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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征

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 神々の森は弱肉強食的な脅威に満ちているが、南部ではそれが顕著(けんちょ)にあらわれている。湿地に広がる葦原(あしはら)や深い沼地には、その環境に適応した肉食動物、昆虫、蜘蛛、軟体生物などが生息している。多くの生物は毒々しい体表や毛皮を持ち、周囲の生物を威嚇しているが、湿地の多様な環境に同化するようにして隠れ潜むモノたちも存在する。


 たとえば、腐った倒木や植物に擬態(ぎたい)する昆虫やカエルなどが一般的だが、沼そのものに擬態する恐ろしい生物もいる。それらの脅威のなかには、〈(いざな)うもの〉として知られていた化け物のように、人を襲う生物も少なからず存在する。混沌の領域から迷い込んできた化け物が、人に知られることなく生息域を広げてきた結果なのだろう。


 〈抵抗の丘〉に滞在しているとき、それらの生物と湿地の環境について傭兵たちから話を聞いていたが、実際に湿地のなかにいると、それらの噂話がまったく役に立たないという教訓が身にしみて感じられた。噂で語られるよりも多くの脅威が潜んでいるからだ。


 数十名を超える遠征隊は過酷な旅に備え、できうる限りの準備をしてから〈抵抗の丘〉を出発した。都市を警備する傭兵や旅人に見送られ、一行(いっこう)は冷たい糠雨(ぬかあめ)が降るなか、食料や物資を満載した荷車を引くヤァカの鳴き声や、車輪がガラガラと立てる音、それに傭兵たちの騒がしい声とともに木道(もくどう)を進んだ。


 しかし木道を離れ背の高い葦原に入っていくと、どこか陰鬱(いんうつ)な寒さと薄霧(うすぎり)が立ち込め、自然と遠征隊も静かになる。傭兵たちは葦原に潜む脅威に耳をそばだて、脅威との遭遇に備えた。


 その集団の先頭には湿地の地形に詳しい数名の傭兵が配置され、遠征隊を率いるルズィとウアセル・フォレリに的確な助言を与えていた。彼らは〝湿地を知り尽くしている〟というわけではないが、それでも危険な土地で狩人として生きていくだけの実力と能力を持ち合わせていて、その助言は大いに助けになった。


 照月(てるつき)來凪(らな)や龍の幼生を世話するクラウディアたちは、ウアセル・フォレリが用意した幌付(ほろつ)きの荷車で移動することになった。遠征に同行する傭兵たちに龍の子の存在が知られないための配慮でもあったが、彼女たちの姿を必要以上に傭兵たちの目に(さら)さないための配慮でもあった。


 時として肉欲は冷静な判断力を奪い、人の精神を狂わせることがある。そしてそれが生物の本能に(もと)づくものである以上、絶対に間違いは起こらないと楽観視することはできなかった。


 その女性たちの荷車を含め、物資と食料を満載した荷車の警備には照月家の武者とベレグ、それにウアセル・フォレリのお気に入りであるメアリーと数名の女戦士が選ばれた。


 彼女たちは〈抵抗の丘〉で雇った傭兵だったので、完全に信頼することはできなかったが、影のように神出鬼没なベレグが監視していたので、遠征隊の物資に手を出すような馬鹿な真似(まね)はしないだろう。結局のところ、それらの物資は遠征隊の生命線であり、誰にとっても重要なモノだった。


 荷車の後方、つまり集団の最後尾にはラファと戦狼(いくさおおかみ)のヴィルマ、それに豹人の姉妹が配置され、予期せぬ攻撃から遠征隊を守ることになった。なにかあれば遠吠えで先頭集団にいるアルヴァと素早く連絡が取れるようになっていたので、襲撃の備えは万全だった。その最後尾の集団には、湿地の調査を目的とする生物学者を自称する男も含まれていた。


 彼は〈(かげ)(ふち)〉に設立された教育機関の依頼を受け、湿地で昆虫や植物などの資料の採取を行うことを主目的としていた。彼は首長が支配していた都市からやってきた人間だったので、間者(かんじゃ)である可能性も考慮して相応の対応をしていたが、すぐにその不安は解消されることになった。それも最悪な形で。


 奇妙に()じ曲がった枯れ木の間の移動しているときだった。すり鉢状に(くぼ)んだ地面に手のひら大の無数の卵が産みつけられているのを見つけた男は、傭兵仲間の制止を振り切り、(くぼ)んだ地形にひとり足を踏み入れる。円環状(えんかんじょう)にビッシリと並べられていた昆虫の卵は、半透明の乳白色(にゅうはくしょく)で、そのなかで(うごめ)く気色悪い幼虫の姿も見ることができた。


 彼が興奮気味に卵に触れたときだった。落ち(くぼ)んだ泥濘(ぬかるみ)の底から蜥蜴人の背丈ほどある生物が姿を見せた。それは特徴的な鎌状(かまじょう)の大顎を持つ朽葉色(くちばいろ)の大きな昆虫で、(たる)を思わせる太い胴体を震わせ泥を飛び散らせながら地中からあらわれた。


 男は驚愕して動きを止めるが、彼の研究者としての情熱は本物だった。男は卵を手に取ると、それを(かか)えながら昆虫から逃れようとする。しかしその(わず)かな時間の差で昆虫は男に追いつき、彼の足首に()みついた。長く太い大顎に捕らわれると、瞬く間に足首が潰され切断される。


 急な斜面を()いつくばるようにして移動していた男は悲鳴を上げながら転げ落ちると、昆虫の卵をいくつか潰してしまう。それが原因なのかは分からないが、昆虫は攻撃性を増し、泥まみれになっていた男に容赦なく襲いかかる。


 ラライアと偵察に出ていたアリエルが異変に気づいて戻ってきたときには、すでに昆虫は男に(おお)(かぶ)さっていて、彼の上半身と下半身は大顎に挟まれるようにして切断されていた。そのときにはすでに死んでいると思われたが、男の身体(からだ)痙攣(けいれん)していて、ビクリと動くたびに大量の血液が血管を通って噴き出すのが見えた。


 湿地に生息する生物や昆虫の生態について教えてもらえると期待していたアリエルは、男の行動に失望してしまう。けれど、この件に関して誰かを責めることはできなかった。湿地の危険性や、身勝手な行動をすることがどのような結果をもたらすのかは事前に何度も説明していたし、充分な警告もしていた。彼は己の欲望のために、それらの忠告を無視したのだ。


 たしかに研究者を自称する男は、疑わしい経歴を持っていた。でもまさかこんな形で死ぬことになるとは想像すらしていなかった。そして彼が遠征隊で最初の犠牲者になった。


 次に犠牲になったのは、〈赤ら顔のバヤル〉と一緒に行動していた傭兵のひとりだった。緑に苔生(こけむ)した毛皮を持つ大型の肉食獣は、沼に潜みながら戦狼に感づかれることなく遠征隊に接近すると、一気に攻撃を仕掛けてきた。


 集団から離れた位置で襲撃を警戒していた傭兵は噛みつかれると、為す術もなく底の見えない沼に引き()り込まれることになった。傭兵たちは仲間を助けるため迅速に行動したが、彼らが到着した頃には獣の姿はなく、襲撃の痕跡すら見つけられなかった。


 仲間を失ったバヤルは憤慨(ふんがい)し、周辺一帯の警備を担当していた〈黒の戦士イザイア〉の責任を追及する。彼の言い分ではイザイアが意図的に仲間をひとりにして、獣に襲わせる隙を与えたのだという。しかしそれを証明することはできなかった。


 イザイアは無口な男だったが、ルズィから与えられた仕事を忠実にこなす男だったからだ。これまでにも不自然な動きはなく、そもそも獣に仲間を襲わせる理由は存在しない。しかしバヤルは納得しなかった。彼は遠征隊が頻繁に獣の襲撃に()っていることも指摘した。沼地でもこれほどの襲撃に遭うことは(まれ)なのだという。


 その原因のひとつには、おそらく照月(てるつき)來凪(らな)が関係しているのだろう。彼女が〈天龍〉との交信を試みるたびに、周囲に混沌の気配が立ち込めることになった。そしてそれは湿地に潜む邪悪で危険な獣を引き寄せることになった。


 能力発動に膨大な呪素(じゅそ)が必要になり、それが問題になっていることは分かっていたが、これほど濃厚な気配が立ち込める理由は判明していなかった。


 だが困難な旅になることは最初から分かっていたことだ。彼らは気を引き締めると、危険に満ちた湿地を進んだ。

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