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早朝に出発すると、都市に向かう旅人や行商人とともに森を移動した。都市が近づくにつれ、通行人が増えていき、街道を警備する傭兵たちの姿も多くみられるようになる。
街道沿いでは、集落の跡地や石造りの古い監視塔が見られたが、放棄された建物の多くは傾き、地中に半ば埋もれていた。泥と植物に支配された土地で、建物を維持させることの難しさが浮き彫りにされていた。
道中、街道を警備する傭兵の姿が見られない場所で、野盗と思われる集団の待ち伏せに遭った。かれらは商人の隊商を標的にしていて、一行が近づいてくると、潜んでいた草陰から一気に姿をあらわした。両者は睨み合い、不穏な空気が流れる。
しかし結局、野盗が襲ってくることはなかった。彼らは武器を手に立ち尽くしたまま、隊商の荷車を引くヤァカが通り過ぎていくのを眺め、攻撃してくることなく道を譲ってくれた。
隊商の荷車に積まれている大量の物資は魅力的だったが、すぐ近くにいる戦狼や土鬼、それに黒装束の守人を相手するには、あまりにも荷が重いと感じたのだろう。
〝つねに警戒し攻撃に備えるんだ〟と、ヤシマ総帥は言っていた。〝己の耳で聞き、己の目で見ろ〟と。南部で信頼できるのは兄弟たちと、己の感覚だけなのだと。
この陰鬱な土地で活動する野盗も、同様の教訓を持って生きているのだろう。かれらは命知らずだったが、勝算のない戦いをするほど愚かではなかった。湿地では小さな傷が命取りになる。病気を媒介する羽虫や瘴気を散布する菌類や植物、ここでは注意深くなければ生きていけないのだ。
野盗との戦闘になるかと身構えていた隊商の人々は、アリエルたちが同行してくれていることに感謝して、少しばかりの食糧を無償で譲ってくれた。商人たちは、はじめこそ警戒していたが、野盗との一件のあとは慣れた様子で親しげに話しかけてくるようになった。
被衣の間から見えるクラウディアたちの容姿を褒めたたえたかと思うと、立派な甲冑を身に付けた土鬼の堂々とした姿に感嘆していた。
それは見え透いた媚びだったが、自尊心など気にする余裕はなく、生き延びるために他者を利用するという抜け目のなさに感じられた。そのことは理解できたし、共感できる部分もあった。だから気分が悪くなるようなことはなかった。
商人たちがこちらの領分に踏み込もうとしなかったことも好感が持てた。かれらは女性たちと必要以上に関わろうとしなかったし、守人が土鬼と行動している理由も詮索しようとしなかった。
ともあれ、一行は協力し合いながら暗い森を進んだ。荷車を引く六頭のヤァカは戦狼の存在に警戒し恐怖していたが、木造車輪が泥のなかに埋まり動けなくなったときに助けてもらってからは、怯えることなく歩き続けてくれた。
いくつかの浅い川を渡ると、かつて存在した都市を囲むレンガ造りの古い壁が見えてくる。もっとも、それは壁だったモノの残骸で、放棄されてから数十年は経っているような状態だった。
その壁の多くは倒壊していたが、街道沿いには健在のモノも確認できた。苔生してツル植物が絡みついていて泥濘に沈み込んでいたが、崩れていないことが奇跡的だった。
南部を支配する亜人との戦に備えて、商人たちが城郭都市の建設を試みていた頃の名残なのだろう。その都市の建設に携わった商人たちが残した建築物以外にも、巨大生物の骨や、三階建ての建物ほどの高さがある菌類、それに〝白冠を抱くもの〟として知られていた種族の遺跡も目にすることができた。
現在よりも建築技術が優れていたのか、それらの遺跡では、当時のままの姿を保った彫像や方尖塔を見ることができた。しかし残念なことに、遺跡を見物する時間がないため、過去の偉大な人々の生活の痕跡を垣間見ることはできなかった。遺跡に続く道は、得体の知れない食虫植物や葦に覆われていて、人が立ち入ることを拒むような暗くジメッとした雰囲気を漂わせていた。
それらの遺跡を横目に見ながら進むと、オオトカゲの〈ラガルゲ〉に騎乗する傭兵の姿を見る機会が増えていく。傭兵の小部隊には種族を問わず、蜥蜴人や豹人もいるようだったが、最も数が多かったのは昆虫種族だった。
かれらの種族名は分からなかったが、二足歩行する大型のトビバッタのような姿をした種族で、大柄な体格に赤褐色の体色、それに大きな複眼と頑丈そうな大顎を持っていて近寄り難い印象を与えていた。
しかし彼らは南部でよく見られる真面目で寡黙な亜人で、傭兵たちにも頼りにされているのか、大顎を打ち鳴らしながら談笑している姿が見られた。かれらは念話が使えるので、森の人々とも問題なく交流できるようだ。人間に似た価値観や精神構造を持っていることも、その要因のひとつになっているのだろう。
街道には昆虫種族のために花の蜜や食用可能な幼虫を売買している商人もいて、辺境の砦で人間に囲まれて育ったアリエルには、何もかもが新鮮で興味深く、まるで異界を旅しているような気分を味合わせてくれていた。森の同胞が種族の垣根を超え、互に手を取り合って生きている。それこそ彼の求めていた世界だったのかもしれない。
やがて暗い森を抜け、開拓団によって大規模な伐採が行われた場所に出る。かれらは森では滅多に見られない遠くまで景色が見渡せる場所に立ったが、そこに感動するような景色はなく、沼と危険な生物が潜む葦原、それに腐った倒木に自生した毒々しい菌類があちこちで見られるだけだった。
その湿地の先に、大小さまざまな巨石からなる小高い丘が見えた。そこが〈抵抗の丘〉と呼ばれる都市なのだろうと、アリエルは都市を囲む高い防壁を眺める。都市の壁は土塁と木材が並べられた一般的なものだったが、広大な都市を包囲する湿地が天然の要害になっていて――亜人が攻撃してくる利点があるのかどうかは別にして、攻めにくい都市になっているのは確かだった。
〈抵抗の丘〉に続く街道は、道幅の広い板張りの木道になっていて、安全に移動できるようになっていた。というのも、木道の左右には、背の高い昆虫種族すら覆い隠すほどの高さがある葦原になっていて、そこには危険な昆虫が多く潜んでいるという。一歩でも踏み込んでしまえば、途端に道を見失い、肉食昆虫の餌にされてしまう。
気のいい商人たちから話を聞いたアリエルは、心配になって空を見上げて鳥が飛んでいないかすぐに確認する。けれど心配する必要はなかった。そこでは多くの鳥が飛ぶ姿が見られた。湿地の生物は多様で、呪術を使って上空から偵察するさいに困るようなことはないだろう。
都市には行商人や旅人が安全に移動できるように、木道を管理する組合もあるようだ。主に昆虫種族や蜥蜴人が肉体労働者として組合に所属し、人々の生活を助けている。人間と異なり、湿地に適応した種族が多く暮らしているからこそ、木道が維持できているのかもしれない。
実際に作業する亜人の姿を見ることができたが、平和そのもので、東部の人々が噂する恐ろしい南部の姿は見られない。だが間違いなく危険な土地なのだろう。
木道から見える沼には、罪人と共に無数の鉄の檻が――鳥籠にも見える金属製の檻が沈められていて、都市に向かう人々に警告を促している。この街で〝バカな真似はするな〟と。
なにはともあれ、一行はついに目的の都市にたどり着くことができた。彼らはこの街でウアセル・フォレリと合流したあと、南部の危険地帯を通って森から脱出するための道を探すことになる。