03
武装した屈強な戦士たちに睨まれながら城に入る。石造りの城内はひんやりした空気に包まれていて、時間すらも静寂の中に沈み込んでいるような不思議な雰囲気に支配されていた。
時折、遠くを歩く何者かのコツコツという足音が廊下に響いていたが、その音も不明瞭で、まるで薄い膜の向こうから聞こえてくるような奇妙な響きを持っていた。
首長から暗殺まがいの仕事を依頼されたときにも入場を許されなかった城内では、会議に参加する戦士たちの姿がちらほらと目についた。金の短槍を手にした者たちは、一様に緊張しているようだった。
大広間に続く扉の前でインは立ち止まる。どうやらそこで会議が行われるようだ。アリエルは開いた扉の先、戦士たちが待機する大広間に視線を向ける。広大な空間の壁や床には、大理石調の白練色の石材が使われ、それらには金の浮き彫り(レリーフ)が施されている。目を凝らすと、それが古の言葉で彫られた物語の一部だということが分かった。
高い天井には、荘厳な宗教画にも見える壁画が描かれていた。それは古代の守人が巨大な龍の死骸に縋って泣く姿を描いたモノだった。どれほどの時間をかければ、これほどの芸術が生み出せるのだろうか。あまりの美しさに言葉を失くしていたアリエルには、想像することもできなかった。
また天井付近に漂いながら広間全体を明るく照らしている球体状の発光体は、夜の空に浮かぶ星々のように、大広間を幻想的な空間に染める手助けをしていた。呪術による光源は見慣れたものだったが、城内に浮かんでいるソレは何処よりも明るく、青白い光を発していた。
大広間は美しい場所だったが、首長が会議の場に選んだことに特別な意味はないのだろう。広くて多くの戦士が出入りできる場所なら、どこでも良かったのかもしれない。その証拠に、大広間の奥に視線を向けると、薄暗くひっそりとしていて、普段から手入れがされていないことが分かる。
「武器は私が預かります」
インの言葉にうなずくと、アリエルは腰に差していた太刀を彼に手渡した。どうやら大広間に入ることが許されているのは、金の短槍を持つ資格がある者だけのようだ。
赤を基調とした踏み心地のいい絨毯を歩いて広間に入る。部屋の中央には黒檀の岩から削り出された重厚な円卓が置かれ、椅子がそれぞれ向かい合うように置かれている。各軍団の長が座る椅子の後方には、すでに十数人の戦士が列を組んで静かに立っていた。かれらの手にも黄金の短槍が握られているのが見えた。
守人のことなど誰も気にかけていなかったし見向きもしなかった。目の前の空間に、しかめ面を向けて立っているだけだ。アリエルが何処に立てばいいのか考えていると、赤い鱗の蜥蜴人がとなりにやってきて、壁際の空間に向かって長い顎をしゃくる。どうやら列の最後尾に立つようだ。
「助かるよ、こういう場は不慣れなんだ」
アリエルの言葉に蜥蜴人はうなずくと、黙って列に向かって歩いた。どうやら話がしたくないらしい。戦士たちの前では、無口で硬派な蜥蜴人を演じ通すつもりなのだろう。
アリエルはきょろきょろと周囲に視線を向けると、各軍団の戦士たちを観察する。彼らは部族から支給されていた礼服を身に付けていた。その着物には袖のない肩衣が用意されていて、白イノシシが特徴的な部族の紋章が入っているモノもあれば、各軍団を象徴する文様が入っているモノも確認できた。
アリエルも同様の着物を身に付けていたが、その格好に文句を言うつもりはなかった。そもそも、あらたまった場所に身に付けていく衣類は持っていなかった。そうなると血と泥に汚れた惨めな格好で会議に参加することになっていたのだろう。好みでないにしろ、まともな格好で会議に参加できたことをインに感謝しなければいけないのかもしれない。
しばらくすると戦士たちの気配が変化したことに気がつく。何事かと思い、アリエルが前方に視線を向けると、大扉から複数の人間と亜人が入ってくるのが見えた。彼らの顔を確認することはできなかったが、側近を従えた軍団の長が大広間に入ってきたことだけは何となく理解した。
「はじまる」となりに立つ蜥蜴人が低い声で言った。
前方に立つ戦士たちの間から、各軍団の長たちが席に着くのが見える。アリエルが所属していた部隊の軍団長を務める大柄の蜥蜴人、〈ミジェ・ノイル〉の姿も確認できた。
しばらくの静寂。
戦士たちは微動だにせず、背筋をしっかりと伸ばし立っている。手元の羊皮紙に目を通す軍団長たちが立てる微かな音だけが耳に入ってきた。
「西部方面軍〈リべウルヨ〉代表。ダシール・アル・エリスン」訛りのある部族語だったが、言葉は優雅に奏でられる。「聖地〈霞山〉の西南より進軍、商業地区、加えて最重要目的とされていた神殿への呪術による支援を指揮」
アリエルが立っている位置からは、彼の姿を見ることは叶わなかった。戦果について適当に報告し終えると、彼のすぐ後ろに立っていた戦士たちが、短槍の石突を地面に突き立てる音が聞こえた。一度、そしてもう一度。
突き立てられた石突からは、大鷹の鳴き声のような、大気をつんざく大きくて鋭い音が鳴り響いた。それは戦士たちの着物を震わせ、天井や床を震わせた。しばらくその響きは耳に残った。それでも、決して嫌な音ではないとアリエルは感じていた。
どうやら聖地で行われた激しい戦闘には、各軍団が派遣していた小部隊が展開していたようだ。それからも軍団長たちが自軍の戦果を声高に主張し続ける。神殿地下で遺物を捜索していたアリエルにとっては、はじめて耳にする情報も含まれていた。
「南部方面軍〈デゼクぺト〉代表。ターヤル・ガレ。反乱部族の継戦能力を奪うことを主目的とした反乱部隊の補給路に対する夜間攻撃、並びに物資の拿捕――」
アリエルは身体を動かすと、報告を続けていた軍団長の姿を確認する。褐色の肌に高い鼻筋、それに深い眼孔。〈黒い人々〉は見慣れていたので、とくに驚くことは何もなかったが、彼が身につけていた鉄鎧に目を奪われる。鎧の分厚い胸甲からは脈動するように淡い光が滲み出ていて、呪術師によって何かしらの能力が付与れていることが確認できた。
ターヤル・ガレが報告を終えると、彼の後ろに並んでいた戦士たちが手に持った短槍の石突を床に突き立てる。先ほどと同じ綺麗な音が響いた。
「東部治安維持部隊、代表。ミジェ・ノイル!」蜥蜴人である軍団長の代りに、かれの側近のひとりである師団長の女性が声を上げる。
「聖地〈霞山〉強襲作戦指揮、並びに反乱部族最終防衛拠点への攻撃に対する後方支援。そして――」鈴の音のような凛とした声が響く。「神殿地区の制圧、加えて地区一帯の安全確保!」
アリエルは戦士たちの動きに合わせて、短槍の石突を床に突き立てた。微かな突き返しと共に鋭い音が鳴り響いた。そしてもう一度。腹の底を震わせるような響き。この会議に参加している戦士の数が多いからなのか、どの陣営よりも大きな音が響き渡る。
しかしアリエルの心を捉えていたのは、短槍の響きではなかった。彼の心を支配していたのは、一年と少しの間、聞くことのなかった女性の美しい声の残響だけだった。
「北部方面軍……代表代理。ジョン・レジーファー。反乱主力部隊に対する攻撃、それに反乱部族を支持していた呪術結社の掃討作戦……。あぁ、それから最終防衛拠点の攻撃支援かな」
気怠い声が聞こえる。そのすぐあとに、短槍による鋭い音色が響いた。
そして、最後に別の人間の声が聞こえた。
「各報告に対する意見や反対の主張がある者は、今この場で述べよ」