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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
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 アリエルとルズィは警戒しながら砦に侵入したが、薄闇のなかに沈み込んでいる廊下に人の気配はなく、生まれては死んでいく時間ばかりが空間を埋め尽くしているように思えた。事実、そこには守人たちの闘いの記憶が残されていたが、刻々と過ぎ去る時間のように、もはや歴史を(かえり)みる者はいなかった。


 ふたりは息をひそめ、暗闇の向こうに耳を()ませる。古い鉄の蝶番(ちょうつがい)が軋る音のあと、木材の大きな扉が閉まる重々しい音が上階から響いてくる。


 凄惨(せいさん)殺戮現場(さつりくげんば)となった暗い砦を徘徊する幽鬼が、人知れず立てる音。まるで熱に浮かされたときに見る悪夢のようだ。ふたりは視線を合わせると、上階に続く石階段に向かう。呪素(じゅそ)の繊細な操作が必要になる〈索敵〉の呪術が不得意なルズィは、砦内の索敵をアリエルに指示すると、廊下の両側にある部屋のなかを確認していく。


 つい先ほどまで人が生活していたような痕跡は見られたが、やはり人の姿はなく、ひっそりと静まり返っている。と、今度は硬い足音が響いてきたかと思うと、なにか重たいモノを――たとえば死体のようなモノを、ずるずると引き()る粘り気のある音が聞こえてくる。


 得体の知れない存在に対する恐怖の所為(せい)なのだろう、暗闇に視線を向けていたルズィの顔は妙に表情を欠いていた。


 行商人から強奪したと思われる物資が保管されていた倉庫の先に、上階に続く階段が見える。壁掛けの燭台(しょくだい)には火が灯されていたが、足元は暗く、その闇のなかに音もなく()い寄る恐怖が渦を巻いているように見えた。ひとたび足を止めてしまえば、身の毛がよだつ気配に絡めとられて動けなくなってしまう。


 気味が悪い、とルズィは舌打ちする。混沌の領域に続く〈門〉の近くを偵察しているときの感覚に似ている。恐怖が足枷(あしかせ)になり、姿すら見えない脅威をつくりだしていく。実際のところ、その階段に生物の気配はなく、ネズミや昆虫の(たぐい)すら見かけなかった。しかし足元が揺れるような立ちくらみと、吐き気を(もよお)す嫌な感覚に襲われ続ける。


 上階には奇妙な闇が立ち込めている。すぐ(そば)に火が灯った燭台(しょくだい)があるのにも(かか)わらず、その光が闇を照らすことはない。ふたりは立ち止まると、そのもやもやとした(きり)にも似た暗闇を横目に見ながら、開け放たれた扉から部屋のなかを覗く。


 けれど安心して探索することはできない。その暗闇に捕らわれてしまうのではないのか、身体(からだ)ごと呑み込まれてしまうのではないのか、といった恐怖観念にとらわれてしまうからだ。


 そして何より、奇妙な声が絶えず聞こえてくるのだ。それは遠くから聞こえてくるようでもあり、耳元で(ささや)かれているようでもある。ふたりは聞こえないフリをしてやり過ごそうとするが、脅威になるような存在を警戒しなくてはいけない状況では、その声を無視することもできない。


 しかしそれが幻聴の(たぐい)だということは理解している。たしかな確証は得られなかったが、砦に人が潜んでいないことは〈索敵〉の呪術によって判明していたし、戦狼(いくさおおかみ)の感覚を疑うつもりもなかった。


 だからソレが本当の声ではないことは分かっていた。でも実際に声は〝聞こえる〟のだ。当然のことながら、ふたりは神経質になって苛立つ。問題は、その声の主を見つけられないことだった。


 血を流し斬り殺すことのできる存在なら、強引に問題を解決することができるかもしれない。しかしそこに潜むのは幽霊のように朧気(おぼろげ)な存在だ。ふたりに出来ることは口を(つぐ)んで、ただただ耳を澄ませて警戒するだけだ。


 散らかった部屋の確認を終えて廊下に出る。相変わらず暗闇の向こうからは、ヒソヒソと会話する声が聞こえてくる。それは(くわだ)てや隠し事をするのが好きな〈(あか)頭巾(ずきん)〉たちが集まって、こそこそと重要なことを話し合っている場面を思わせた。そうすると不思議なことに、巻物をするすると開く音や、古い羊皮紙が(こす)れる音、それに小さな咳払いまで聞こえてくるような気がしてくる。


 そこでは謎に満ちた呪術の可能性や未来について話し合われている。けれど実際には、そこは知識や文明の欠片(かけら)も存在しない陰鬱(いんうつ)な砦の廊下で、赤頭巾たちの姿は何処(どこ)にもない。それは暗闇と恐怖によって演出された錯覚でしかない。ふたりは冷静であり続けようと努力する。


 ルズィは腰に差していた両刃の剣を抜くと、鋭い刃に手のひらをあて、ゆっくりと下に引いた。たちまち傷口から赤黒い血が流れ、冷たい鋼を濡らしていく。すると刀身が青い炎に(つつ)まれていくのが見えた。呪素を含んだ血液が燃えているのだ。彼はその炎の揺らめきを見ながら、血に濡れた手で〈治療の護符〉を握り潰すと、手のひらの傷を治していく。


 しかし呪術によって生みだされた青い炎でも、その奇妙な暗闇を照らすことはできなかった。ルズィはその事実を上手(うま)く処理することができなかったのか、とうとう先に進むことを諦めて刀身に付着した血液を払い、ついでに炎を消した。暗闇に異変が起きたのは、炎が消えた直後だった。


 白い細腕が暗闇の向こうからすっと伸びてきたかと思うと、手を開いて何かを床に落とした。グチャリと嫌な音を立てて潰れたのは、身体(からだ)から(えぐ)り取られたような肉の塊だった。


 ふたりが驚いて後退(あとずさ)ると、死者のように青白い肌を持つ女性が暗闇から姿をあらわす。長い黒髪で顔の大部分は隠れていたが、眠るように(まぶた)を閉じた美しい女性だということが分かった。衣類は身に付けておらず、傷ひとつない素肌を(さら)していた。


 ふたりは攻撃を警戒していたが、その女性には敵意がないのか、白い腕を伸ばしたまま動こうとしなかった。それ自体が、何か重要な意味を持っているのかもしれない。アリエルは注意しながら足元に落ちていた肉の塊を確認するが、わずかに残されていた皮膚が裂けていることしか分からなかった。


 と、またしても暗闇から別の腕が伸びてきて、地面に向かって手のひらを開く。グチャリと肉が潰れ、少量の血液が飛び散る。そこでふたりは、どうやら自分たちが対峙しているモノが幽鬼の(たぐい)ではなく、肉体を持った複数の存在だということを認識する。しかし姿を見せた女性は動こうとはせず、それどころか呼吸している素振りも見せない。


 ルズィは直感的に、それが混沌の領域からやってきた化け物だと確信した。美しい女性の姿をしているが、人の似姿を()した怪物はいくらでも存在する。たとえば〈獣の森〉に生息する〝地走(じばし)り〟と呼ばれる生物は、ミミズのような細長い胴体を持ち、その両側面には人間の腕や足に似た無数の器官がついている。それは明らかに人の手足を模したモノだった。


 自然界には巧妙に擬態することで獲物を油断させ、安心して近づいてきたところを捕らえる昆虫が存在する。それと同じように――同列に扱ってもいいのか分からないが、混沌の生物も獲物である人の姿に似た器官を持つことがある。多くの場合、それは不完全なモノだったが、ときには驚くような擬態をみせる化け物が存在する。だからこそルズィは警戒し、そして炎を消してしまったことを後悔していた。


 ふたりが反応を見せず、ただ立ち尽くしていると、死体のような皮膚を持つ女性は(すべ)るような不自然な動きで闇の中に消える。そして次に姿を見せたとき、もはや人とは呼べない姿になっていた。頭部がなく、手足すら持たない異形の肉塊は、しかし無数の瞳と乳房を持ち、絶えず身体(からだ)を左右に揺り動かしている。


 その異形に恐怖して身体(からだ)が強張ると、無数の腕が闇の中から伸びるのが見えた。それは次々と手を開いて、地面に肉の塊を落としていく。が、異形が見せた動きで、ソレが何を欲しているのか理解した。


 異様に長い腕が暗闇の中からあらわれると、肉の塊を拾い上げ、異形の乳房に近づける。すると乳頭の先に十字の切れ目ができて、そこから皮膚が(めく)れていくのが見えた。ヌルリとした肉や脂肪の奥には、鋭い牙のような突起物がついていて、その無数の牙で肉をクチャクチャと咀嚼していく。


 どうやら異形の化け物は腹を空かせていて、獲物を欲しがっているようだ。

「歩哨が立っていなかった理由が、やっと分かったよ……」

 ルズィは足元に転がる大量の肉を見ながらつぶやいた。

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