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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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15


 背筋が凍るような恐ろしい静寂のなか、化け物の背後に立ち込める暗闇を見つめていると、真っ白な腕が伸びてきて、ズタズタに破壊された人の身体(からだ)の一部を地面にグシャリと落とす。おそらくそれは砦に残っていた野盗の肉体なのだろう。


 アリエルは足元に広がる血溜まりを見つめたあと、異形に視線を戻した。無数の瞳と乳房を持つ化け物は、充血した真っ赤な眼をキョロキョロと忙しなく動かしながら、彼の顔を見つめ返す。


 ひとつひとつが拳大の眼球を見つめていると、言い知れぬ恐怖と立ちくらみにも似た奇妙な感覚に足元がふらつく。アリエルはその感覚を知っていた。混沌の化け物を相手にしているときにも似た感覚を覚える。


 異形の化け物は腹を空かせていたが、ふたりが標的になっていないことは(なん)となく理解できた。しかしその理由がハッキリと分からない。砦で惨殺(ざんさつ)された女性たちの怨念が引き寄せた怪異(かいい)であると仮定するなら、自分たちが攻撃されていない理由が説明できるかもしれない。


 最期(さいご)のそのときまで、彼女たちが憎しみの感情を向けていたであろう対象は、この砦を根城にしていた守人くずれの野盗だった。そしてそうであるなら、その感情に呼応して出現した怪異の敵意も自然と野盗に向けられるのではないのか。突拍子もない考えに思えるかもしれないが、そもそも化け物の考えなど誰にも分からないのだ。


 アリエルは地面に転がる男の頭部を見つめる。彼の下顎(したあご)は引き千切られていて、長い舌だけが近くに転がっている。目があるべき場所には暗い穴があるだけで、鼻と耳も同様に失われていた。


 赤黒い血液がベッタリと付着した頭髪の一部は頭皮とともに(めく)れていて、割れた頭蓋骨が()き出しになっていた。表情は硬く、恐怖を(いだ)きながら死んでいったことが想像できた。


 青年は化け物に視線を戻しながら考える。その異形が標的にしているのが野盗なら、上手(うま)いこと誘導して闘わせることができるかもしれない。しかし化け物に人の言葉が解せるとは思えない。美しい女性の姿をした存在も確認できたが、吐き気を(もよお)(おぞ)ましい肉塊を見たあとでは、その似姿も運動器官のように化け物の身体(からだ)の一部でしかないのだろうと予想できた。


 青年は周囲を見回して何か使えるモノがないか確認するが、それらしきモノはなにもない。そこでふと思い立って、野盗を偵察させていたカラスと意識をつなげる。木々が鬱蒼(うっそう)と生い茂る深い森では、戦狼(いくさおおかみ)の襲撃から完全に立ち直った集団の様子が確認できた。野盗の(かしら)だと思われる〈バシリー〉が、大袈裟な身振りで武装集団に指示を出している姿が見えた。


 アルヴァの報告では、オオカミを追跡するための目印になるような呪術の使用は確認できなかったらしいが、森を移動する野盗の標的は戦狼で間違いないのだろう。バシリーは斥候(せっこう)を使い、ラライアたちの足跡を慎重に探りながら野営地に接近していた。


 野盗の様子を確認したあと、アリエルは体内の呪素(じゅそ)を練り上げながら、カラスと意識を繋げるさいに使用する呪術の経路を生成していく。すると女性の似姿を持つ異形が暗闇の中から、音もなくすっと近づいてくる。


 青年が一歩前に踏み出すのを見て、ルズィが慌てながら念話を行う。

『よう、兄弟。なにをするつもりなんだ?』

『バシリーたちの居場所を教える』


『まさか、本当にそいつと交渉するつもりなのか』

『いや、情報を提供するだけだよ。化け物を(けしか)けるつもりもないし、なにかを頼んだりもしない。ただ、事態の成り行きを見守るだけだ』

上手(うま)くいくと思うか?』


 アリエルは肩をすくめると、女性の腹部に向かって恐る恐る手を伸ばし、その傷ひとつない肌に()れる。手のひらに金属のような冷たさと、生身の女性に()れているかのようなやわらかさを感じる。その奇妙な感触に顔をしかめながら、アリエルは呪素で生成した不可視の(ひも)を異形に繋げた。


 女性の姿をした化け物は、(まぶた)を閉じたまま、おもむろに頭部を動かすとアリエルを見つめるように顔を近づけてピタリと動きを止める。目は開いていなかったが、それでもじっと見つめられているような奇妙な感覚がした。青年は化け物から漂ってくる腐臭に我慢しながら、カラスの視界を異形と共有できないか試みる。


 意識の構造そのものが人のそれとは完全に異なる可能性があるので、簡単なことではないのかもしれない。しかし複数の眼を持つことからも、視覚のような感覚器官を頼りに外部の情報を得ていることが分かる。であるなら、映像として送り込んだ情報を認識してくれるかもしれない。それは単純な思いつきだったが、異形の化け物と意思疎通ができるのなら、その方法しかないと感じていた。


 と、女性の似姿がぐっと首を動かして、野盗たちがいる方角に頭部を向ける。その顔には残忍な笑みが浮かんでいた。どうやらアリエルの思いつきは(こう)(そう)したようだ。もやもやした霧状(きりじょう)の暗闇から無数の瞳と乳房を持つ肉塊があらわれたかと思うと、そのあとを追うように巨大な不定形の化け物がウネウネと姿をみせた。


 それはジュクジュクした体液に濡れた赤黒い肉塊で、体内から人の臓器や手足が突き出していて、化け物が動くたびにゆらゆらと揺れるのが見えた。複数の生物が暗闇に潜んでいると思っていたが、どうやらふたりが見ていたモノは、すべてその生物の一部だったようだ。


 異形の化け物は腕を伸ばすように、美しい女性の似姿をふたりに近づけたあと、ソレを廊下の壁に叩きつけた。グシャリと潰れ体液や肉片が飛び散る。が、化け物は堅固(けんご)な石壁が崩れて外が見えるまで、何度も何度も女性の似姿を壁に叩きつける。


 壁が崩れるころには、ソレはもはや女性の原形をとどめていなかったが、化け物は目的を達成して満足したのか、グロテスクな身体(からだ)をズルズルと引き()りながら崩壊した壁に近づく。


 〝俺は何を見せられているんだ?〟と、異常な事態についていけないアリエルが戸惑い硬直しているのを余所(よそ)に、ルズィはバシリーを監視していたベレグと連絡を取る。そして現在の状況を手早く伝えたあと、野営地にいるノノとリリに戦闘の準備をさせる。


 怪異の標的は砦を占拠していた集団なのかもしれないが、野営地にいる仲間に、その矛先が向けられる可能性が絶対にないとは言い切れない。とくにあんな異常な行動を見せられたあとでは、いやでも警戒せざるを得ない。全く敵意を見せなかったからといって、化け物を信用できるほどルズィは(おろ)かではなかった。


 崩壊した壁の向こうからドスンと重々しい音が響いてくる。地面に落下した異形は、その(おぞ)ましい身体(からだ)(まと)わりついた内臓やら手足を潰しながら、ブヨブヨした身体(からだ)を震わせる。落下したさいに下敷きになった臓器は潰れ、瞬く間に血溜まりが広がる。が、本体には痛みのような感覚がないのか、化け物は気にする素振りを見せることなく森に向かって移動を開始する。


 先ほどまで異形が占有していた廊下には、もはや霧状の暗闇はなく、化け物に無残に殺された男たちの肉片が転がっているだけだった。ソレがどこからやってきたのかは想像もできなかったが、彼らは己が犯した罪に相応(ふさわ)しい(むく)いを受けることになった。そして遠からず、バシリーたちも同じような運命をたどることになるだろう。けれど、そのあとは?


 アリエルは森に解き放たれた異形の化け物の行く末を思い、嫌な汗をかいた。

「エル、あれのあとを追うぞ」

 肩に乗せられた手に驚くが、すぐに返事をする。

「了解」


「戦闘に巻き込まれるかもしれない、すぐに動ける準備をしておけ」

 青年は硬い表情でうなずいたあと、崩壊した壁から飛び降りたルズィのあとを追う。

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