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「調子はどうだい、兄弟」
ウアセル・フォレリの言葉にアリエルは思わず笑みを浮かべる。
「元気だよ。昨夜は襲撃を気にすることなく眠れたし」
「それは良かった」と、かれはニコニコと微笑む。
ウアセル・フォレリは浅黒い褐色の肌に透き通るような青い瞳を持ち、すらりと背が高く筋肉質だが、気品の感じられる姿勢や所作のおかげなのか、彼からは森の野蛮な戦士のニオイがしない。キツネの毛皮を身につけていて、上等な絹の衣類には金糸で複雑な模様の刺繍が施され、誰の目からも裕福な人間に見えた。
そのウアセル・フォレリは、護衛の〈黒の戦士〉に何事かを一言二言の短い言葉で伝えたあと、アリエルに視線を戻す。
「遠征に必要な人材を集めておいたよ。湿地を調査してきた学者、南部の生物や環境に詳しい狩人、建設業者として開拓に協力してきた者、とにかく旅の助けになる若者を集めた」
「そいつらは使いモノになると思うか?」
「使い方を誤らなければ、彼らはきっと役に立ってくれる」
アリエルは足元に視線を落とすと、泥まみれの地面に足場として敷かれた木材を踏み外さないように注意して歩く。木材は真新しいモノもあれば、腐っていて考えなしに歩くと踏み抜く可能性があるモノもあった。幸い、目的の酒場は宿の近くにあったので、それほど苦労することはないだろう。
「この場に集まってくれた連中は、集会のことを口外しないと神々に誓っている」と、ウアセル・フォレリは言う。「少なくとも、口ではそう言っている」
「神?」と、アリエルは顔をしかめる。「どの神だ」
「森の神々だよ」
「そうか……助かったよ。ありがとう、ウアセル・フォレリ」
「どういたしまして」
「おい、こいつは何の集まりなんだ」
酒場に入った瞬間、不機嫌な男が言う。
「どうして俺たちが集められたのか、そろそろ説明してくれてもいいんじゃないのか」
アリエルはルズィに声をかけるが、彼は肩をすくめて適当なテーブルに座り器に酒を注ぐ。青年は溜息をついて、それから集まった者たちの顔を見ながら言う。男性もいれば女性もいる。種族もバラバラだ。蜥蜴人も昆虫種族もいる。
「ここに集まってもらったのは、お前たちが仕事にあぶれた傭兵で、この街で何もすることがない連中だからだ」
青年の言葉に彼らは苦笑する。
「優れた技能の持ち主なのに、酒場にやってきては、その日に稼いだ金を酒や娼婦を買うためだけに使っている。そうだろ?」
何人かは同意してうなずくが、悪態をつきながら反論するものもいる。
「黙って兄弟の話を聞け」
ルズィに睨まれると、途端に彼らは黙り込む。
アリエルは静かになるのを待ってから、また口を開いた。
「森から出る方法を見つけた」
「方法だと!?」
「ああ、まだ詳細については話せないが、その方法をつかって俺たちは、いまだかつて誰も成し得なかったことを実現させる」
「誰も……。おい、一体のなんのことを話しているんだ」
「森から出るのさ」
誰ともなく失笑する声が聞こえた。けれど青年はそれを無視した。
「森の外には大きな都市があって、誰も見たことのないような財宝や未知なる神々がいる。そして俺たちが想像もできない世界が広がっているんだ。そこに行くのが目的だ」
アリエルの言葉のあと、彼らは一斉に笑い出した。
「森から出るなんて不可能だ」
まともに反論したのは黒い人々の戦士だと思われる大男だった。
「原生林は何処までも広がり世界を覆い尽くしているんだ。それなのに、どうやって森を出るなんて発想が浮かぶんだ」
かれの言葉に傭兵たちは次々と賛同し、アリエルの話を戯言だと言って笑う。
「方法を見つけたんだ。そう言っただろ?」
彼らは黙り込み、酒を煽って気まずい沈黙をやり過ごそうとする。
「それで――」と、一重瞼に細い目をした赤ら顔の男が言う。「俺たちに何をしてもらいたいんだ」
「南部の湿地帯を旅することになる。危険な亜人にも遭遇するだろうし、過酷な環境に打ちのめされるかもしれない。だから協力し合える仲間がほしい」
「その計画の秘密を守れる仲間を?」
「ああ、そうだ」と、ルズィが答える。「さすがに兄弟として迎えるわけにはいかないが、仲間になる奴は俺たちと対等な立場として扱うことを約束する。森の外で手に入る財宝も皆で山分けだ」
「本当に〝財宝〟とやらがあるのなら、そいつは魅力的な話だな」
確かにそうだ、と彼らは口々に言う。
アリエルは傭兵たちの間を歩いて、〈黒の戦士〉だと思われる大男の前で立ち止まる。どこかで見た顔だ。……たしか首長の戦に参加したときのことだ。彼は戦士長が集まる天幕のなかにいた。
「あんたの名前は?」
「イザイア」
「イザイア、俺を信じてくれ。この世界には、たしかに森以外の場所が存在するんだ」
「神々が他にもいると?」彼は鼻を鳴らす。「ありえないな」
「ありえない」と、アリエルはイザイアの言葉を繰り返す。「混沌の領域からやってくる怪物も、存在しない〝ありえない〟と言われていた。だが実際に俺たち守人はその怪物の相手をしているし、混沌の領域につながる〈転移門〉の影響を受けて、異界に侵食されている土地が存在することも知っている。だが森の部族は信じようとしない。どうしてだ? うん? 教えてくれ、イザイア。それはどうしてなんだ?」
「誰もその怪物を見たことがないからだ」
「ああ、そうだ。誰も見たことがない、だから信じられないんだ。俺たちは誰も目にしたことのない世界を探しに行こうとしているんだ。信じてもらうのは難しいと思う。けど、もしもそれが本当だったとしたら?」
「俺たちにそれを信じろと?」
「そこから始めなければいけない」
男たちが相談しているのを眺めていると、赤ら顔の男が質問する。
「でも勝手なことをしていいのか。首長さまは森から出ることを禁じている。というより、森から出ようとする自殺志願者のようなことはするなと言っているんだ。その暗黙の掟はどうなるんだ」
アリエルはしばらく男の細い目を見つめていたが、やがて口を開いた。
「首長はこの計画のことを知らない。森から出る方法があることも知らない。少なくとも、俺が知る限りにおいてだが……いずれにしろ、首長が計画について知る必要はない」
「首長に知られたら、どうなる?」と、赤ら顔の男が言う。「俺たちが財宝を独り占めしにようとしていたことが知られたら、処刑されるかもしれないんだぞ」
処刑という言葉に反応して、傭兵たちが色めき立つ。やはりこの話は馬鹿げているのだと、存在するのかも分からない財宝のために命を懸ける価値があるのかと。
「たしかに」と、アリエルは肩をすくめる。「けど森を出て新たな世界で戦い、森に財宝を持ち帰ることができたら? 俺たち森の同胞は、もう互いに殺し合い、略奪する必要がなくなる。貧しい部族もなくなるかもしれない。それを見て、森の神々は俺たちを称賛するかもしれない、祝福すら与えてくれるかもしれない。なにより、俺たちは森の戦士だ。森の外で生活する〝異人〟に俺たちの強さを見せつけることができるかもしれない」
傭兵たちはまた相談を始めるが、今度は真剣だ。誰もアリエルを馬鹿にしないし、笑ったりもしない。
「俺たちと一緒にいく度胸がある奴は誰だ?」
アリエルの質問のあと、長い沈黙が続いたが、とうとう答える者があらわれた。
「俺はお前と行くぞ」
赤ら顔の男が手をあげる。
「あんた、名前は?」
「バヤルだ」
アリエルはうなずいて、それから言った。
「気骨がある傭兵はバヤルだけなのか?」
「私も一緒に行く!」
黒に染められた鎖帷子を身につけた女性が立ち上がると、それに触発された傭兵たちが次々と名乗りを上げる。
アリエルは満足そうにうなずいたあと、顔を引き締めて、となりに立っていた大男に視線を合わせる。
「イザイアはどうするんだ?」と、彼の目を見つめる。「俺たちと一緒に来るか?」
彼は足元に視線を落とし、それからアリエルを見つめた。
「ああ、行くよ。森の神々に戦いの報告ができるかもしれない」
「決まりだ」
「数日中に出発する」と、ウアセル・フォレリが言う。「物資と装備はこちらで用意するが、必要なモノがあるなら各々で準備してくれ。それから言うまでもないが、それまで計画のことは他言無用で頼む」
「わかってるさ」と、傭兵たちが笑う。
「それなら、ここで神々に誓ってくれ」
ウアセル・フォレリが扉を叩いて合図すると、ノノとリリが酒場に入ってくる。毛皮のフードで顔の半分を隠していたが、誰もが豹人だと気づいた。
「ここは商人の街だ。彼らが商談で使用する〈契約の護符〉のことは知っていると思うが、知らないという奴のために説明する。この護符は森に満ちる呪素を介して神々の意思につながっている。もしも誓いを違えるようなことがあれば、神々の怒りに触れ、永遠に呪われることになる」
「呪われるだとぉ?」と、前歯の欠けた間抜け面の男がいう。「呪われるとどうなる?」
「森で採れる果実やキノコに毒が含まれるようになる。あるいは肉食獣に喰い殺されるかもしれない。底無し沼に引き摺り込まれる可能性もあるな。とにかく、ありとあらゆる不幸を想像してくれ。それが誓いを違えた者に森が与える呪いになる」
「そいつは冗談じゃないんだよな?」
「ああ、それはこれまでの歴史が証明してくれている」と、ウアセル・フォレリは神妙な顔つきで言う。「だから怖気づいた者がいるなら言ってくれ。俺たちを裏切るつもりでいる奴も神々との誓いは止めておけ」
「誓わなかった奴はどうなる?」
「潜在意識を操作して記憶を消させてもらう」
「そんなこと不可能だ」
「いや、可能だ。俺たちが操作して消すのは森を出る計画についてだけだ。ここで集会が行われたことは忘れない。俺たちの顔も。でも、森を出る計画については思い出せない。そんな話し合いが行われたことすら思い出せなくなるからな」
男が黙り込むとウアセル・フォレリは皆の顔を見回して、それから言った。
「ここに契約の護符がある。覚悟が決まったら言ってくれ」