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子年の僕ら

作者: 木谷未彩

「ねえ、私たち別れようか」


一人じゃ怖いよ。僕が怖がりなの知ってるでしょ?

ねえ、側にいて。いつもみたいに「子どもなんだから」って抱きしめて。


君も本当は怖がりでしょ?

ホラー映画を観て僕を抱きしめるとき、君の心臓の音が僕より早いの知ってたよ。

自分より怖がっている人を見ると安心するというのは、どうやら都市伝説ではないようで、君の心臓の音を聴くと落ち着くようになっていた。

そんな生活にも慣れてきて、このリズムが無くなったら僕は、不安で生きていけなくなるかもなと思った自分を嘲笑ったりしていた。

当時の自分を、笑いごとじゃねーよとぶん殴ってやりたい。

現に今、僕は不安で死にそうだ。

早く君の心臓の音が聴きたい。

早く僕を抱きしめて欲しい。


君と僕はどちらも子年(ねずみどし)だ。

わかりやすく言うと12歳差。

僕が22歳で君が34歳。

なかなかの歳の差だろう。

今の時代、歳の差なんて大した問題じゃない。

僕はそう思っていたけど、君はそうじゃなかったみたいだ。



「神宮寺って苗字いいよね」

ある日、君が言った。

「そう?」

「そうだよ。佐藤の私とは大違い」

「いいじゃん。佐藤も」

「よくないよ。病院で名前呼ばれるときとか大変なんだよ。この町には佐藤しかいないのかってくらい、佐藤だらけ」

「……まあ、たしかにそれは大変そう。でも神宮寺だって、名前だけで期待されて大変だよ」

「うーん。それはそれで大変だね。私なんて、貴様に神宮寺は相応しくない!!って斬りかかられるかも」

「……今は平和な令和ですよ」

「平和なんて物は、儚い物なのですよ。明日突然、戦争が起こるかもしれないのですよ」

「……起こらないでしょ。そんな物」

「わからないよ。平和を作るのは大変だけど、戦争を起こすのは簡単なんだから」

「……なんの話だったけ?」

「神宮寺っていいよねって話」

「話が飛躍しすぎでしょ」

「たしかに」

君と笑い合った。


(みお)さんも、神宮寺似合うと思うけどな」

「……独特な褒め言葉だね」

「たしかに始めて言ったよ……。いつかあげるよ」

「ん?なにを?」

わざとなのかこの人は。

そう思ったけれど表情を見るに、わざとじゃないんだろう。

なおさらタチが悪い。

「だからさ…………。いつか、神宮寺あげるよ」

やっと意味に気づいたようだ。

顔を真っ赤にしている。

「え、いや。そういうつもりで言ったんじゃないんだけどね!!でもその……ありがとう」

「……うん」

約束果たせなかった。



最初は正直、君のこと別に好きじゃなかった。

めちゃくちゃ最低なこと言うけど、欲しい物を買ってくれる都合の良いお姉さんだった。

その割には綺麗だな。なんて、失礼なことを思って。

君を好きと自覚したとき、なにか特別なことがあった訳ではないんだ。

ただ君との日常に愛しさを感じて、それが徐々に君への愛しさに変わって。

君と食事してたときにふと あ、好きだなって。

気づいたときはめちゃくちゃ恥ずかしくて。

君にも心配かけるくらい、ぎこちなくなって。

でもそんな生活にも慣れてきたんだ。

僕は僕なりのテンポを見つけて、君との日々を過ごしてきた。


それなのに「ねえ、私たち別れようか」

このたった一言で、僕の心は真っ黒に塗り潰された。

幼稚園児がする塗り絵のように、ぐちゃぐちゃでもはや原型を留めていない。


「………………なんで」

そう聞くのがやっとだった。

今思えば理由なんて聞かず、僕がどれだけ君のことを好きかを嫌になる程、語ってやればよかった。

どうせ別れることになるとしても、その方がいくらかすっきりする。

「……そろそろ結婚したいの」

なら、僕とすればいいじゃん。


大学生の僕が、口にしていい言葉じゃないだろう。

来年まで待って。これなら言っていいだろうか。

初任給で結婚するのか?無理だ。現実的じゃない。

じゃあ、もう一年後?

住民税で一年目より、手取りが減るのに?

じゃあ、もう一年後?

その年には君は37歳だ。待ってもらえるだろうか。

僕にそんな魅力はあるのだろうか。

少しも自信をもてなかった。

「……わかった。幸せにね」

本当は泣いて縋りたいのに、少しでも大人に見られたくて、物分かりの良いふりをした。


「……うん。ありがとう」

そう言った君の顔は、どこか悲しそうに見えた。

もしかして試されてるのか。

君は僕に好きだと言って欲しくて、別れ話なんかを。

そんな子どもじみた考えは、君が閉めた扉の音で掻き消された。


終わってしまった、なにもかも。

今から走って追いかければ、まだ間に合うのかもしれない。

でも僕にそんな勇気はなかった。

窓からぼんやりと君を眺める。


君の今日の行動全てが、悪魔にでも操られたせいだったらいいのに。

明日には悪魔も君から出て行って、君は正気に戻って僕に会いにくるんだ。

『昨日はごめんなさい』なんて言う君を優しく抱きしめて、君の全てを許すんだ。

……ださいな。厨二病かよ。


君は赤信号で止まらずに曲がった。

そうした方がずっと遠回りになるのに。


君が見えなくなった。



早く君のこと忘れないとな。

少しでも早く忘れないと、この先の人生が不安でどうにかなってしまう気がする。

もう君の心臓の音は聴けないんだから、そうなる前になんとかしないと。

どうすれば、君を忘れられるだろう。


君が『お揃いだよ』と買ってきた、マグカップが目に入った。

このマグカップを見るたび、僕は君を思い出すだろう。

心苦しいけど、君からもらった物は全て処分しよう。

物に罪はないけれど、物だっていつか僕に発狂されながら壊されるより、今ありがとうと感謝されながら、処分される方がいくらか幸せだろう。


君からもらった物に一つずつ「ありがとう」と告げながら、ゴミ袋に入れていく。それをくれた君にも感謝を込めて。

最後に袋に詰めたのは、玄関で脱ぎっぱなしにしていたスニーカーだった。

自分では到底手が届かない、ブランド物のスニーカーだ。


袋に封をし、部屋を見て気づいた。

まずい。これじゃ生活できない。

部屋の8割近くの物が無くなっていた。

これじゃ彼氏じゃない。ただのヒモじゃないか。

そら、振られる訳だ。

今からでも心を入れ替えたら、なんとかならないだろうか。

……いや、もう遅いだろ。


とりあえず、袋に入れた物を全て部屋に戻した。

最後にスニーカーを玄関まで持っていく。

スニーカーを置くとき、想像以上に汚れていることに気づいた。

最近就活で忙しくて、全然洗えてなかったからな。

ちなみに就活の結果はと言うと、一社も受かっていない。

よくそんな状況で、一瞬とはいえプロポーズしようと思ったものだ。


「…………洗うか」

スニーカーの汚れが取れたら、少しくらいは君への気持ちも軽くなるんじゃないか。

そう期待して洗ったが、少しも軽くはならなかった。

ピカピカになったスニーカーを少し、恨めしく思う。

まあ、こんなことで軽くなったら苦労しないよな。

スニーカーをベランダに干して部屋に戻り、口を閉じて息をした。涙が出そうになった。

ドライブでもするか。今、ここにいるのは苦しい。


部屋を出て、駐車場に着いた。車に乗り込み、エンジンをかける。

一人で乗るのは初めてだ。

いつも隣には君がいたから。


目的地もなく走った。

君の家に行ってやろうかとも思ったがやめた。

行ったところできっと、チャイムが押せない。


赤信号で止まった。

青になったが、走り出す気にならない。

後ろを見ると、車が来そうな気配はなかった。次の信号で渡るか。


車の中でぼーっとしてると、あっという間に再び青になる。

さすがに渡るか。

これ以上、ここに居たってなんの意味もない。

その後10分程走り、家に帰ることにした。 


少しは気が晴れるかと思ったが、君との思い出の場所ばかりが目につき、余計に気が重くなった。

君は僕に染みつきすぎている。

それなのに今さら離れるなんて、君は酷い人だ。


家に着いた。

もう寝よう。なにも考えずに。

でも人間、不思議なもので、考えないようにと思う程考えてしまう。

君の笑顔が頭から離れないせいで、寝るのにずいぶん苦労した。



やっぱり明日の朝起きたら、真っ先に君に会いにいこう。

今日できなかった、プロポーズをするんだ。

100本のバラを用意して、跪いて『結婚してください』って言うんだ。

君はきっと『ベタね』なんて笑いながらも、嬉しそうなんだ。

一年だけ待ってもらって、籍を入れよう。

最初のうちは、君のお金に頼ってしまうかもしれないけど、稼げるようになったら全額返そう。

いつかは君みたいに大人になって、お金持ちになって。君の欲しい物はなんでも買ってあげるんだ。

一度は離れ離れになってしまったけど、きっと大丈夫。

僕がちゃんと大人になれば、『歳の差なんてくだらないね』って笑い合える日もくるはずだ。


とてもくだらないことでたくさん笑い合える夫婦になろう。

大切なことはきちんと話し合える、夫婦になろう。

いつかおじいちゃんとおばあちゃんになったら、口を閉じて出た沈黙という名の言葉で、なんでも分かり合うんだ。

きっと僕たちならなれるはずだ。

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