然大丈夫。美味しすぎて無限に食べれる!」
「食べすぎてお腹ぐるじいって言ってる妹も、これでしばらく見納めかぁ~」
そんな話をして笑い合いながら、皆で朝ごはんを食べる。
今日はお味噌汁にお米に厚焼き卵……絵に描いた様な和食がテーブルの上に並んでいた。私は、パパの作る料理がとても大好きだ。料理人として生きててもおかしくないと思うくらい、本当に美味しいって思う。
春風家では、パパが料理担当。理由は単純で、ママが大の料理音痴だから。その代わり他の家事を分担していたり、バランス良く仕事を分けてる。私たちは、お手伝いをしたらお小遣いとかご褒美が貰えるっていうのがあって、追加のお小遣いが欲しい時なんか、お姉ちゃんとお風呂掃除の取り合いした事もあったっけ。
これからは、全部過去の思い出になるんだ。
胸に穴が空いたみたいに、ひゅうっと冷たい風が吹いてるような感覚。私はその穴を埋めるみたいに、ひたすらお米を口に含んだ。
ご飯を食べ終わった私は、私服に着替えて荷物をまとめていた。制服はクラス分けの後に渡されるから、行く時は私服でいいらしい。トラベルバッグには筆箱、えんぴつ、お気に入りのコップ、私服……他にも生活で必要そうな物は、色々と詰め込んだ。
このバッグは学園から郵送された物で『是非使ってください』って書かれていた物。魔法で作られたこのバッグは、どれだけ詰めても羽みたいに軽い。ランドセルのCMみたいだ。
「よし……後は、これかな」
トラベルバッグと通学用のカバンが入学予定者全員に送られているらしいけど、他にも郵送で届いた物がある。それは、魔法使い用の『スマートフォン』だ。
魔法使い用と言っても、見た目も機能も親が使っているやつと一緒に見える。でも、魔法世界専用のアプリが入ってたり、魔力でも動くように作られていたり……難しいことは分かんないけど、中身が色々違うらしい。
私は手に持ったスマートフォンを、そのまま通学用のカバンにそっと仕舞う。時計を見ると、もう7時……そろそろ家を出なくちゃいけない。
しばらくこの部屋に戻れない。小さい頃から毎日を過ごしていた、大切な部屋……次来れるのは、一体いつになるんだろう。
「……またね」
部屋に向かってそう呟くと、見慣れたその扉をそっと閉めた。
*
「姉ちゃん……もう行っちゃうの?」
「ごめんね湊斗。思い出話楽しみにしてて!」
「菜乃花は人に頼るの下手だから、あんまり溜め込みすぎないでね」
「うん……ありがとう、お姉ちゃん」
普段はハグなんて照れ臭くてやらないのに、今日は私に抱き着いてくる。私は、そんな2人に何も言えなくて、ただ固まって立っていた。抱きしめ返そうと腕を途中まで振り上げたのに、それより先に動かなくて。
いつも明るくてマイペースで、私は何回も振り回された。お姉ちゃんのツッコミも沢山した気がする。でも、何だかんだ楽しかった。
湊斗は弟と思えないぐらいしっかりした子で、私なんかより立派で、いつの間にか、もう小学生で……あぁ、ランドセルで学校に行くところ、私も一緒に登校して見たかった。
あれ? どうして、今まで気付かなかったんだろう。離れるのって、こんなに寂しいんだ……。
私は2人をぎゅっと抱きしめ返す。宝物を触るみたいに、大切に。そんな私たちを、パパとママは微笑ましそうに眺めていた。
「気をつけて行ってらっしゃい。無理はしないでね」
「何かあったら、ちゃんと直ぐに連絡するのよ?」
そう言う2人の顔を見て、私は出かかった涙をグッと抑える。泣いてるところなんて見せたら、2人を心配させちゃうから。
「パパ、ママ……私の事、普通の子みたいに育ててくれてありがとう」
「何言ってるの、そんなの当たり前じゃない! 菜乃花は私たちの大事な娘なのよ」
「寂しくなったらいつでも帰っておいで。菜乃花の好きな物、沢山作って待ってるから! 離れてても、ずっと繋がってるよ」
「何があっても、菜乃花の実家はずっとココ。それを忘れないでね。私たちみんな、菜乃花の事が大好きなんだから」
2人はずるい。そんな事を言われたら、余計に魔法学園なんて行きたくなくなっちゃうよ。
魔法なんて意味のわからない事を、ママとパパはずっと信じて、私を守ってくれた。そんな話を聞いた後でも、姉弟は昔から変わずに接してくれた。
きっと当たり前じゃない、すごく幸せな事だったんだ。
「ありがとう! 私も、みんなのこと大好きだよ!」
やっぱり離れたくない。行きたくないって駄々を捏ねたくなったけど、そうしたらみんなを困らせる。行かせたくないって言わせたくない。だから、私は笑う。しんみりした空気にするより、楽しい気持ちで出発したいから。
この笑顔は、嘘とか貼り付けたみたいな笑顔じゃない。だって家族と居た時だけは、いつだって私で居られたから。
「それじゃあ、行ってきまーす!」
「行ってらっしゃい!」
「気を付けてね~!」
大きく手を振りながら、足を動かす。遠く小さくなっていって、家族が段々と見えなくなっていく。
溢れかえる寂しさを噛み殺して、マンションの廊下を歩き始めた。今すぐにでも、後ろに振り向いて戻りたくなっちゃうから……私はもう、背中の方を見なかった。