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神々を継ぐもの  作者: パウロ・ハタナカ
第三章 遠征
65/499

05


 動揺している。心がざわついていて、考えたくもない最悪なことばかり想像してしまう。でも、きっと大丈夫だ。アリエルは自分に言い聞かせる。かれらは〝まだ〟何も知らないはずだ。この場で取り乱すことは、かれらに付け入る隙を与えることでもある。


 名前を呼ばれるまでの間、アリエルは何をするでもなく、ただその場に立ち尽くしていた。だが動かないわけにはいかない。彼は太刀(たち)を手に取ると、誰かが待っている部屋に向かう。


 先ほどの待合室と同じような雰囲気を持つ部屋だったが、縦に長く、広い空間が確保されていた。あちこちに豪華な調度品が置かれていて、部屋の中央には革張りの椅子が並べられた大きなテーブルがあり、足元には見事な絨毯が敷かれている。そのテーブルには、アリエルが今までに見たこともないような料理が置かれていて、大柄の(たくま)しい男がひとりで食事を取っていた。


 頭髪を剃りあげていて、その頭部には絡み合う獣や(へび)の模様が墨を使って()られていた。日焼けした浅黒い肌を持つ屈強な男だったが、手強そうでもなく、優しそうでもなかった。でも何処(どこ)か冷酷な雰囲気を(まと)っていて、他人にこれっぽっちも興味を持っていないような顔で肉を頬張っていた。


 扉のすぐ脇には武装した男が立っていた。平坦な顔に細い目をした痩せた男で、軽蔑するような目つきでアリエルを(にら)んでいた。威圧することで護衛という職務を全うしているつもりなのだろう。かれ以外にも護衛がいるのかもしれないが、気配を消していて見つけることはできなかった。


 部屋の奥に視線を向けると、こちら側とあちら側を仕切るように、部族の間で親しまれている植物の模様が刺繍された薄布が掛けられていて、間仕切りとして使用されているのが見えた。その布の向こう(がわ)には数人の女性がいて、彼女たちの影が動いているのが確認できた。


「待たせてすまなかったな、アリエル」

 その男の存在で、青年は〝誰が〟、自分に会いたがっていたのかを理解した。いや、むしろもっと早くに気がつくべきだったのだ。

「首長」アリエルは胸に手を当てると、軽く頭を下げた。


「報告は聞いている」かれは食事の手を止めてアリエルに眸を向ける。なにを考えているのか分からない、まるで気狂いのような眼で。

「聖地では大活躍だったみたいだな。反乱部族の呪術師が守る神殿を制圧するだけにとどまらず、貴重なモノも手に入れてくれた……戦神(いくさがみ)の申し子と呼ばれるだけのことはあるな」


「恐縮です」アリエルは視線を合わせず、絨毯を見つめながら言う。

「まぁいい、座ってくれ」

「失礼します」


 そう言ってアリエルがテーブルに向かって歩き出そうとしたときだった。護衛の男が抜刀して、抜き身の刃を青年の首にそっと添える。

「刀だ」と、痩せた男は言う。「そいつは置いていけ」

 男の顔を見たあと、アリエルは首長に視線を移した。しかし首長はこの状況は楽しんでいるのか、ふたりの様子を眺めているだけで何も言わなかった。


 アリエルが何もせずにいると、護衛の男は抜き身の刀を鞘に収め、青年が手に持っていた太刀を乱暴に取り上げようとした。無意識の咄嗟(とっさ)の行動だったが、アリエルは男の手首を(つか)み、その動きを制した。


 青年は疲れていて苛立っていた。誰に会うのかも教えてもらえず、連れてこられた部屋では初対面の人間に小言を言われ、(つい)には背中越しに燃えるような殺気を向けられる。いい気分でいられるはずがなかった。とにかく男の言動を含めて、自分が置かれている状況のすべてが好ましくなかった。もしも戦場で護衛の男を見かけていたら、真っ先に切り殺していたことだろう。


 アリエルの感情に反応して大気中の呪素(じゅそ)が揺らいだのか、部屋の壁に(わず)かなひび割れが生じると、天井付近に浮かんでいた発光体が瞬く。薄暗くなり始めた部屋のなか、アリエルは男の手首を強く握ったまま、もう片方の手で、男の腰に差していた刀を引き抜き、その刃を首にあて――。


「おい」

 首長の声を聞いてアリエルは動きを止める。紙一重の差で胴体に繋がっていることが許された男の頭部には、驚愕の表情が浮かんでいる。戦場の恐怖を知らず、一度も死に直面したことのない男の表情だ。


「俺の刀に勝手に触れるな、いいな?」

 護衛の男は――今では本当に首長の護衛だったのかも疑わしいが、彼はうなずきながらアリエルから差し出された刀を受け取ると、黙って部屋の隅に戻った。

 青年は深い溜息をつくと、椅子に腰を下ろした。首長は苦笑するだけで、青年の行動を(とが)めるようなことはしなかった。


 食事を再開した首長の近くには、料理の皿に交って、アリエルが神殿で入手していた反乱部族に関する書類や機密文書が無雑作に置かれていた。首長はそれらの資料に目を通しながら食事をしていたのだろう。


「飲むか?」

 首長の言葉にうなずくと、薄い肌着を身に付けた女性がやってきて、半透明の瓶に入っていた液体をガラスの器に注ぐ。アリエルは彼女に感謝してから、グラスに鼻に近づけて香りを確認し、それから液体を一気に飲み干す。


 部族の間で一般的に飲まれている林檎酒や蜂蜜酒といった醸造酒ではなく、度数の高い蒸留酒だった。香りが良く、口当たりは(なめ)らかだったが喉が焼けるようだった。


「お前が手に入れてくれた資料には目を通したが、こいつは俺たちが考えている以上に価値のあるモノだった。お前には感謝してもしきれない。なにか望みがあるのなら言ってくれ。俺に叶えられる範囲で望みのモノを用意しよう」


「すでに褒美は頂きました」

「褒美……?」首長は顔をしかめて、それから思い出したようにうなずく。「そういえば、女が欲しいとか何とか――」

「はい、あの戦闘で捕虜にした女性たちを褒美として受け取りました」


「女か……」かれは天井を見つめながら何かを考えたあと、ニヤリと笑みを浮かべる。「別の褒美も用意しておく。帰るときに部下から受け取ってくれ」

「感謝します」


 アリエルが頭をさげて感謝の意を伝え、顔をあげたときには、すでに首長の顔は変化していて、けわしい表情で青年を見つめていた。

「お前に仕事を頼みたい」

「要人の暗殺ですか?」

「そうだ。いつもの汚れ仕事だが、今回は簡単な仕事だ」


 アリエルが顔をしかめると、首長は吹き出すように笑う。

「お前は分かりやすくて助かる」かれはそう言ったあと、真剣な面持ちで言った。「お前たち守人は、商人の護衛か何かで南部に行く予定があるんだろ?」

「どうしてそれを……?」

 アリエルは心臓の鼓動が速くなり、嫌な汗を掻くのが分かった。


 かれは肩をすくめて、それから軽い口調で言う。

「耳がいいのさ。とにかく詳しいことは、あとで部下に伝えてもらうが、部族の貴重な遺物を持ち逃げしたバカな(やつ)がいる。そいつから遺物を取り返してくるのが仕事だ」


「遺物の奪還ですか……」

「ああ、どうやら南部の亜人どもの手引きがあったみたいだ。商人の護衛で立ち寄ることになる集落のどこかに潜んでいる。そこで奴を捕まえて遺物を取り返す。コソ泥を始末することも忘れるなよ」と、今度は笑みを浮かべながら言う。


 首長はコロコロと表情を変える。けれど、あの何を考えているのか分からない狂人のような眸だけは変わらない。アリエルはその眸が恐ろしかった。

「どうだ、やってくれるか?」


 その任務が決定事項であり、アリエルに拒否権がないことは知っていた。だから迷わず了承した。どんな情報をつかんでいるにせよ、これ以上、首長から疑いの目を向けられるわけにはいかなかった。


 アリエルの返事に満足したのか、首長は上等な布で手を拭いたあと、仕事があると言って立ち上がる。青年もすぐに立ち上がると、お辞儀をして首長を見送る。

「そうだ」かれは立ち止まると、悪戯っぽい表情をみせながら言う。「そこにある料理は、お前のために用意させたものだ。好きなだけ食っていけ」


 首長が、どこからか姿を見せた屈強な戦士たちと部屋を出ていったあと、アリエルは椅子に座り直して料理に手をつけたが、ほとんど味が感じられなかった。

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