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ラライアが砦周辺の偵察に向かうのを見届けたあと、アリエルは開け放たれた両開きの扉から砦に侵入して、この場所を根城にしていた者たちの痕跡を探すことにした。
地下から響いてくる炎の噴射音に足を止めると、青年は思い直し、砦の周囲をぐるりと歩くことにした。なにか見落としていた場合、厄介な事態に追い込まれかねないからだ。
まるで廃墟のように植物が縦横無尽に繁茂し、砦の壁にはツル植物が絡みついていて、煩わしい羽虫も多く飛んでいる。訓練に最適だと思われる広場も管理されておらず、背の高い雑草に埋め尽くされていた。何らかの理由で放置された砦が野盗の棲み処にされたのかもしれない。
足を止めて枯草を眺めていると、そのなかに放置されている無数の人骨を見つける。どうやら地上でも日常的に殺しが行われていたようだ。アリエルは空を仰ぐ小さなしゃれこうべから視線を外すと、他の場所に出入口がないか確認することにした。けれど出入りが可能な扉や窓には、腐りかけた木材が無雑作に打ち付けられていて、砦に侵入するには正面入り口を使用する必要があるようだった。
「少なくとも、背後から奇襲される心配はないみたいだな……」
アリエルは溜息をつくと、開け放たれた扉から砦内に侵入する。
廊下の石壁には燭台が掛けられていて蝋燭に火が灯された状態だったが、青年は薄闇を嫌い、光源になる〈照明〉を自分自身の周囲に浮かべる。球体状の小さな発光体がつくりだす青白い光を頼りに廊下を歩く。地下に向かうときにも一通り確認していたが、たしかに砦には人の生活の痕跡があちこちで見られた。
食卓だと思われる長机には無数の食器が放置され、食べ残しの肉や食材に蠅がたかっている。酒が注がれた木製の器も同じような有様で、とにかく不潔な場所になっていた。その食堂を出て廊下を進み、別の部屋も確認する。守人たちが身体を休めるために使用していたと思われる部屋には、脱ぎ散らかされた衣類や革鎧、それに太刀や斧といった装備が転がっていた。
奇妙なことに脱ぎ捨てられた衣類は黒装束ではなく、部族の人々が身に付ける小袖や羊毛のゆったりとした丈の長い外衣といった一般的な衣類だった。寝床の周囲では、守人の砦では見られない女性ものの下着も放置されていた。
それを不審に思い、乾いた藁が敷き詰められた寝床を調べようとして手を伸ばすと、廊下から錆びついた蝶番の軋る音が聞こえて手を止める。相変わらず人の気配は感じられないが、凄惨な殺戮が行われていた場所だ。幽鬼が潜んでいてもおかしくない。
アリエルは腰に差していた刀を引き抜くと、廊下に出て音が聞こえた方角に向かって歩いていく。もっとも、相手が本当に幽霊の類だったら鋼は何の役にも立たないだろう。
発光体のひとつを操作して廊下の先に向かって飛ばす。ぼんやりと周囲を照らしながら飛んでいく〈照明〉は壁に接触すると、その場でとどまり、閉ざされた扉を薄闇のなかに浮かび上がらせる。しかし両開きの扉には錆びた錠前が掛けられていて、押しても引いても一向に開く気配はない。
アリエルは困ったような表情で廊下の先に広がる薄闇を見つめたあと、思い出したように収納の腕輪から護符を取り出す。それはノノから預かっていたモノで、〈開錠〉の効果がある札だった。呪術によって施錠されていない簡単な錠にしか効果を発揮しないモノだったが、ここでは役に立ってくれるだろう。
護符に呪素を流し込みながら錠前に貼り付けると、札は瞬く間に燃え尽き、塵になって消滅していく。同時に錠前も音を立て壊れる。本来は錠前内部の機構が働いて開くだけだったが、ずいぶん古いモノだったのだろう、呪術の作用で壊れてしまう。青年は足元に落下した錠前をちらりと確認したあと、両手で扉を押し開いた。
その部屋は倉庫として利用されていたのか、壁際には無数の棚が並び、あちこちに木箱が無雑作に置かれている。照明によって埃がキラキラと舞い上がるのを見ながら、アリエルは倉庫に入ると、木箱の中身を確認していく。毛布や毛皮、それに雑多な生活用品が詰め込まれた箱もあれば、護符の材料になる墨や紙束が入っているモノも確認できる。
護符を作製するさいに使用される墨には、生命の樹として知られている〈イアエー〉の樹液が含まれていて、護符に呪文を書き込むさいに呪術師によって呪素が流し込まれる。その墨は貴重なモノで、倉庫に放置される類の代物ではなかった。
そのすぐとなりに置いてある木箱を開くと、守人の黒装束が綺麗にたたまれた状態で収納されていた。おそらく〈境界の砦〉から支給された物資なのだろう。埃をかぶった木箱の状態から考えて、どれも使用されていないことが分かった。
自分自身の体格に合う黒衣を見つけると、汚れていたモノを脱ぎ捨て新しいのを身に付けた。ずっと木箱に入っていたからなのか、黒衣はカビ臭かったが、腐敗液と血液にまみれた衣類を身に付けているよりかはいいだろう。
着替えている途中、ルズィから連絡があり倉庫にいることを伝える。彼は地下牢の浄化と焼却作業を終わらせ、今から上階にやってくるようだ。アリエルは兄弟の体格に合う衣類を探し当て確保すると、別の木箱を調べることにした。驚くことに美術品や金銀の装飾品が保管された木箱も見つけることができた。どういうわけか、それらの品物には手が付けられていなかった。
「そいつは略奪品の類だろうな」と、しばらくしてやってきたルズィが、木箱のなかを覗き込みながら言う。
「略奪品……」
アリエルは顔をしかめると、兄弟に黒衣を手渡す。
「助かる。ところで、こいつも倉庫に?」
「ああ、そこの木箱に入った状態で放置されていたよ」
彼は木箱を確認したあと、面白くなさそうに言う。
「この砦に派遣されていた守人は、最初から黒衣を身に付けるつもりがなかったのかもしれないな……」
ルズィはひどく汚れた衣類をその場で脱ぎ捨てると、呪術で生成した水を頭からかぶり汚れを落とす。それから裸でうろついて木箱から適当な布を取り、さっと身体を拭いて新しい黒装束を身に付けた。
その間、アリエルは木箱を眺めながら考えた。
「連中は守人として物資を受け取りながら、それを身に付けようとしなかったんだな」
ルズィは肩をすくめると、脱ぎ捨てられた黒衣を拾い廊下に放り投げ、呪術の炎で完全に焼却する。
「近くに集落があるし、行商人が使う街道も歩いて数十分の距離にある。戦闘訓練を受けた守人なら、隊商を襲撃して物資を奪うのは簡単だろうな」
「俺たちが地下で見た女性たちも、そうやって攫われて砦に連れてこられたのか?」
アリエルの質問に、彼は革の手袋をつけながらうなずいた。
「野盗と手を組んだのか、それとも守人から鞍替えして野盗になっていたのかは分からないが、いずれにせよ連中はまともじゃない。まあ、守人がやったと決めつけるのは早計だが、準備はしておいたほうがいいだろうな」
「準備?」アリエルはルズィの目を見る。「なんの準備だ」
「連中を始末する準備だよ」と、彼は平坦な声で言う。「兄弟もそのつもりだったんだろ?」
「ラライアたちに周囲を偵察させている。女性を攫いにいったのか、それとも狩りに出ているのかは分からないけど、近くにいるのならすぐに見つけてくれるはずだ」
ルズィは廊下で灯されていた蝋燭を見ながらうなずく。
「遠出はしていないみたいだな。それなら、この砦で待ち伏せして始末するか……。エル、照月の娘に連絡して武者たちに来てもらえるように頼んでくれ」
「ラファとベレグは?」
「姉妹と一緒に野営地の護衛をさせる」
「了解、すぐに連絡する」
アリエルは木箱を閉じると人気のない廊下に出た。




