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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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30


 旅人や商人が行き交う騒がしい大通りを歩いていると、散策に同行してくれていたラファが駆け寄ってくる。

「見つけましたよ、隊長!」少年は興奮した声で言った。「噂の錬金術師の小屋ですよ。きっと目的の毒も見つかります!」

「よく見つけられたな」と、アリエルは行き交う人で賑わう通りを見回しながら言う。


「勘がいいんです」ラファは笑顔をみせて、それから不安そうに周囲に目をやる。「僕は役に立てましたか?」

 どうしてそんなことをいちいち気にするのかは分からなかったが、アリエルは笑顔で答えた。


「ああ、ラファはいつでも頼りになるよ」

「良かったです」少年は満足そうに「ふんふん」と鼻息をもらす。


 ふたりは狭い路地に入ると、商人を護衛する強面(こわもて)の豹人や、店の用心棒として雇われている大柄の昆虫種族に睨まれながら通りを進む。


 路地には高床式の建物が連なり、それらの建物と建物の間には、雨よけのためだと思われる襤褸(ぼろ)が張られている。その所為(せい)なのか、路地には薄暗くてジメッとした空間がつくりだされていた。アリエルは汚臭を嫌い毛皮で口元を隠すと、足元に敷かれていた腐った板を踏み抜かないように注意しながら歩いた。


 水はけの悪い地面には、洗濯排水や汚物を含んだ黄濁(こうだく)した汚水が溜まり、鼻が痛くなるような刺激臭を放っている。が、そんな状況にも(かか)わらず、路地で遊んでいた小さな蜥蜴人や人間の子どもは裸足で歩いている。


 街を囲むようにして張られた天幕で生活する人々の最悪な状況を見ていたので、街で暮らす人々はマシな生活をしていると思っていたが、想像していたよりもずっと状況は悪いようだ。


 目的の小屋は、一見すれば浮浪者が()みつく廃墟にも見えたが、小屋の周囲には呪素(じゅそ)による混沌の気配が立ち込めていて、なにかしらの(まじな)いが使われていることが分かった。


「ここで間違いないみたいだな」

 神経質になるほど追手や刺客に警戒する必要はなかったが、アリエルはいつもの癖で路地の左右に視線を向けてから小屋に近づく。


 薬草だろうか、乾燥させた植物の(たば)玄関庇(げんかんひさし)軒天(のきてん)から吊り下げられているのが見えた。それらの多くは見たことのない植物で、暗い赤茶色の雑草に見えるモノもあれば、くすんだ青紫色の草も確認できた。人の指に酷似した根を持つ植物は、地面に置かれた器に赤黒い汁をポタポタと(したた)らせていた。


 あれが毒なのだろうか? 青年は疑問を抱きながら小屋に入っていく。その瞬間、ざわざわと首の裏の鳥肌が立つのが分かった。が、その不吉な気配は一瞬のことで、すぐに嫌な感覚は消えてなくなる。


「どうしたんですか?」

 ラファの質問に青年は首をかしげる。

「なんでもない、ただの気のせいだと思う」


 天井の隙間から(かす)かな光が差し込む小屋のなかは、しんと静まり返っていた。ここでも乾燥させた薬草の束が天井から吊り下げられていた。そのなかには、明らかに(けもの)頭蓋骨(とうがいこつ)や牙だと思われるモノも含まれていて、極彩色(ごくさいしき)の植物と一緒に吊り下げられているのが見られた。しかし肝心の錬金術師の姿はなく、時にすら忘れられたような様相(ようそう)(てい)していた。


 その狭い小屋には、ところ(せま)しと雑多な物が置かれていた――その多くは何の役にも立たないガラクタに見えた。ふたりは(つまづ)かないように注意しながら小屋の奥に行くと、まるで古い物語に出てくる悪い魔女が使う大きな(かま)が見えた。ぐつぐつと煮られているモノが(なん)であれ、鼻を突く酸っぱい臭いにアリエルは思わず顔をしかめる。


「あれが例の毒なのでしょうか?」

 ラファが(ささや)くように言う。

「……どうなんだろう」

 アリエルは窯で煮られているモノの正体を確かめようとして、照明になる発光体を浮かべた。錬金術師だと思われる亜人が姿を見せたのは、ちょうどそのときだった。


 突然、暗闇のなかに浮かび上がった豹人は、年老いた猫のように、目を細め、ゆっくりとした動作で歩いてくる。背中が曲がっている所為(せい)だろうか、その豹人は子どものような背丈の老人に見えたが、その身に(まと)呪素(じゅそ)は濃く、近くにいるだけで混沌の気配にあてられて一種の酩酊状態になるほど頭がくらくらした。


『ふむ』(つや)のない灰色の体毛を持つ()いた豹人は、黒い樹木(じゅもく)の枝を杖代わりにして歩いてくる。『始める前に、まず潜在意識の……それも恐怖を失くすことを学ばなければいけないと考えている』


「……えっと、すみません。なにを始めようとしているのですか?」

 ラファの質問を意図的に無視しているのか、それとも耳が遠くて聞こえなかっただけなのかは分からなかったが、老猫(ろうびょう)じみた豹人は話を続けた。

『わしは呪術を使うが、もっとも大切にしているのは瞑想(めいそう)の時間をつくることだ』

「瞑想……ですか?」

 老いた豹人は片目だけ開いてラファを(にら)む。口を挟まれたのが気に入らなかったのかもしれない。


『なぜ瞑想が大切なのか、それは〝己の意識の流れを理解すること〟と、〝体内で循環(じゅんかん)する呪素の流れを理解すること〟が、とても似ているからなのだ。呪素を練り上げるとき、たとえば炎を生み出すために、人々は意識を一点に集中させて己の(のぞ)みを実現させる。それは単純な行為に思えて、実はとても難しいことなのだ。仲間が怪物に生きたまま喰われている姿を見て、果たして意識を一点に集中させることができるだろうか? いいや、白金山脈に降り積もる雪のような冷たい心を持つ者であれば、あるいはそれができるかもしれない。しかし〝他者に共感する〟という複雑な感情を獲得した我々には、とても難しいことなのだ』


『だからこそ――』と、老いた豹人は杖で地面を突きながら言う。『瞑想を行い、己の意識の流れを理解することが大切になる。そしてそれは、戦闘のさいに心を乱され、注意散漫(ちゅういさんまん)になることを避ける訓練にもなるのだ。わしが言っていることは理解できるな?』


「精神の訓練ですね」と、ラファは昔のことを思い出しながら小声で言った。「呪術を習っていたときに、呪術の師範に教わりました。僕に呪術の才能がないことが判明する前のことですけど」

 少年は叱咤(しった)され棒で打たれ、両親の望むような呪術師になれるように勉強し訓練したが、すべて無駄に終わった。


 老いた豹人は片目だけ開いて少年が静かになったことを確認すると、話を続けることにした。

『呪術は果てのない学問でもある。すべての謎を解くには、我々の時間は短すぎる。だが、必ずしも(ひと)りで探求する必要はない。これまでに多くの人々が(たくわ)えてきた膨大な知識が残っているからだ。それらの知識と〝秘密〟を学ぶことは、きっと我々の助けになるはずだ』


「秘密か……たしかに呪術には神々の大いなる秘密が含まれている。そしてそれは複雑な暗号のように隠され、呪術のなかに散りばめられている」

 アリエルの言葉が気に入ったのか、老いた豹人は目を細めながら何度もうなずいた。


『そうだ。我々は呪術師と呼ばれるが、探求者の側面も持ち合わせている。東部で知られている研究機関の〝赤頭巾(あかずきん)〟や、西部の謎多き集団が在籍する〝朧月家(おぼろづきけ)〟の呪術師結社だけが探求者ではないのだ。理解できたかね、我々も呪術を探求する先駆者なのだよ』


「先駆者……」と、アリエルは眉を寄せる。「待ってくれ、あんたは錬金術師じゃないのか?」

『なにを言っておるんだ。わしは錬金術師などではないぞ』豹人は目を細めながら言う。『もしかして知識を求めてやってきたのではないのか?』


「違う」青年はハッキリと答えた。「すまない。どうやら間違った場所に来たみたいだ」

『いいや』彼は頭を横に振る。『何も間違っていない。それを今から証明しよう。さぁ、言ってみろ、お前たちは何を(もと)めて彷徨(さまよ)い歩いていたのだ?』


「……毒です」と、ラファが躊躇(ためら)いがちに言う。

『やはりな』豹人は鼻を鳴らす。『毒ならここにあるぞ。それも古の妖精族と邪神が結託して、星々が浮かぶ暗黒から呼び寄せた〝深淵(しんえん)〟の毒が!』

「星……ですか?」

『そうじゃ。確かここにあったような……』


 老いた豹人はガサゴソと棚を(あさ)り、水薬が入った無数の(びん)を押し退けて、護符で封印された小さな瓶を手に取る。

『こいつを使えば神々の使徒すら容易(たやす)(ほふ)れるだろう!』

 豹人から瓶を受け取ったアリエルは感謝を言葉にしたあと、得意げな豹人に(たず)ねた。

「これは植物の毒ですか?」


『なにを言っておるのだ。蜘蛛の毒に決まっているだろ』

 老いた豹人は『ふん』と鼻を鳴らすと、代金としてアリエルの血を求めた。

『数滴だけでいいからな、怖がることはないぞ』

「そもそもどうして金貨じゃなくて、俺の血なんか欲しがるんですか?」

『失われようとしている貴重な種族に興味があるのだ!』


 豹人はアリエルの手を(つか)むと、どこからか取り出した針を指に突き刺す。

『痛いのは一瞬だ』

 言葉のまま、数滴の血が瓶のなかに(こぼ)れると、豹人は満足そうにゴロゴロと喉を鳴らした。『もう()いぞ。目的は達成できた』


 追い出されるようにして小屋の外に出たアリエルとラファが振り返ると、そこに小屋はなく、火災によって倒壊したと思われる廃墟しかなかった。

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