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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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29〈誘うもの〉


 空はどんよりと(くも)っていて、湿地に立ち並ぶ奇妙に()じ曲がった樹木(じゅもく)のように暗く、糠雨(ぬかあめ)が絶え間なく降り続いていた。人の姿に戻ったラライアは、しっとりと濡れた顔で暗い湿地を見つめる。と、オオカミの遠吠えが聞こえる。彼女は湿地から視線を外すと、篝火(かがりび)によって薄闇の中に浮かび上がる都市を眺めた。


 高い壁の向こうでは、あちこちから白い煙が立ち昇り、人々の生活があることを示唆(しさ)していた。一見すれば、人が生きていくには向かない過酷な土地だ。けれど、世界の行き止まりのような場所でも、南部の人々は順応し(たくま)しく生きていた。


「寒くないか、ラライア?」

 脇の下に両手を入れて白い息を吐き出していると、アリエルがやってきて毛皮のマントで彼女の身体(からだ)(くる)む。ラライアは笑顔を見せて感謝したあと、毛皮に残る青年のニオイを嗅ごうとしたが、湿地の汚臭で鼻がダメになっていて、それどころではなかった。


 顔をしかめたラライアに苦笑してみせたあと、アリエルは歩きづらそうにしていた照月(てるつき)來凪(らな)(そば)に向かう。彼が動くたびに革鎧がキュッキュッと(かす)かな摩擦音を立てた。

「手を貸すよ」


 青年が手を差し出すと、彼女は躊躇(ためら)いがちに手を握る。実際のところ、青年は手袋をしていたので体温や手の感触は伝わってこなかったが、それでも彼女は緊張する。今まで同年代の異性と交流する機会がなかったからなのかもしれない。


「それで――」と、アリエルは紅く明滅する眸を湿地に向ける。「能力の発動には成功したのか?」

「ええ。まるで天龍の視点で森を俯瞰(ふかん)するように、私たちが進むべき道が見えた」

「龍の視点か……それなら、目的地の状況も分かったのか?」


「いいえ」彼女は頭を横に振る。「そこまでハッキリと見ることはできなかった。でもそれは、あの子(龍の幼生)が一緒にいないからだと思うの。だから心配する必要はない」


 ふたりの話し声に耳を澄ませていたラライアは、喉を()っ切られた人の(うめ)き声にも似た不快な音を耳にして足を止める。近くに何かが潜んでいる。彼女は(もく)(どう)の端まで歩いていくと、黒々とした汚泥を見つめた。


「ねぇ、エル。何かが私たちを追ってきたみたい」

「例の魚人か?」

 周囲に助けになるような傭兵がいないことを確認したあと、青年はラライアのとなりに立って日が沈み暗くなっていく湿地を眺めた。


「ううん」彼女は眉を寄せて小さな声で(うな)りながら、地中に潜んでいるモノの正体を(さぐ)ろうとする。「ダメ、こっちの動きに気がついたみたい」

「でも、まだ近くにいるんだろ?」

「うん、すぐそこにいると思う」


 彼女が見つめる先を確認するが、汚泥で(うごめ)く無数のミミズしか見えなかった。その太った赤茶色のミミズは、アリエルが呪術を使い空中に浮かべていた青白い発光体を近づけると、すぐに地中に隠れてしまう。呪素(じゅそ)に反応したのか、それとも灯りを嫌っただけなのかは分からないが、地中に潜んでいたモノが姿をあらわす。


 それは死人のように青ざめた肌を持つ細い腕だった。その白い腕が――無数の指が汚泥の中からゆっくりとあらわれ、発光体を捕まえるように宙を掻いてみせた。と、泥の中から青ざめた顔があらわれる。それは男性の顔にも女性の顔にも見えたが、実際には頭髪も眉毛もなく、作り物めいた仮面のように不気味な顔だった。


 それは(まぶた)を開くと、白目のない真っ黒なギョロリとした眼で周囲の様子を(うかが)う。どうやら視力はそれほど良くないようだ。呪術によって生み出された光に目をしばたたかせると、こちらに視線を向ける。が、やはり見えていないのか、アリエルと視線を合わせたにも(かか)わらず、それは大きな反応を見せなかった。


『ラライア、あれは敵なのか?』

 アリエルは身動きせず、怪物の姿をじっと見つめながら念話を使用する。

『あれが何かは分からないけど、邪悪で悪意に満ちた気配を漂わせている』

『なら混沌から這い出た化け物だな』

『うん。ここで殺しちゃう?』


 アリエルは後方に待機していた照月(てるつき)來凪(らな)にちらりと視線を向けて、彼女の安全を確認したあと、ゆっくりとした動作で(さや)から太刀を引き抜く。その(かす)かな音に反応したのか、今度は左腕が地中からあらわれた。二本の白い腕が汚泥の中から空に向かって伸びている光景は異様で、悪霊に取り()かれた死体が墓所から()い出てくるような不気味さがあった。


 その化け物は不自然な動きで――まるで糸で操られる木偶(でく)のような動きで地面に手をつけると、力を込めて泥の中から()い出ようとする。


 すぐに対処したほうが良さそうだ。そう思ってアリエルが動いたときだった。どこからともなく矢が飛んできて、化け物の青白い頭部に突き刺さる。その瞬間、化け物は川で(おぼ)れる子どものように腕をバタつかせて暴れる。


 すぐに背後に視線を向けると、街の方角からやってくる集団の姿が見えた。戦闘に備えて体内の呪素(じゅそ)を練り上げるが、その必要はなかった。彼らは〈抵抗の丘〉を警備する傭兵たちだった。


『大丈夫なのか!?』と、青碧色(せいへきいろ)(うろこ)を持つ蜥蜴人が仲間を連れ慌てた様子でやってくる。木道に等間隔に設置されていた篝火(かがりび)に照らされる彼の(うろこ)は、雨に濡れて(なめ)らかな(つや)を帯びていた。『……商人が〈(いざな)うもの〉に襲われていると思っていたが、お前は確か、あのデカいオオカミを連れていた吸血鬼だな』


「吸血鬼じゃないけど、たしかにオオカミと一緒にいた守人だよ」

 アリエルの訂正(ていせい)を無視して蜥蜴人の傭兵は言う。

『あの立派なオオカミはどうしたんだ?』

「今も一緒にいるけど?」

 蜥蜴人はグルルと喉を鳴らすと、無数の牙が並ぶ大きな口を開いた。

『そいつは何かの謎かけなのか?』


「いや」アリエルは頭を横に振り、気になっていたことを(たず)ねる。「ところで、あの化け物が魚人なのか?」

『魚人だと!』彼は大袈裟(おおげさ)に驚いて見せると、木道の(はし)に立つ。『うん? 魚人なぞ何処(どこ)にもいないぞ。……もしかして、そいつも守人の謎かけなのか?』


 アリエルは否定するように頭を振ったあと、弓を手にしていた大柄の豹人に声を掛けた。

「さっきは助かったよ。ありがとう」

『どうして、感謝する?』と、彼は口を(わず)かに開いて小さく(うな)る。

「助けてもらったからさ」

『それが仕事。感謝、必要ない。お前、おかしい』


「あぁ……そうかもしれないな」アリエルは話が()み合わない亜人たちに戸惑いながら、なんとか穏やかに会話を続けようとする。「それにしても、さっきの一撃は強烈だったな。この薄闇の中、急所に命中させるなんて、誰にでもできることじゃない」

『急所?』と、豹人は太い尾を左右に振りながら言う。

『それ、間違い。毒、使った』


「毒?」

 アリエルが顔をしかめると、茶色い体毛を持つ豹人は残忍な表情を見せた。

『植物の毒。錬金術師の小屋だ、すぐ行け。猛毒、手に入る』


「街には錬金術師もいるのか……」アリエルは化け物の頭部に突き刺さった矢を見たあと、豹人に質問した。「この化け物の急所は頭部じゃないのか?」


『違う』答えたのは蜥蜴人だった。『〈(いざな)うもの〉の本体は泥の中に隠れている。あれは獲物(えもの)(おび)き寄せる〝擬似餌(ぎじえ)〟のような役割がある器官だ』

「うん?」

 アリエルのとなりに立っていたラライアが首をかしげると、蜥蜴人は仲間に声を掛ける。


 すると肩に縄をかけた痩せ細った蜥蜴人がやってきて、化け物に向かって縄を投げる。普段を木道の下に(あやま)って落下した人を助けるために使っているのだろう。その縄で化け物が引っ張り上げられる様子を眺めていると、想像していたものよりも(はる)かに気色悪い生物が姿をあらわした。


 人に似た頭部と腕を持っていたが、ソレは人間の大人ほどの体長を持つミミズのような生物の尾についている器官で、生物の〝本当の頭部〟は、地中に埋まっていた気色悪い腫瘍(しゅよう)のような物体だった。


「眼が悪いんじゃなくて、そもそもあれは人に似せて作られた器官だったのか……」

 アリエルの言葉に反応した蜥蜴人が口を開く。


『北部や東部の森と違い、ここで狩りをするのは人じゃない。連中は我々を効率よく狩れるように進化してきた。〈(いざな)うもの〉は、人間の子どもに似せた器官を使って、沼で溺れているフリをする。遠目から見たら本物の子どもと見分けがつかないからな。その子どもを助けようとするために人が駆け寄ってきたところを襲う。小賢しい(やつ)だと思わないか?』


「湿地の底に(いざな)うから、〈誘うもの〉なのか……」

 アリエルは湿地に潜む脅威に、そしてこれから遭遇するかもしれない異形の化け物のことを想像して、思わず溜息をついた。

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