✤ 第6話(前編):最初の朝
「おーい春風さーん! もう朝だよー?」
「ぇ……嘘だぁ、まだ真っ暗だし……」
「それは、布団を丸々被ってるからだよっ!」
優しく包み込んでいたフワフワの布団を思い切り剥ぎ取られ、視界は突然真っ白に染まる。その眩しさから目が潰れてしまったかの様に顔を手で抑えるけれど、その効果は無くて。ツンツンと白い光たちがまぶたを少しずつ刺してくるので、私は諦めてゆっくりと目を開いた。
「春風さんって、意外と朝とか弱いの?」
「ううん、いつもは強いんだけど……旅行とか慣れない環境に行くと、最初がめっちゃダメなんだよね~」
「あー分かるなぁ。確か、人間世界で暮らしてたんでしょ? だったら魔法世界で寝泊まりするのも、不思議な感じしそうだよね」
「そうそう、まさにその通りだよ!」
四葉さんは少し笑いながら、剥ぎ取った布団を私の体にふわっと戻してくれた。そしてワイシャツとスカートだけを身にまとっていた首元に、ネクタイをスルスルと通して行く。何だか、昨日部屋に入った時と同じような状況だ。
私は暫くその様子をぼーっと眺めていたけれど、もういい加減ベッドから起きないといけない。このまま入学2日目から遅刻したらかなりマズイし、それが親に知られたら……昨日頑張って回避したカミナリ様が落っこちて来る。絶対嫌だ!
未だに「まだ閉じていたいよ~」と泣き叫ぶまぶたを静かに擦りながら、あくびと一緒にぐーっと真上へ背伸びをした。
「ふぁ〜、ねむい」
昨日は入学式の後、白寮に戻って荷解きの時間。初日だから授業も無くて、みんなが学園での生活に慣れようと形を探してる時間だった。
そんな中で私は、寮に戻る途中やお風呂でも夕食でも、ずっと「聖女様~」ばかり聞いていた。親がくれた可愛い名前を覚えてくれる人は少なくて、体より心のほうがぐったりした気がするよ。お陰で私は慣れる形を探す暇も無かったな。
「準備するかぁ……」
でも、これからみんなと9年間を一緒に過ごすのは事実。せっかく出会ったんだから、交流を持っておく方が良い。そう思った私は、その人たちと多くの言葉を交わした。顔と名前も何となくは覚えられたし、とりあえずクラスメイトは完璧だ。
だと言うのに、1番会話をしたかった相手とは入学式以降一度も会うことは出来なかった。まぁまだ初日だし、その内絶対話せるとは思っている。
でも、どうしてこんなにあの子のことが気になるのかは分からない。恩人だからとかお礼がしたいからとか、そんな単純な気持ちじゃない。あぁ、自分の気持ちなのにどうして分からないんだろう。こう言うのってモヤモヤする。
「よし。OKかな」
腰まで伸びた黒い髪をゴムで頭の上に通すと、長いポニーテールに手をかけて毛先を左肩に流した。昨日、実家の自分の部屋でやったのと同じように。上の方に縛っても長くて黒い髪の毛と、紫色の瞳。鏡で自分の姿を見てると家族を勝手に思い出してしまう。
もしも今から普通の人間になれるのなら、家族の所へ帰りたい。そんな一生叶わないような事を想像して嫌になる。
自分の魔力をコントロールしたり、昔の聖君様や聖女様がどうやって魔力を受け入れたかを知る為に来たのに……無理やり自分に言い聞かせた目的より、結局家族への気持ちが勝ってしまうんだ。
「ねぇ春風さん、良かったら一緒に朝ごはん行かない?」
「えっ良いの?」
「うん! むしろ私が一緒に行きたいから!」
「やったぁ、嬉しいな〜」
まさか、四葉さんの方から誘ってくれるなんて思わなかった。でも、これはめちゃめちゃラッキーだ。
私に対する彼女の接し方は、他の人に比べるとすごく気楽。何より彼女は『聖女』というレッテルを貼った態度で接してこないから、私にとってそれが何より過ごしやすいと思える。
制服に着替え終えた私は、必要な物やスマホなどの荷物をカバンに詰め込む。四葉さんは私の準備が終わったのを確認すると「じゃあ行こうか!」と部屋の扉を開けてくれる。
私はその後起こる事なんて少しも予想をしないまま、その扉を通り抜けた。
*
白寮と黒寮の間には、寮同士の壁を作るみたいに大きな建物がある。中には学園の人達が使用する大食堂があって、みんな好きな所で食事が取れるみたい。大体は高校生が1番上・中学生は真ん中・小学生は1番下の階を使ってる人が多いとか。
大食堂に入ると、そこは既に人でごった返している。良い香りが漂う先にはごはんを作る職員さん……小学校で言う給食の調理員さんかな。この人数分を作るのは大変そうだけど、朝から手作りを食べられるのはすっごくありがたい。
私は四葉さんと一緒にカウンターへ向かい、今日の朝ごはんを取りに向かった。
「わっ、お隣にもなにかあるじゃ〜ん♪」
横を見ると、カウンターにはどこかのお店の商品が並んでいた。昨日は話しかけられすぎてまともに見れなかったけど、どうやら大食堂のカウンターでは、お金を払えば色々購入できるらしい。気になってつい眺めていると、端っこには沢山のパンがズラっと置かれているのが見える。
「って、あれ? このパンって……」
「春風さん、これ知ってるの?」
「昨日魔法駅に居た時、優しい店員さんがこのパンをくれたんだ。入学祝いだよ~って」
昨日は夢中になって頬張っていたあの〝風薫りのちぎりパン〟は、中がふわもちで外はカリカリ……その味や食感を思い出すだけで、なんだか幸せになって来る。
『実はね、ウチの孫も今年の新入生なんだ。アンタとどっかで会うかもしれないね』
その記憶に思いを馳せていた時、おばあさんが放っていた言葉が頭をよぎる。今の今まですっかり忘れていたけれど。
「そういえば、その店員さんは今年に孫が入学するって言ってたけど、てことはここら辺にいる誰かがあの人と……」
「それ、私の事だよ」
「……へ?」
私は思わず、大きく目を見開きながら彼女を見つめる。訳も分からず口をあんぐりと開けていると、彼女は耐えきれないと言わんばかりにクスクスと笑い始めた。そういえば、あのパン屋の名前は!
「ホントだ、お店の看板と同じ名前!」
「アハハっそうそう。あそこ、おじいちゃんとおばあちゃんが昔始めたお店なんだ。今後とも〝YOTSUBAPAN〟をご贔屓に〜」
そう、あのパン屋さんの名前は〝YOTSUBAPAN〟だ。言われてみれば同じ〝四葉〟だけど、漢字じゃなかったし全く気にしていなかった。まさかあの店員さんが、四葉さんのおばあちゃんだったなんて……言われてみれば雰囲気が似てる。
思い出したらこのままパンを買いたくなってきたけど、私のお小遣いは寮部屋にある金庫の中。今更戻る訳にも行かないし、このパンはまた今度にしよう。
「いただきまーす!」
食堂のメニューは健康的で、それでいてとても美味しい。食べることが大好きな私は、手と手を合わせて挨拶を済ませると直ぐにパクパクと口に食材を運んだ。お父さんのご飯が大好きだったけど、ここのご飯も大好きになれそうで安心だ。
「ん~っおいひぃ! はぁ生き返る、目が覚めた〜」
「学園のご飯て本当美味しいよね」
「うん、作ってくれてる人たちに感謝!」
昨日はこんな楽にご飯を食べられなかったから、それがまた美味しさを掻き立ててくれている気がする。四葉さんと一緒に居るおかげか、今日は誰も話しかけてくる様子も無いみたいだ。
私はパクパクと食材を運びながら、視線の先にある魔道具のモニターを眺めた。額縁みたいにオシャレなモニターが空中に浮いてるのは、1日経っても全然見慣れる気がしない。
『今や社会問題になっている〝呪魔法〟ですが、どう思われますか?』
『そうですねぇ……やはり生命力を奪われるというのが危険ですからね。呪いは命を落とす危険性がある事を、魔法を知る〝普通の人間〟にも今一度認知して頂いて――』
食堂の前の方にあるモニターには、見慣れないニュース番組。その中で話されているのは〝呪魔法〟というものだった。どっかで聞いた事ある言葉だけど、良く思い出せない。
「呪魔法、ってなんだったっけ」
その言葉をつい呟くと、隣から「知らないの?」と言う優しい声飛んできた。私が「教えて貰ったはずなんだけど、記憶から飛んでった……」とありのまま伝えると、彼女はニュース番組に視線を戻しながら教えてくれる。
「呪魔法って言うのは、闇魔法の〝生命力を魔力に変える〟能力を悪用した、違法の力だよ。自分の命を削れば魔力のない普通の人間も使えちゃうし、他人の生命力を奪える人が居るから危ないの。魔法って認められてないから、大抵の人は〝呪い〟って呼んでるんだけどね」
彼女の説明を聞いている内に、頭の片隅からその記憶がひょこっと出てきた。その記憶は段々と頭に広がって、内容が少しずつ頭に浮かんでくる。
「それ聞いてたら思い出してきたかも。呪使いって言われてるやつだっけ」
「そうそう。その人が悪い事をしてなくても保護しないといけないから、春風さんも見つけたら魔法省に即通報だよ」
「なるほど……通報した事ないから練習しとこ」
出来ればしたくないけど……!
そんな返事をしながら勢いよくレタスを口に頬張る。そのかじる音が耳元へ響いた瞬間、ふと食堂内がザワザワし始めている事に気が付いた。誰か転んじゃったのとかと思った私は、原因を探すように辺りをぐるりと見渡してみる。すると、少し震えた声で四葉さんが呟いた。
「あの5人だ」
視線の先には、昨日のクラス分けのときに一緒にいた5人組……その中に花柳さんの姿もあった。もちろん、クラス分けの時に話しかけてくれた輝と陽太も居る。近くにいるのは、クラブクラスの女の子2人。そう言えば昨日も適性検査の後にああして話してたっけ。
花柳さんを囲むように歩く4人は、カウンターの横に座っている私たちのすぐ近くまでやって来た。そのせいで、小さめの声で喋っているであろうその会話も聞こえてしまう。だからこれは盗み聞きではなくて、ただ聞こえてきてるだけだ。
一応盗み聞きをしてるつもりは無いけど……つい気になってしまった私は、その会話へ静かに耳を立てていた。




