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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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 アリエルは龍の子と(たわむ)れていたリリのとなりに座ると、毛皮の座り心地を確かめてから、言葉もなく照月來凪(てるつきらな)の横顔をじっと見つめる。説明することは難しかったが、彼女の顔を見つめていると、何かを――ずっと昔に忘れてしまった気持ちを思い出させるような、そんな奇妙な感覚を覚える。


 それは彼の意識の底に沈んでしまった感情を静かに揺さぶっているようだった。しかし青年にはその感情が何を意味するのか分からなかったし、言葉として表現することもできそうになかった。ただ、それは郷愁にも似た不思議な感情を運んできた。


「体力があり余っているみたいなの」と、彼女は頬を赤らめながら言う。「ほら、日中は(かご)のなかで大人しくしていないとダメでしょ? その反動なんだと思うの」


 アリエルは彼女の眸から視線を離さずにうなずいた。照月來凪(てるつきらな)の気品のある洗練された表情や琥珀色の瞳、それに綺麗に切り揃えられた黒髪から何かを読み取ろうとした。けれど、彼の心を震わせる感情を(つか)み取ろうとするたびに、それは(きり)のようにぼんやりとしたモノに変わり、彼の心から遠ざかっていくように感じられた。


 まるで川の流れのようだ。ひとつの感情が通り過ぎるように流れていき、別の感情が流れ込んでくる。青年は慌ててソレを掴み取ろうとする。待ってくれ、まだ知りたいことがあるんだ、と。でもそこに見知った感情はもう存在しない。すぐに別の感情が流れ込んできて、彼の心を揺さぶって通り過ぎていく。


 その間、彼は深い森の中で迷子になった子どものように、力なく立ち尽くすことしかできない。けれどそれでも、アリエルは確信にも似た気持ちを(いだ)いていた。どこかで彼女に会っているのだと、それが過去なのか未来なのかは分からない。あるいは、まったく異なる世界なのかもしれない。


 いずれにせよ、自分の魂は、彼女の魂と深く結びついている。そしてそれは死の概念(がいねん)すらも超越(ちょうえつ)する宿命のようなものなのかもしれない。


 それにしても、と冷静になったアリエルが〝俺は一体何を考えているんだ?〟と自嘲気味に笑うと、照月來凪(てるつきらな)は不思議そうな表情で青年を見つめる。彼女が首をかしげると、おかっぱに切り揃えられた前髪から整った眉が見えた。


「ところで――」アリエルが口を開いたときだった。龍の子がトコトコとやって来て、彼の膝に両脚を乗せながら腰袋に鼻を近づける。

『なにか気になるモノでも見つけたのかな?』と、リリが龍の体毛を撫でながら言う。

「これが気になっているのかもしれない」

 青年が取り出したのは光沢のある半透明の不思議な鉱石で、それは彼の手のなかで淡い光を発していた。


『あのお肉の化け物の体内から出てきたモノだね』

「そうだ」リリの言葉にうなずいたあと、青年はその鉱石を龍の鼻に近づける。しばらくニオイを嗅いでいたが、やがて飽きたのか、アリエルの(そば)を離れて毛皮のなかに潜り込む。


 そこにお気に入りのおもちゃを隠していたのか、綿が詰まった小さな布人形を口に咥えながら出てくる。どうやら人形で遊んでもらいたいようだ。リリの(そば)に人形を落とすと、すぐに別の人形を取りに行く。人形は龍の子のために照月來凪(てるつきらな)が用意したモノなのだろうか? それとも彼女の私物なのだろうか?


 無邪気に遊ぶ龍の姿を眺めていると、照月來凪(てるつきらな)に鉱石について質問される。アリエルは化け物との邂逅(かいこう)を振り返りながら、あの日、あの場所で何が起きたのかを説明することにした。実際のところ、彼にも理解できないことはあったが、できるだけ詳細に〝あちら側の世界〟で見たモノや、体験したことについて話した。


 親に血肉を与えられて生まれてくる子供のように、異形の化け物は怨念と怒りを与えられ、その身に取り込みながら生まれてきた。その結果、守人くずれの野盗を殲滅(せんめつ)させるに(いた)った。しかし復讐が行われ、負の感情が取り払われたことで、目的そのものを失くしてしまったように感じられた。


 そこでアリエルは異形の生物に生きる意味を与えようと考えた。とはいえ、しがない守人にできることは限られているように思えた。


「それでも、あの怪物はアリエルと一緒に行くことを選んだ?」

 もしも、あの生物が混沌から()い出る化け物のように、命あるモノを憎み、殺すことだけが目的だったのなら、アリエルに救いを求めなかったのかもしれない。青年は照月來凪(てるつきらな)の言葉にうなずいたあと、手のなかで(かす)かに震えていた鉱石を握りしめた。


『エルは、あの化け物と契約を交わしたんだと思う』と、龍の子を抱き上げたリリが言う。『でもね、魂を結びつけるような契約には、それなりの代償が必要になる。エルは生きる意味を与える約束をして、あの子に()いていた負の怨念を晴らす手伝いをした。それはとても危険な行為だけだと、試みは成功した』


「契約?」

 アリエルが間抜け面で質問すると、リリはゴロゴロと喉を鳴らす。


『そう、契約だよ』頭のなかで聞こえる彼女の声は、石のように揺るぎなかった。『あの子は親に託された願いを――えっと、この場合、あの子の親は砦で殺されてしまった女の人たちだけど、彼女たちの望みを果たしたことで、存在そのものが〝お化け〟のように朧気(おぼろげ)になってしまった。もしも生き続けることを願うのなら、別の目的を見つけなければいけなかった。たとえば混沌からやってくる化け物のように、生き物を憎み、それを殺すことを目的にすることだってできた』


「でも、そうしなかった……なにか理由があるのか?」

 アリエルの問いに彼女は悩むように低く(うな)ると、眸の色合いを変化させながら答える。

『エルと意識を交わしたからだと思う』


「意識……もしかして、野盗の居場所を教えたときに?」

『そうだと思う。そこで初めて人の純粋な意識に触れて、憎しみや怒り以外の世界があるってことを知ったんだと思う』


「だからアリエルに救いを求めた……」

 照月來凪(てるつきらな)はそう言うと、猫の顎を撫でるように、膝に乗ってきた龍の顎を撫でる。

『うん。でもね、殺すことと()うことしか知らない生き物だったから、どうすればいいのか分からなかった。だから(みずか)らの存在を代償にして、エルと契約を行った』


「存在を代償に……? それって、つまりどういうことなの?」

 リリは手を伸ばすと、そっと龍の顎を撫でた。

(いにしえ)御呪(おまじな)いに似たようなモノがあるんだ。契約を交わした相手と命を共有する代わりに、求められれば、すべての能力を差し出すことすら(いと)わなくなる。それはとっても重い代償だと思うけど、契約しなければ存在が消えていたかもしれない。だから仕方がなかった』


「アリエルが手に入れたのは、能力の一部じゃなくて存在そのものだった……」

 照月來凪(てるつきらな)の言葉に反応して、青年が鉱石を目の高さまで持ち上げると、それは脈打つように赤く発光する。「まるで心臓ね」


「心臓か……。生きるために己のすべてを(ささ)げて、その代償にすべての力を使い果たして肉体すら残らなかった。なんだか矛盾しているみたいだけど、それが砦に囚われていた女性たちの願いだったのかもしれないな……」


『そうだね』

 リリは龍の(よだれ)でべとべとになった人形を拾い上げると、ソレを使って気を引こうとしたが、すでに龍の興味は棚の上に置かれた角灯(ランタン)に変わっていた。

「それにしても、リリは物知りなんだな」


『わたしたち姉妹は優秀だから』リリはノノのことも得意げに言う。『でも今はダメでも、呪素を取り込んでいるみたいだから、そのうち力になってくれるかもしれないね』

「いつか、そうなればいいな」アリエルは不思議な鉱石を見つめながら返事をした。

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