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第一章 Ⅱ

 城門を出た途端、白昼の陽光が容赦なく突き刺さってきた。

 空を見上げたレオンは、あまりの眩しさにすっと目を細め、手を翳す。

 文句ない快晴であった。雲ひとつ見当たらず、透き通るような青が空全体を覆っている。九天で輝く太陽は、普段よりも一層強い光を放っているようだった。

 しかし、その晴れやかな青空を見て、レオンをふっと溜め息を漏らした。

 どうして、わかってくれないのだろうか。

 予想していたとはいえ、それ以上に国王の意志は固いようだった。このままでは『彼ら』の解放――その実現は困難どころか、不可能に近い。どうにかしなければ、とは思うものの、今のレオンには訴えることが精一杯の行動だった。そして、その訴えさえも通らなかったのだから、もはや手に負えない状態である。これ以上の抵抗も無意味だと思われた。

 跳ね橋を渡ると、眼前に街の広がりが見えてくる。跳ね橋の先には、街と城を結ぶ細長い階段が設けられているため、その手前、この位置からは街の様子が一望できるのだ。階段を下りれば、すぐさま商店街の端に出られる。 

 レオンの住むこの街は、世界有数の有力国家――ヴァスティリア王国の首都、ルブランドである。大陸の南東を占めるヴァスティリア王国、その領土全域は丘陵地帯となっており、ルブランドはその隅、沿岸部に亘って大きく展開されている。その特異な地形がゆえ、他国からの干渉は少なく、現在、国は独立して安定した平穏を維持していた。

 階段を降りたレオンは、その足取りのまま商店街の中を進んでいく。

 賑わう商店街。その雑踏の大半を占めているのは、日々商売に精を尽くす商人たちだった。店先でたむろする彼らは、互いの情報を交換し合ったり、他愛もない話で盛り上がったりしている。中には、荷馬車に乗った行商人や、狩った獲物を縄で括りつけ肩から下げる狩人、教会へと向かう修道女などの姿も目に入った。

 そんな日常の当たり前な光景――しかし、それはかの戦争が終わり、国が安定期を迎えた今でこそ見られるものだった。

 十年前に起こり、約三年間にも続いた大戦争。人々はそれを『魔術戦争』と呼ぶ。

 発端は、いかなる国家の領土ともなっていない大陸の最南部、遺跡群と呼ばれる地域で発見された、一冊の『魔術書』だった。そこに記された恐るべき内容が発覚すると、世界の国々は我先にとその一冊を求め、結果として約三年間、ひたすらに戦闘を繰り広げることになったのである。

 そして七年前、終戦のきっかけともなる、ある事件が起き――

「……なんだ?」

 ふと、レオンが立ち止まった。呟いた疑問の先は、商店街の奥にある広場に向いている。

 街の中心である広場は、全体が大きな円形を描いている。そこから商店街はもちろん、協会や居住区などに続く道が分岐して延びていた。いつもは賑やかさに溢れ、行き来する人々が淀みなく流れているはずなのだが――

 今ばかりは人々は足を止め、広場の中央に大きな人だかりができていた。普段の喧騒は微かなざわめきとなり、広場全体が奇妙な緊張感に包まれている。

「何かあったんですか?」

 レオンは、広場の手前で人だかりの様子を眺めていた男に声をかけた。

「ああ、俺もよくわからないんだが、――っ!」

 振り返った男はレオンを見て、一瞬、身体をびくりと震わせた。

 レオンの風体だった。彼は、全身をほぼ真っ黒に染め上げた格好をしている。黒いコートを身に纏い、下には黒いズボン、黒い靴を履いている。さらに、腰には黒拵えの鞘に収められた一本の刀剣が、これまた黒いベルトによって吊るされていた。そして、宗教上において黒はすなわち『死』を意味している。そのため、教会の者はもちろん、一般市民でも黒一色で揃えることは不吉とされ、あまり好まれていない。そんな見るからに怪しげな男が突然話しかけてきたのだから、驚き恐れるのも当然の反応であった。

 そのことを悟ったレオンは、思わず自嘲を込めた笑みを口元に刻む。

「いえ、何か事件でも起こったのかと思いまして」

 改めて丁重に聞いてみると、男はふっと安堵したように胸を撫で下ろした。

「いや、俺も詳しくは知らないんだが、何やら男二人が口論してるみたいなんだ」

「口論……ですか?」

「ああ。原因は知らないが、今にも――」

 そのとき、人だかりの奥から怒声が響き渡った。若い男の声だ。

 次いで、鞘から剣を抜く鋭い金属音が耳に届く。途端、辺りにどよめきが生まれた。

「……まずいな」

 レオンは呟くと同時に、走り出していた。体に染みついた正義感、いや彼にとってはすでに当たり前となった感情が、自然と体を動かす。黒靴が地面を蹴り叩き、疾駆の流れがコートをなびかせる。据えられた両目は、しかと前方を捉えていた。

「避けてください!」

「おい、誰か来たぞ! 道を開けろ!」

 レオンの声にいち早く気がついた市民の一人が、大声で周囲に呼びかけた。

「助けが来たのか?」

「誰だ? 騎士団の者か?」

「いや、あの格好は……」

 口々に声を漏らし、好奇の目を向けてくる市民たちを振り切って、レオンは開けられた人壁の道を一気に駆け抜けた。そこには――

「なんだと! もう一度言ってみろ!」

 二人の男が対峙していた。そのうちの一人が剣を握り締め、もう片方を牽制している。二十代後半くらいだろうか。剣を持った男は、ほつれの目立つ粗末な上着に履き古したズボンを身につけ、血走った目で相手方を睨みつけている。

「ああ、何度でも言ってやる――」

 対する男も、棘のある強い口調で言い返していた。こちらは真新しい絹の衣服を着ており、見るからに稼ぎのいい商人とわかる格好である。歳は見てくれで四十代半ば、その腰に剣はなく、向けられた刃には警戒しているが、強気な態度を崩す気配はなかった。

「お前は悪魔の子だ」

「てめええええええええええっ!」

 途端、若男の方が動物の咆哮にも似た叫び声を発した。柄を握る両手に、さらに力が込められる。剣先が震える。色をなす憤怒の形相。

 そのまま、彼は剣を大きく振り上げ――

「あなたたち、何をしているのですか!」

 すかさず、レオンが割って入った。

 間一髪、若男は剣を振りかぶった姿勢のまま、ぴくりと動きを止める。そのまま振り向いた彼の相好は怒りに染まり、充血した目は大きく見開かれていた。

「なんだてめえ!」

 狂うような怒号が、空気を震わす。

「剣を収めなさい。街中での抜剣は禁止されているはずです」

 レオンはつとめて冷静に対応する。しかし――

「なん、だと……てめえも俺を侮辱するのか!」

「違います。剣を収めなさいと言っているだけです」

「ふざけるな! 何がいけない! なぜ否定されなきゃいけねえんだ!」

 レオンの言葉に耳を傾けようともしない。完全に我を失っているようだった。

「なぜだ! なぜ親が『魔術師』ってだけで馬鹿にされる! 避けられる! 『魔術師』が、俺の父が何をしたっていうんだ!」

『魔術師』――その言葉に、レオンははっと息を呑んだ。次いで、耐え難い苦しみと悲しみが、怒りと共に胸に押し寄せてくる。なぜ――その疑問が、彼の心を再び締めつけた。

 ――彼も犠牲者だったのだ。

「黙れ!」

 突然、先程まで彼と口論をしていた中年男が大声を上げた。

「『魔術師』が何をしたって? あいつらが何人の命を奪ってきたと思ってんだ! 現に、俺はあいつらに妻を殺された! 殺されたんだ! 悪魔なんだよ! 迫害して当然だ! お前らに、俺の気持ちがわかってたまるか!」

 一気にまくし立て、彼は荒くなった息遣いを整える。鬱憤を吐き出したその顔は真っ赤に染まり、双眸からは涙が浮かび上がっていた。

「ふざけんな!」

 しかし、若男にその訴えは意味を成さない。『魔術師』を親に持つ者と、『魔術師』を恨む者。決してわかり合えることのない、相容れぬ関係。必然の対立なのだ。

「死ねええええええええええ!」

 彼はたけるような絶叫を上げながら、再び剣を高々と振りかざした。

 どよめく群衆――その中で、レオンは即座に反応していた。

 油断のない、神速の動き――

 若男が剣を振り上げた瞬間、レオンの足はすでに動いていた。次いで左手は鞘を、右手は左腰に吊った剣の柄を握り込む。両眼は振り下ろされる剣の軌道を正確に捉えていた。

 踏み出す低い体勢から、滑るように剣を抜き放つ。そのまま斜め上へ斬り上げる形で、振り下ろされる刀身の中腹目掛けて狂いない閃光の一撃が走った。耳をつんざくような金属音が響き、同時に火花が飛び散る。

 圧倒的な速さと鋭さ――若男の剣は弾かれていた。無論、振り上げるよりは振り下ろす方が力は入りやすいのだが、レオンの剣はその差をまるで感じさせない滑らかな軌跡を描き、若男の剣を宙に吹き飛ばした。

 回転しながら上空に舞い上がった剣の刀身が、陽光に反射してきらりと輝く――かと思うと、若男の背後と人壁の中間、その地面に突き刺さった。

 静まり返る群衆。皆何が起こったのかもわからず、ただただ黙り込んでいた。当の若男も、いつの間にか空になった両手を見て言葉を失い、目を丸くしている。

 奇妙な静寂が、周囲を支配していた。

 かちり――沈黙を断ち切ったのはレオンだった。静かに剣を鞘に収め、依然として両手を呆然と眺めていた若男に再度警告の言葉を投げかける。

「やめなさい。これ以上の暴挙は許しません」

 若男は「え? え?」とかすれた声を漏らしながら、数歩後ずさった。あまりの唐突な出来事に頭が追いつかず混乱しているようだ。だが、その目には理性が宿り、先程までの怒りはとうに消え失せている様子だった。

「わかりましたね?」

 釘を刺す一言に、若男はようやく事態を察したらしい。地面に突き立った剣と自分の両手を交互に見比べると、またも距離を取りながら怯えるように数度頷いた。

「わかればいいのです」

 レオンはふっと息を漏らした。とりあえずは一件落着である。

 そのときになって、思い出したかのように人だかりがざわめき始めた。

「何だ、今のは……見えなかったぞ」

「すげえ。やっぱ騎士団の者か?」

「いや、わかんねえ。何者なんだ」

 注目の的は、当然のようにレオンだった。最初こそ混乱や疑問の声が上がっていたが、やがて彼を褒め称える声に移り変わっていった。レオンは苦笑いをして、その称賛に応える。あまり目立ちたくはなかったが、この状況では仕方がなかった。

 そんな中、先刻若男と争っていた例の中年男が近づいてきた。

「いやあ、助かったよ。ありがとう」

 満面の笑みで礼を言う彼だったが、レオンにとっては決して気分のよいものではなかった。結果はどうあれ、レオンは彼を助けたつもりではなかったからだ。むしろ――

「あなたもあなたです。礼儀を弁えてほしい」

 横目でちらりと若男の様子を窺う。がっくりと肩を落とし、うな垂れるその表情はまるで死人のように生気がない。

「もう少し冷静に対応できたのではないですか?」

 むしろ、レオンは若男を助けたつもりだった。

 もちろん、中年男も『魔術師』に対しての恨みを持っている――その気持ちはわからなくもない。だが、だからと言って『魔術師』たち全員を、その存在を侮蔑し、ましてその子までも目の敵にする彼の考え方には納得できなかった。

「あれでは彼に失礼です」

 同族を親に持つ彼を助けてあげたい。あるいは、それに似た慈悲の念がその一言には含まれていたのかもしれない。『魔術師』排除の風潮に対する反発の感情が、強く滲み出ていたのかもしれない。

「いや、すまねえな。ついカッとなっちまってよ」

 しかし、彼には単に過言の意で捉えられたようだった。気に触れなかったのは結構だが、少しくらいは悟って欲しかったとも思う。

「以後からは気をつけてください」

 そう言って、レオンは踵を返した。これ以上の長居は無意味だろう。逆に目立ち過ぎれば、都合の悪いことになりそうな気がした。と言ってもすでに手遅れだろうが、とにかく早々に立ち去ることが最善に思われた。

 だが、そうはならなかった。歩き出すことなどできなかった。

 そこに『彼女』がいたのだ。

 すっと視界に入ってきた少女――目が合った途端、レオンの時は止まっていた。

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