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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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 化け物の背後に石造りの堅牢(けんろう)な建物が見えた。暗くて詳細は確認できなかったが、陰鬱(いんうつ)な色合いに変色した石壁は苔生(こけむ)していて、枯れた植物が絡みついている。それは森のあちこちで見られるありふれた遺跡のようにも見えたが、それらの建築物よりも原形を保っているようだった。


 建物正面に錆びた鉄格子が並び、何者かを捕えておく空間があることから、それが石牢として機能する場所なのだと認識することができた。つまりそれは〝魂の檻〟だ。人の魂を捕らえる棺よりもずっと大きく、混沌の生物すら捕らえ収容することのできる牢獄だ。


 ハッとして振り返ると、開け放たれた両開きの扉が見えた。理由は分からないが、先程まで空間を(おお)い尽くしていた闇が薄まり、光が戻ってきていた。それは針の先ほどの(かす)かな光源だったが、おかげで扉の向こうに存在する螺旋階段の存在を認識することができた。どうやら、まだ神々の血の力によって認識することのできる〝あちら側の世界〟にいるようだ。


 アリエルは〈照明〉として機能する呪術を使い、暗闇を照らそうとするが、やはりこの異空間では呪素(じゅそ)の操作ができないのか、そもそも呪術を発動することができなかった。彼は照明を諦めると、化け物の動きに注意を向けながら、これからどうするべきなのかを考える。


 本来なら空間を彷徨(さまよ)っている魂を捕らえ(ひつぎ)に収容した時点で、もとの世界に意識を戻すことができたが、何かが邪魔をしていてそれができない。そしてそれは、おそらく目の前にいる化け物が関係しているのだろう。青年は覚悟を決めると、そろりと化け物に近づいた。


 すると化け物は奇妙な動きをみせた。それまでウネウネと不規則に動いていた肉の器官がピタリと動きを止め、その先端についた眼をアリエルに向ける。無数の眼に見つめられると思わず足を止めそうになるが、怖気(おじけ)づくわけにはいかなかった。


 巨大な肉塊を見上げるようにして化け物と対峙する。近くで見るソレは、ヌメリのある体液に濡れていて、ブヨブヨした体表が脈動(みゃくどう)するように(かす)かに震えているのが見えた。


 アリエルは息をついて気持ちを落ち着かせると、死者たちの魂を引き寄せ(ひつぎ)に捕らえるときの力の流れを意識しながら再現していく。まるで呼吸するように力を操作できるわけではないが、確かな手応えを感じていた。


 青年と化け物の間には〝無〟を思わせる深い沈黙が(ただよ)い、ほかの如何(いか)なる現象の干渉も排除しているようだった。やがてその沈黙は目に見えない煙のように周囲に立ち込め、まるで意識を持ち、何かを語りたがっているようにアリエルの頭のなかに忍び込んでくる。純粋な感情を伝えるためだけに存在する沈黙だ。


 暗く果てのない暗闇に(ほうむ)られようとしていた沈黙の中に、どこか(かな)しげな空気が漂っているように感じられたが、その(かな)しみに込められた真意を(つか)み取ることはできなかった。沈黙とともに正確な言葉が失われてしまった所為(せい)で、それを上手(うま)く表現することができなかったのかもしれない。


 異形の化け物に感情があるのかは分からない。

「でも」と、アリエルは化け物を見つめる。

 その感情を理解しなければいけないし、そうする以外に選択肢がない。


 アリエルが化け物に向かって手を伸ばすと、ブヨブヨした肉が縦にパックリと割れて、女性の似姿(にすがた)があらわれる。粘液に濡れた女性に手足はないが、彼女の肉体は遺跡などで見られる妖精族の彫像のように美しく、完全な美を備えているようだった。


 その美しい女性がゆっくりと近づいてくると、青年の手は彼女の肌にそっと触れる。金属のように冷たく、生身の女性のようにやわらかな感触。アリエルは(まぶた)を閉じると、その似姿のなかに意識を潜り込ませ、化け物の感情を読み取ろうとする。その試みは上手(うま)くいっているように思えた。


 女性の似姿に視線を向けると、手で触れていた箇所が淡い光と熱を発するのが確認できた。その弱々しい光を頼りに、さらに深い場所まで意識を送り込んでいく。


 けれどそれは頭で考えるよりもずっと大変な作業で、迷路のように入り組んだ混乱のなか、存在すら不確かな感情を探すことでもあった。それでも我慢強く続けると、いくつかの感情の断片を拾い上げることができた。


 それは心のざわめきのようなモノであり、とりとめもなく流れていく感情の残滓(ざんし)でもあった。しかしそれらの断片を(つな)ぎ合わせても、明確な感情として理解することはできなかった。怒りや憎しみ、そして打ちのめされてしまうような悲しみが混在していて、それをひとつの意味ある感情として認識することができなかった。


 地下牢(ダンジョン)に囚われていた女性たちの感情に引き()られているのかもしれない。化け物が野盗を殺し尽くしたのは、耐え難い憎しみを(かか)えていたからだと分かった。その死骸を体内に取り込んでいたのは、石牢の底で腹を空かせていたからだった。すべてを拒絶するように肉と脂肪で身体(からだ)(おお)うのは、もう苦しみや痛みを感じたくないからだった。


 その化け物がどのように誕生したのかは分からないが、女性たちの思念や感情といったものに影響されていることは理解できた。


 アリエルは膨大な感情の波に、頭がひどく痛むのを感じていた。でもどんなに痛くとも、感情の断片を理解することから始める必要があった。やがて悲しみや怒りといった感情は過ぎ去り、ただ生きたいと願う気持ちだけが残った。苦痛や悲しみを感じることなく、自由に生きたいと願う純粋な感情だ。


 青年は化け物の背後に見える石牢に視線を向ける。血に宿る能力を使えば、あるいは化け物を捕えることができるかもしれない。だけど、もしもこの生物が救いを求めて(みずか)らこの領域にやってきているのだとしたら、別の方法で協力し合えるかもしれない。


 深呼吸すると、さらに深い場所まで意識を沈み込ませていく。女性たちが抱えていた苦しみや痛みを、より明確に感じ取ることができるようになると、頭痛はひどくなり、熱を持った身体(からだ)の節々が痛むようになる。けれどここで止めるわけにはいかない。


 叫び出したくなるほどの痛みや苦痛が、地の底から忍び寄る悪鬼のように次々と襲いかかってくる。青年は化け物の体内で(うごめ)く感情に手を伸ばし、焼けつくような痛みに耐えながら苦痛を引き剥がしていく。


 行き場を失くした負の感情は(ひつぎ)のなかに放り込んでいく。すでに死者たちの魂が収容されていたが、問題ないだろう。棺が並ぶ螺旋階段からは、この世のものとは思えない叫び声や悲鳴が聞こえてくるが、それを無視して作業を続ける。


 異形の化け物には発声器官がなかった。砦で殺されていた多くの女性が舌を抜かれ、喉を潰されていたことが、あるいは関係しているのかもしれない。ともあれ、地下牢(ダンジョン)に響く女性たちの叫び声を楽しんでいた男たちが、苦しみ叫ぶことになった。


 厳密に言えば、それは死んでいった男たちの魂ではないのかもしれない。しかしその存在が、彼らの死に起因していることは間違いないのだろう。であるならば、彼らの苦しみを気にする必要なんてない。


 作業が続けられている間、化け物を覆う腐肉は剥がれ落ち、(うみ)が噴き出し、足元には血溜まりが広がっていく。そしてついに、アリエルはすべての負の感情を取り除くことができた。その表現が適切なのかは分からないが、化け物を苦しみから解放し浄化することに成功した。あとに残されたのは、淡い燐光を放つ鉱石のような小さな発光体だった。


 その発光体に手を伸ばしたときだった。青年の意識は現実の世界に浮上する。

「大丈夫か?」

 アリエルはルズィに支えてもらいながら立ち上がると、化け物の姿を探した。

「あの化け物なら、もう仕留めた」と、戦友は言う。「森の脅威になることはない」


「いや、まだ終わっていないさ」

 青年はおぼつかない足取りで化け物の死骸に近づく。呪術の炎によって一部が真っ黒に炭化していた死骸は、軽く触れるだけで崩れて灰に変わる。しかしアリエルは汚れることを気にせず、その死骸のなかに手を入れると、真っ赤に輝く鉱石を拾い上げる。


 手のひらに収まる小さな鉱石は、まるで脈打つ心臓のように、青年の手のなかで(かす)かに震えていた。

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