✤ 第1話(後編):魔力の発現
あの日、私は魔法使いになった。肌の内側から漏れ出すのは、眩しくて、温かくて、でもちょっと怖い光。私が〝普通の人間〟じゃなくなった日。
あれからずっと、私は魔法の事が嫌い。でもそれより嫌いなのは、そんな風に考えてしまう自分の事だった。
*
冬の終わり頃の東京は、運が良ければ数年おきに雪が降る。この日も数年ぶりに雪が数センチ積もるだとかで、9月に起きた不自然な事件は、頭の端の方に追いやられている時だった。
「パパママ、2人のことみなかった!? あと10分でみつからなかったら、私罰ゲームなの!」
「罰ゲームって、何するんだ?」
「カイダン禁止令だよ……うぅ、絶対やだ」
「それを嫌がる菜乃花も菜乃花だわ」
次にかくれんぼで姉弟に負けたら、階段禁止令の罰ゲームがある。焦った私は素早く全ての部屋を探し、最後はほぼ開かずの部屋である物置部屋へ足を踏み入れた。
少しホコリっぽった場所で、古い布や段ボールをかき分けた、その瞬間――
「うわぁっ!?」
何も見えなくなるぐらいに、目の前が眩しく煌めいた。淡い黄色の粒子がふわりと浮かび上がる。まるで、肌の内側から滲み出すみたいに。
「え、なに、これ。私……光ってる……?」
きらきらの星みたいな、さっき食べたレモンアイスの色。胸の奥では、パチパチと電気のような音が鳴っていた。
「菜乃花、どうしたの!?」
「わかんない……私、電球になっちゃったの!」
「で、電球!?」
目の錯覚かと思ったけど、パパとママの驚いた顔が「これは現実だ」と教えてくれていた。いつの間にか、姉弟もやってきて、家族総出で大騒ぎ。
とりあえず病院に行くことにしたけど、外に出ようとした瞬間に光はぱたりと消えてしまった。そのまま病院に行ってみても「すごく健康」って言われただけ。結局なんで光ったのか……その理由は分からなかった。
その日の夕方、突然家のチャイムが鳴った。パパがモニターを見ると、そこにはスーツを着た男の人が立っている。なんとなく気になった私は、パパの後ろからそのモニターを眺めていた。
「はい」
『初めまして。私、春風様のお宅からの異常を感知して伺った者です。少しだけで良いので、お話をさせて頂く事は出来ますでしょうか?』
「異常? あの、ウチはセールスとか受けてないですよ」
『そ、そうですよね! えぇーと、私は決してセールスなどではなくて……』
スーツの人って大きく見えるし、強そうでちょっと怖い。そう思っていたはずなのに、初めて見たその人が、知らない人じゃないみたいな……どこかで会ったことがあるような、そんな不思議な感覚があった。
「パパ。私、この人とお話したい」
「え? 菜乃花とお知り合いなのか?」
「ううん、知らない人……でも、なんか知ってるかんじがするの」
「でも、不審者だったら困るしなぁ」
パパがそう言った瞬間、モニターにいる人は真面目そうな表情から一転して、酷く慌てた様子で声を投げる。
『あの、本当に絶対に不審者では無いですっ! こちらに身分証もありますし、個人情報もなんでも掲示致しますので』
「わーっ、待ってください! ……エントランスをお通しするので、とりあえず玄関まで来ていただけますか?」
『……はい、ありがとうございます!』
後ろでママが頷いているのを確認したパパは、その男性を家に通す。しばらくするとインターホンが鳴って、パパがドアを開けに行った。私はパパの後ろの方に隠れながら、少しずつ開くドアを眺める。
「こんにちは」
彼は名刺を差し出すと、柔らかい声で名乗った。
「私は文化教育部所属の、花柳慧斗と申します」
文化教育部、言葉の意味をその時の私は理解していない。だから、両親の仕事の取引先に居る人とか、そんな感じかと思っていた。
彼の方をじーっと見ていていると、いつの間にか目がバッチリ合っていた。見ちゃ悪かったと直ぐに視線を逸らそうとした、その瞬間。彼の瞳が、とても大きく見開かれた。驚いて、息をゴクリと呑むような……そんな表情で。
「……」
数秒の沈黙の後、彼は真剣な目つきで口を開く。
「急にお伺いした非礼は百も承知です。しかし、どうか私の話を聞いていただきたいのです」
「お話って、具体的に何の話ですか?」
「……本日のお昼頃、こちらでお嬢様の光を検知致しました。ですが、魔法省でお調べした所、春風様は御先祖に魔法使いが居らっしゃらないようでして」
その言葉に、心臓がドクンと跳ねる。だって、それはほんの数時間前の出来事。私が光ってただなんて、家族以外は誰も知っているはずがないのに。
その言葉を聞いて、パパはママと相づちをしてから彼をリビングに通した。最初は子どもは別々……と両親は言っていたけれど、結局5人で聞くことに。でもそこで聞いたのは、私にとって現実味の無さすぎるお話だった。
「春風菜乃花さん……あなたの中には、大きな魔力が宿っています。魔法使いとしての力が、光を放って目を覚ましたんです」
「……ま、まほう、つかい……?」
その一言で、部屋の空気が一瞬止まった。カチカチと鳴る時計の音が、妙にうるさく響く。誰も声を出さず、私の胸の鼓動だけがひとりでに走り続けていた。
「……魔法使い、って……どういうことですか? 流石に、冗談じゃないんですよね?」
「はい。冗談じゃありません」
そんな中で最初に声を上げたのはパパで、声は少しだけ震えていた。でも、目は真っ直ぐ真剣に、彼の表情を捉えてる。
「5歳で発現する子が多い中で、菜乃花さんは7歳。珍しい事ですが、それは御先祖に魔法使いが居ないからか――」
淡々と話はじめる彼に、私は思わず大きな声で抗議した。
「いや、ちょっと待って! 魔法使いって絵本の話でしょ、私は普通だから絶対にちがうよ!」
「そう思いますよね、ごめんなさい。でも、これは事実なんです」
「だ……だったら、私たちみんな魔法使いなんだよね? 私だけなんてそんなの有り得ないよね……」
「……湊斗さんが今後発現されなければ、その可能性は……限りなく、0に近いです」
お前だけ普通じゃないよって、そう言われてる気分だった。もし家族で私だけだったら? これが原因で嫌われたら? それだけは絶対に嫌だ。誰かに嫌われるのは怖いから、みんなと一緒がいいのに……それじゃいけないの……?
私は、さっきまで光を放っていたその手のひらを重ね合わせて、ぎゅっと握りしめた。その力を、押し込めるように。
「混乱させてしまってごめんなさい。ですが、菜乃花さんが本日発した魔力は、非常に特徴的だったんです」
「トクチョー的……?」
「はい。光魔法――薄く、柔らかな黄色い魔力は、その象徴です。そしてこれは、一般的な魔法使いではまず現れない。貴女は光魔法師と言う、特別な魔法使いかもしれません」
光魔法、特別。その言葉を聞いた瞬間、私が普通でいられる時間が音を立てて崩れ落ちて行く。
それから彼は、色々な説明をしてくれた。魔力は親からしか遺伝しないから、人間の両親から生まれる人は珍しい事。その中でも、私のように御先祖様に魔法使いが居ない人は記録上居ない事。
でも、パパとママは少し納得していないみたいだった。
「娘はただの小学生です。魔法とか……そんな世界に巻き込まれるなんて……どうしても信じられません」
「そうですよ! それに学園でずっと寮生活って、そんな急に……」
「そのお気持ちは、痛い程良く分かります。しかし魔力は既に発現していますから、放っておけば次は暴走していたかもしれません」
「っ……!」
その言葉に、パパの拳がテーブルの下で静かに震えていた。それと同時に私の心もサァっと冷えていく。私は段々と思い出したんだ。数ヶ月前にあった、あの出来事を。
「あの、私……9月ぐらいに変な事があって……教室のまどが全部われたり、涙がとまらなくなったり、最後はたおれちゃって……それって魔法に関係あるの?」
「そんな事が……可能性としては、不安定な魔力が感情によって暴走しかけたのかもしれません。その時魔力を検知できなかったのも、芽生え始めの時期だからでしょう。発見が遅れてしまい、申し訳ございません」
「えと、お兄さんは悪くない……から……」
彼は「魔法使いなら誰にでも起こりうる事ですから、これから一緒に対処して行きましょう」と、私を慰めるように言葉をかけてくれた。
でも、私には疑問と恐怖が湧き上がる。そんな恐ろしい力を、どうして私なんかが持っているのか……それが気になっても、理由は教えて貰えない。だってそんなの、誰にも分からないんだから。
「光魔法……それと対をなす闇魔法は、ほぼ全員使えないに等しいレベルの魔力量です。光や闇の魔力を多く持つ人は非常に少なくて、だからこそ誰もが憧れてしまう……そんな存在なんですよ」
そう言いながら、彼はなんだか寂しそうに目を細める。ゆらゆらと、瞳を震わせて。でも、彼がどうしてそんな表情をするのか、私には分からなかった。
すると、直ぐにぱっと顔を上げて笑顔になり、明るい声でこう告げた。
「私は、菜乃花さんと、菜乃花さんのご家族の安全を守るためにここへ来ました。今後は我々に、春風様のサポートをさせて下さい!」
*
それから2年後……小学3年生になった去年の10月。私は一度だけ魔法学園を訪れたことがある。秋の空気と、お祭り騒ぎのような文化祭。皆が杖を持ち、楽しそうに笑う――それなのに、私の心は冷えきっていた。
「早く神社行こう! 聖君様に挨拶しなきゃ!」
「待っ、ちょっと落ち着けって~」
周りから聞こえてくる言葉が、ずっと頭にこびり付いていた。光魔法を使える人は「聖君様・聖女様」なんて、大層な名前で呼ばれてるって聞いたけど……それは本当で。実際に歩いてるだけでも、その言葉は聞こえて来た。
でもまぁ、そりゃそうだよね。この国の魔法使いを導く、絵本みたいな特別な魔力を持った人。その魔法で、みんなを救ってきたんだもん。
でも、私がそんな「偉大な存在」って言われても、全然ピンとこない。だって〝聖女様〟と同じ魔法を使えるだけで、私はただの子どもだ。なのに、どうして「みんなを導く聖女様」なんて肩書きを背負わなきゃいけないんだろう。
私は、聖女様なんて呼ばれたくない。
でも学園に入ったら、私の魔力は適性検査ですぐバレる。そうしたら、私がどんな人かなんて関係なく、肩書きだけでみんなに判断されるんだ。
だからもし、本当に光魔法が特別なら……その特別がどうして生まれたのか、なんで私が魔法使いになったのか、その全部を知ってやる。魔法のこと、私のこと、そして――かつて『聖君様』『聖女様』と呼ばれた人が、どんな気持ちでその力を受け入れたのか。
全部知って、自分の人生を、自分のものにするって……そう決めた。そしていつか、仮面をかけずに心から笑って生きられるように、頑張るの。
もしそれが叶ったら……その時は自分の事を、今よりは好きになれるかもしれないから。